2017年12月3日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (491) 「幌扶斯山・イコリ岬・茶津崎」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

幌扶斯山(ほろふすざん)

poro-pus-i?
大きな・破れる・もの
poro-pi-us-i?
大きな・石・多くある・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
礼文駅の西にそびえる標高 412.6 m の山の名前です。手持ちの資料には記載があまり見当たらなかったのですが、あの「北海道地名誌」に記載があったので、引用しておきましょう。

 幌扶斯山(ほろふすざん)412.5 メートル 礼文華の西,イコリ岬の山。意味不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.523 より引用)
ありがとうございました(お約束)。

さ、気を取り直して……。「東西蝦夷山川地理取調図」を見ると、幌扶斯山の近くに「ホロコツ」そして「ホロヒイ」という地名があることに気づきます。ただ、「初航蝦夷日誌」の「蝦夷地行程誌」を見ると、「ホロコツ」と「ホロヒイ」はいずれも現在の礼文駅の東側に位置する地名のようです。

「ほろふす」という音からは、poro-pus-i で「大きな・破れる・もの」か、あるいは poro-pi-us-i で「大きな・石・多くある・もの」あたりの解が想像できます(後者は「ホロヒイ」の解である可能性もありそうです)。

poro-pus-i という形容がもっともしっくり来るのは、やはり礼文華川の河口かな、と思います。現在の地形図でも河口のすぐ近くに「礼文華海岸」が存在することから、礼文華川によって豊富に土砂が運搬されていることを伺わせます。ということで、元々は河口部を形容する地名だったのが、いつしか山の名前に引っ越した……という説を考えてみたのですが、いかがでしょうか?

イコリ岬

ika-ri?
越える・高い
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
礼文華海岸の南西、幌扶斯山の南東に位置する岬の名前です。「初航蝦夷日誌」には「イコリシユマ」、「東蝦夷日誌」には「イコリ(岩岬)」、「竹四郎廻浦日記」には「イコンシマ」、「東西蝦夷山川地理取調図」には「イユレシユマ」とあります。

そして、永田地名解には次のように記されていました。

Ikori shuma  イコリ シュマ  高岩 「アプタ」土人「高キ」ヲ「イコリ」ト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.175 より引用)
ふーむ。「高い」ということを意味する「イコリ」という語彙が実在したかどうかが肝になりそうですね。ここでふと思い出したのが、知内町小谷石の近くにある「イカリカイ島」なのですが、ika-ri だと「越える・高い」と読めそうな気がするんですよね。ika-ri-suma だと「越える・高い・岩」あたりでしょうか。

茶津崎(ちゃつみさき)

chasi
(典拠あり、類型あり)
礼文華と小鉾岸こと、礼文駅と大岸駅の間の海岸にちょこんと飛び出た岬の名前です。JR 室蘭本線も、道道 608 号「大岸礼文停車場線」も、短いトンネルを掘って岬を通り抜けています。まるで天然の関所のような地形ですね。

前置きも程々に本題に進みましょう。……これ、chasi で「」なんでしょうね。「シ」が「ツ」に誤記されたのではないでしょうか。

「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

     チヤシナイ
此処に昔し蝦夷の貴人住せしとて屋敷跡有る也。其跡を掘るや種々の器物出る也と。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.583 より引用)
うーん、「ナイ」は nay で「沢」を意味すると思われるのですが、どう見ても尾根なのに「沢」というのはちょっと変な気がします。岬の西か東に沢があったということでしょうか。

ちょっと気になったので「東蝦夷日誌」も見ておきましょう。

チヤシナイ(山岬)上に昔しの酋長の城跡と云物有。近比迄岩にて畳上たる井戸も有しが、今埋もれてなし。三面は絶壁に成て、一方山根に續き、頗る要害の地也。下りて砂濱。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.51 より引用)
「チヤシナイ(山岬)」とありますね。また「チヤシナイ峠」という表現も見られます。地形図を見ると「茶津岬」の西側に沢があるように見受けられるので、このことを chasi-nay砦・沢)と呼んだ、といったあたりでしょうか。

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