2018年2月3日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (505) 「シャミチセ川・幌美内・稀府・黄金」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

シャミチセ川

sam-chise
和人・家
(典拠あり、類型あり)
「だて歴史の杜」の東側を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には、海岸部の地名として「サンミチセ」と記されています。

永田地名解には次のように記されていました。

Sam chise  サㇺ チセ  和人ノ家 和人ヲ「サム」或ハ「シサム」ト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.184 より引用)
なるほど、sam-chise で「和人・家」と解したのですね。この解釈を見てしまうと、「竹四郎廻浦日記」のこの記述が尚更謎めいて見えてきますが……

     サンミチセ
此所に少々の土塁様の者有。是は昔夷人の貴人住せし処なりと。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.568 より引用)
チャシ(砦)では無いにせよ、何かしらの建物らしき遺構か地形があったということなんでしょうか。

山田秀三さんの旧著「北海道の川の名」には、次のように記されていました。

 アイヌ系の故老から、紋別川(中央の川)の東支流を チャミチセ(Sham-chise 和人の・家)と云うと聞いたが、今の土木部の地図を見ると、シャミチセとして東の紋別川の名になっている。このへんはよく分らない。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.168 より引用)
山田さんの調べでは、現在の「水車川」あるいは「竹原川」が、かつては「シャミチセ」と呼ばれていたのではないかとのこと。現在「シャミチセ川」と呼ばれている川は、かつての「メナシクシモンヘツ」あるいは「メナシユンケモンヘツ」だった可能性が高そうです。何故「シャミチセ川」の名前が栄転してしまったのかは、確かに「このへんはよく分らない」ですね。

幌美内(ほろびない)

poro-pi-nay?
大きな・石・川
poro-pin-nay?
大きな・傷・沢
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
有珠山 SA の北に位置する集落の名前です。また、シャミチセ川を遡ると幌美内町の北側に辿り着きますが、このあたりでシャミチセ川に合流する支流の名前が「幌美内川」です。「幌美内町」の名前は「幌美内川」から来ていると考えるのが自然でしょうか。

「北海道地名誌」には、次のように記されていました。

 幌美内(ほろびない)東山の山裾でアイヌ語「ポロピ・ナイ」は大石川の意
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.522 より引用)
確かに poro-pi-nay で「大きな・石・川」と解釈できます。ただ、支笏湖沿いに聳える恵庭岳にも全く同名の「幌美内」があり、山田秀三さんは別の解の可能性を示唆していました。

諸地にピナイの名があるが,そのあるものはpi-nai(石・沢)であり,またあるものはpin-nai「←pir-nai(傷・沢)。えぐれたような沢」であった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.57 より引用)
なるほど、poro-pin-nay で「大きな・傷・沢」である可能性も考えられるのですね。伊達の「幌美内川」と恵庭岳の「幌美内川」に地形的な類似性があるかと言うと「似てるようでもあり、似てないようでもあり」なのですが、シャミチセ川の上流部を「ピナイ」あるいは「ポンピナイ」と呼んだとするなら理解できるネーミングでもありそうです。

稀府(まれっぷ)

emawri-omare-p
木いちご・入れる・ところ
(典拠あり、類型あり)
伊達市南東部に所在する、室蘭本線の駅の名前です。

  稀 府(まれっぶ)
所在地 伊達市
開 駅 大正 14 年 8 月 20 日 (客)
起 源 アイヌ語の「エマウリ・オマレ・プ」(イチゴのある所)の一部をとったものといわれている。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.67 より引用)
お、おう……。そんな語彙があるんですか? えーと……、確かに emawri で「木いちご」を意味するようです。

知里さんの「植物編」で調べてみたところ、emawri は「エンレェソォ」である、とあります。これは「エンレイソウ」のことでしょうか。

ただ、今度は「オマレ」が良く分からないですね。-re を使役形を形成する語尾と考えると、omare で「位置させる」や「置く」と解釈できそうですが、emawri-omare-p で「木いちご・位置させる・もの」というのはちょっと意味不明な感じも……。

ただ、山田秀三さんが「北海道の旅と地名」で巧みな解を残されていました。

稀府(まれっぷ)
 昔イマレマレㇷ゚或はイマリマリㇷ゚と呼ばれた。エマウリ・オマレㇷ゚ 野苺を・入れる(籠などに)・処。とでも読むべきだろうか。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 3」草風館 p.237 より引用)
なるほど、omare を「入れる」と考えたのですね。emawri-omare-p で「木いちご・入れる・ところ」と読めるのではないか、という考え方です。

ちなみに、「東西蝦夷山川地理取調図」を見ると、「モンヘツ」と「チマイヘツ」の間に位置する川として「イマリマリフ」という名前の川が記されています。「イマリマリフ」が転じて「稀府」になったと考えるのが自然ですが、イマリマリフ自体は現在の稀府川ではなく、数 km ほど北を流れる「谷藤川」のことだったようです。

「谷藤川」は人名由来かもしれません。19 世紀初頭に「ウス場所」を支配していた「谷藤屋覚左衛門」という商人がいたとのことで、もしかしたら何らかの関連があるのかも……。

現在の「稀府川」は「牛舎川」の支流としてその名前を残していますが、「牛舎川」はかつて「オピルンネプ」と呼ばれていた川だと推定されます。o-pir-un-ne-p で「河口・渦・ある・ような・もの」と解釈すれば良さそうでしょうか。

黄金(こがね)

o-kompu-us-pe
河口・昆布・多くある・ところ
(典拠あり、類型あり)
伊達市南端の地名で、同名の駅もあります。ということで、いつもの「──駅名の起源」を見てみましょう。

  黄 金(こがね)
所在地 伊達市
開 駅 大正 14 年 8 月 20 日 (客)
起 源 もと「黄金蘂(おこんしべ)」といったが、昭和 27 年 11 月 15 日、字がむずかしいので「蘂」の字をとり、読みかえたものである。「黄金蘂」とはアイヌ語の「オコンプㇱペ」すなわち「オ・コンプ・ウㇱペ」(川口にコンブのある所)から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.67 より引用)
ふむふむ。o-kompu-us-pe で「河口・昆布・多くある・ところ」なのですね。永田地名解にも次のように記されていました。

O-komp ush be  オコンプシュベ  昆布場 川尻ノ海中ニ岩アリ昆布生ス故ニ名ク○「」ハ川尻ヲ云フ(黄金蘂村)
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.183 より引用)
kompu は和語の「昆布」からの借用語彙だったでしょうか。sas という語彙もありますが、これは道北や樺太で使われていたようです。

ちなみに、山田秀三さんによると、現在の「北黄金町」を流れる「気仙川」(きせん──)の旧名が「黄金蘂(川)」だったとのこと。なぜ「気仙川」になったのかは……謎ですね。

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