(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
扇石(おうぎいし)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
石崎と上ノ国の間にある集落の名前です。海沿いに南北に伸びる集落で、南隣の汐吹集落とつながっています。上ノ国のあたりは古くから成立していた村が多く、この扇石も「竹四郎廻浦日記」には「扇石村」と記されています(「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲヽキ石」と記されています)。幸いなことに「角川──」(略──)に参考となりそうな記載がありました。
おうぎいし 扇石 <上ノ国町>
古くは扇子石とも書いた。檜山地方南端,松前半島西側沿岸部。地名は,赤岩の崩れた浜の途中に扇形をした扇石という岩があったことによるという(松前東西地理蝦夷巡覧記)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.231 より引用)
む、ということは和名なんでしょうか……? いえ、ご安心ください。まだ続きがあります。「オキヰシ村」と記した史料もあり(松前国中記),アイヌ語のウカウシ(岩石が重畳している所の意)・オチルシ(断崖の意)に由来するとも(地名アイヌ語小辞典),オクシイ(そこを通る所の意)に由来するとも(北海道の地名)考えられる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.231-232 より引用)
あっ、なるほど……。諸説あるようですが、u-ka-us-i で「互い・上に・群在する・ところ」すなわち「岩石が重畳している所」か、あるいは o-sir-us-i で「そこに・水際の断崖・多くある・ところ」すなわち「断崖」と考えたのでしょうか。どちらもありそうな解だなぁと思わせますね。また、「北海道の地名」に o-kus-i で「そこを・通行する・ところ」とあるように記されていますが、山田秀三さんの「北海道の地名」には「扇石」という項目は無かったようです。ただ、襟裳の近くの「小越」の解として o-kush-i というものが記されていたので、これを間接的に参考にしたと言った感じなのでしょうか(それにしてもこの言及の仕方はおかしいのですが)。
都合三つの説が出てきたことになりますが、どれが最もそれらしいかと言うと……実のところ、全く見当がつきません。どれも甲乙つけがたい……というか、決定打に欠くんですよね。不本意ではありますが、今日のところはこれらの説を紹介するに留めたいと思います。
洲根子岬(すねこ──)
(典拠あり、類型あり)
大安在浜の北端に位置する岬の名前です。「竹四郎廻浦日記」には「シネコサキ」と記載されています。また「東西蝦夷山川地理取調図」には「ス子コサキ」とあります。「スネコサキ」という音がそのまま現代まで残っているようですね。上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には次のように記されていました。
志根子 崎
夷語シ子ンゴなり。シ子ヱムコの略語にて、則、一ッの水上ミと詳す。扨、シ子とはシ子プの略語にて一ツといふ事。ヱムコとは水上ミと申事にて、此邊数ヶ所の沢、水上ミ一ッたる故、此名ありといふ。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.89 より引用)
一方、永田地名解はこの説を誤りであるとして、次のように記していました。Shir-enkoro = Shiri-en-koro シレンコㇿ 岬 「スネコ」崎或ハ「シネコ」崎ト云フハ訛ナリ 「シレンコㇿ」ハ「シリヱンコㇿ」ノ急言ニシテ直譯スレバ山額ナリ「レ」ヲ「ネ」ニ轉音スルハ和人及ヒ朝鮮人ノ常ナリ舊地名解ニ「シネコ」ハ「シネヱムゴ」ニテ數個所ノ川其源ヲ一處ニ出スノ義ト説キタルハ甚タシキ誤ナリ……永田っちが上原熊次郎説を全力で否定していました(汗)。まぁでも、この指摘は概ね妥当なものであると言えそうです。sir-enkor で「大地の・鼻」すなわち「岬」と考えて良いのでは無いでしょうか。
原歌(はらうた)
(典拠あり、類型あり)
洲根子岬と上ノ国の間に位置する地名です。道の駅「もんじゅ」のあるところですね。同名の地名が島牧にもあります。島牧村の「原歌」は北海道のアイヌ語地名 (52) 「厚瀬崎・千走・原歌・茂津多」をご覧ください。いや、ぶっちゃけ地名解も同じなんですけどね(汗)。
上ノ国町の原歌ですが、「竹四郎廻浦日記」には「ハラウタ」と記録されています。また「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ハラウタ」とあります。明治期の地形図には「原歌」と漢字で記されています。北に面した円弧状の海岸というのも島牧の原歌とそっくりです。
どこからどう考えても para-ota で「広い・砂浜」と考えるしか無さそうです(汗)。
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