本物は、昭和新山駐車場のバス停の近く(だったと思う)にあります。ということで本物の写真がこちらです。
……なんだかこの構図だとちょっと寂しげな感じがしますね(汗)。ちなみにこの三松さんの像の作者は「米坂ヒデノリ」さんという方で、「麦圃生山」と題されています。「麦圃生山」は「麦畑、山を生ず」と読めば良いのだとか。もちろん、畑から生まれた「昭和新山」に由来するのでしょうね。
三松正夫の生涯
「三松正夫記念館」というだけあって、年譜とともにご本人やご家族、ご自宅などの写真が飾られています。これだけきちんと写真が残されているということから考えて、代々、地元の名士でいらっしゃったのでしょうね。そして、三松さんの逝去(1977 年 12 月 8 日没)を伝える新聞記事のスクラップが並んでいます。「“火山王”三松正夫さん」という表現は、いかにも昭和っぽい感じがしますね(笑)。
三松正夫さんは、昭和新山の形成過程を自宅から日々観測し続け、その観測結果を記録した図は「ミマツダイヤグラム」と呼ばれています。……という話は皆さんもうご存知ですよね? 確か教科書にも載っていたかと思います。
そんなわけで、三松さんは在野の郵便局長でありながら、専門誌(だと思う)に論文を寄稿するなどの大活躍をされたのでした。……とまぁ、ここまではそれこそ教科書に載ってそうな話です。
新田次郎「昭和新山」
今度は、ショーケースの中にハガキ(の拡大複写)が展示されています。えっ、あっ。「新田次郎先生書簡」とありますね。なんと三松さん、新田次郎によってノベライズ(小説化)までされていたんですね……(汗)。そして、新田次郎による小説化程度で驚いていてはいけません。三松さんご本人はなんと「第三回吉川英治賞」を受賞されていたりします(汗)。
見ざる、聞かざる、言わざる……
「ミマツダイヤグラム」の話だった筈が、気がつけば何故か「第三回吉川英治賞」の話になっちゃってますが、「三松正夫記念館」の一角にはなぜかこんなものも。はい。「見ざる聞かざる言わざる」の「三猿」が、ひな壇に所狭しと並べられています(実際のひな壇はもっと大きいです)。そして飯田道夫さんという方の「世界の三猿」という本が置かれているのですが……
実はこの飯田道夫さん、「三松正夫記念館」館長の三松三朗さんの実兄でいらっしゃるのだとか。昭和新山とは何の関係も無さそうな、謎な繋がりで面白いですよね。
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