(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
花和(はなわ)
(典拠あり、類型あり)
洞爺湖町西部、かつての虻田町域で豊浦町と境界を接しているあたりの地名です。豊浦町との町境を「小花井川」(おはない──)という川が流れているのですが、元々は地名も「小花井」だったようです。小花井川は貫気別川の支流です。ということで「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみた所、「ヲホナイ」という川が描かれているではありませんか。はい、どうやら「小花井」は ooho-nay で「深い・川」だったようです。
永田地名解にも、次のように記されていました。
Ooho nai オオホ ナイ 深川深川と言えば「ライスランドふかがわ」のある「深川市」を思い出しますが、深川にも「大鳳川」(おおほう──)という川が流れているんですよね。ちなみに「深い」を意味する語彙には ooho と rawne がありますが、ooho が「水かさが深い」という意味で rawne が「深く掘られている」という意味だとされています。センター試験にも頻出なので覚えておきましょう(出ません)。
成香(なるか)
(典拠あり、類型あり)
牧場の娘……ではありません。花和の北東、旧・洞爺村の地名です。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されていました。
成香(なるか)
洞爺村の地名。アイヌ語ニナルカ(台地)に当字をしたもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.60 より引用)
あっ、なるほど。確かに ninar-ka で「台地・その上(かみ)」という意味ですね。「角川──」(略──)にも次のように記されていました。なるか 成香 <洞爺村>
〔近代〕昭和 6 年~現在の洞爺村の行政字名。もとは洞爺村の一部,ニナルカ・仁成香。かつては南仁成香(南ニナルカ)と呼ばれていた。地名の由来は,旧名である南仁成香の後部をとって命名。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1058 より引用)
どうやら ninar-ka は南北に別れていたようで、「北ニナルカ」は現在「香川」と呼ばれているあたりを指していたようです。この「香川」は香川県出身者が多かったということと、「仁成香」の「香」のダブルミーニングなんだとか。ninar-ka では長過ぎるから略そう!となった時に、語源を考えると「仁成」にしても良さそうなものですが、それだとオールナイトニッポンっぽいので「成香」にした、というオチでしょうか(たぶん違うと思う)。
伏見(ふしみ)
(典拠あり、類型あり)
成香の北西に位置する旧・洞爺村の地名です。早速ですが「角川──」(略──)を見てみましょう。ふしみ 伏見 <洞爺村・豊浦町>
〔近代〕①昭和 6 年~現在の洞爺村の行政字名。もとは洞爺村の一部,ニフシナイ・ニナルカ。かつては仁伏内と呼ばれていた。地名の由来は旧名から 1 字をとって伏見と命名。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1290 より引用)
ふむふむ。確かに伏見の北のあたりに「ニフシナイ川」という川が流れています。それに「仁伏内」という字を当てて、そこから出ていたんですね。ちなみに、「角川──」(略──)には「豊浦町の伏見」についても記されていました。
②昭和 27 年 4 ~ 8 月の豊浦町の行政字名。昭和 27 年 8 月字大和となる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1290 より引用)
4~8 月って、こりゃまた随分と歴史の短い地名だったことで……(汗)。ということで、「ニフシナイ川」の意味を読み解くことになるのですが、音からは nipes-nay で「シナノキの川・沢」かな、と思わせます。ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ニイフシ」という名前の川が記されていました。
また、永田地名解にも次のように記されていました。
Ni ush nai ニウㇱュ ナイ 樹木多キ川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.177 より引用)
ふーむ。どうやら ni-us-nay で「樹木・多くある・川」と読むべきなのかもしれませんね。大原(おおはら)
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
洞爺湖町北部、旧・洞爺村の地名です。洞爺町(旧・洞爺村の中心地)から「武四郎坂」を登ると国道 230 号線に合流しますが、そのあたりの地名ですね。池がなぜか沢山ありますが、近くにある澱粉工場と関係があったりするでしょうか……?「角川──」(略──)には次のように記されています。
おおはら 大原 <洞爺村>
〔近代〕昭和 6 年~現在の洞爺村の行政字名。もとは洞爺村の一部,ケップネ・ルソツ・ホロヌップ・ニフシナイ・一ノ原・二ノ原。かつては二ノ原と呼ばれていた。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.257 より引用)
はい。ここまではいいですよね。続きを見てみましょうか。地名の由来は,地内に一ノ原・二ノ原などと呼ばれる原野が続いていて,これをまとめて大原と呼んだことによる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.257 より引用)
ということで、アイヌ語由来では無さそうな感じです。ただ、戊午日誌「東部作発呂留宇知之誌 上」を見ると、このあたりを「ホロヌツブ」(原文ママ)を呼んでいたように記されています。poro-nup であれば「大きな・野原」となり、即ち「大原」そのものなんですよね。直接の和訳地名では無いのかもしれませんが、和訳地名である可能性もゼロではないので、とりあえず記してみました。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿