2017年12月17日日曜日

きょうの出来事 (2017/12/17)

阪九フェリー「いずみ」の新門司港着は朝の 6 時でした。外は真っ暗だったのですが、もうすぐ冬至になろうかという日の短い時期で、しかも九州は日の出が遅いということを考えると当然のことだったかもしれません(ただ、雪が舞っていたのはさすがに計算外でしたが)。

「爆発踏切」

小雪の舞う中、車を走らせること 1 時間 20 分ほどで、JR 日田彦山線の「彦山駅」にやってきました。
外気温センサーが氷点下を指し示す中……
雪の残る小径を歩くこと数分で……
踏切(第四種踏切)に到着しました。
一見、何の変哲もない踏切ですが、この踏切、名前が……
「爆発踏切」なんです。

二又トンネル爆発事故

実は、まだ鉄道路線として営業を開始する前の話ですが、彦山駅とこの踏切の間には、トンネルが存在していました。ところが、戦中にトンネルが火薬庫に転用され、トンネルには 532 トンもの火薬が保管されることになります。

そして、終戦後に米軍は、あろうことか火薬を「焼却処分」するように命じます。火薬は 2 時間ほど燃焼した後に大爆発を起こして山を丸ごと吹き飛ばしてしまい、147 人もの死者を出す大惨事となってしまいました。

この踏切は、大爆発を起こした二又トンネルの南側にあります。なぜこんな名前にしたのかという疑問は残りますが、大惨事の記憶を後に伝えるという意味では悪くない選択だったのではないでしょうか。

Wikipedia の「二又トンネル爆発事故」に事故の詳細が記されています。

幻の「油須原線」

「爆発踏切」を後にして、国鉄添田線の廃線跡を走っていたところ、なにやら川にかかる鉄道橋が見えてきました。
これはどうやら、未成のまま終わった「油須原線」の跡のようですね。書物では見かけたことがあったのですが、なるほどこんなところにあったとは……。
油須原線の工事が中断されて 40 年近くになるのですが、費用分担の問題からか、彦山川に架けられた橋梁は未だに撤去されないままです。「無用の長物」と化してしまった橋脚には「大任町」をアピールするイラストが描かれていました。

角島大橋

その後は「関門国道トンネル」で本州に抜けて……
北に向かい、「角島大橋」を渡ってきました。

88888 km

その後は山陽自動車道を東へとひた走り、自宅に戻ってきたのですが、途中で……
88888 km 走行を達成しました! わざわざこの写真を撮影するために高速道路から出て、一般道で渋滞に引っかかったところで撮影することができました。次の目標は 90000 km ですね!

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