備後本庄駅は新線開通 5 年後の 1940 年に設置されています。備後本庄と横尾の間に駅が無いのは、線路が山と川の間の狭隘な区間を通っている(=近くに集落が無い)ことに依るのでしょうね。
横尾駅(よこお──)
車窓はしばらく山ばかりでしたが、久しぶりに家が見えてきました。ようやく家が見えたなぁ……などと思っていると、一瞬にして周りは市街地に戻りました。アンダーパスが見えていますが、アンダーパスを登りきったあたりに軽便鉄道時代の線路が通っていたみたいです。今はもう、かつて線路が通っていたような感じには見えませんが……。
7:27 に横尾駅に到着です。横尾駅は今でも交換設備が現役みたいですね(Wikipedia によると、備後本庄の交換設備を廃止したのと同時に横尾の交換設備を復活させたとのこと)。
黄色い 105 系
1 番線には既に福山行きの電車が待っていました。福塩線と言えば、やはり「黄色い 105 系」ですよねぇ。オリジナルの黄色とは多少色合いが違うような感じもしますし、青のラインも省略されてしまっているので、雰囲気はちょっと変わってしまっていますが……。この横尾駅は、ホームが狭すぎたからか、1 番線と 2 番線の間の島式ホームを 2 番ホーム専用にして、新たに 1 番線の反対側にホームを設けているみたいです(地下鉄御堂筋線のなんば駅のような構造です)。そのため、2 番ホームの 1 番線側にはフェンスが設けられています。
横尾駅の開業は、両備軽便鉄道時代の 1914 年(大正 3 年)です。2016 年の時点で既に開業 102 年目だったんですね……。上屋を支える柱も随分と年季が入ったものです(このホームは、1935 年の国鉄によるルート付け替え時に建設されたものかも知れませんが)。
確かに狭い……
近くに学校(私立の中高一貫校とのこと)があるからか、結構な数の利用客が降車していきました。なるほど、これは確かにホームが狭すぎたかもしれませんね……。奥に見えているのが駅舎……と思ったのですが、全然違いました(汗)。公民館……なんでしょうか?
府中行きの 227M は、定刻通りに横尾を出発しました。右手に見える小高い山の上に中高一貫の私立学校があるそうです。
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