(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
石崎(いしざき)
(典拠あり、類型あり)
上ノ国町南部の地名です。明治 35 年までは「石崎村」という村でした。「石崎」という地名もかなり古くから成立していたようで、「竹四郎廻浦日記」にも「石崎村」と記されています。また「東西蝦夷山川地理取調図」には「石嵜」とあります。
上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には次のように記されていました。
石 崎 小休所川舟渡し
此地名和語なるべし。此川尻は石の崎なる故、和人のかく石崎と号たるべし。故事未詳。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.89 より引用)
「河口のあたりが石の岬だから和人が『石崎』と名付けたらしい。知らんけど」とありますね。一方で「大日本地名辞書」には少々違った由緒が記されていました。石 崎
嘗て石崎村といひしか、今、上国村の一部と成る、比石(ピツイシ)川の河口右岸に位し、河の流域全部を属す。
(吉田東伍・編「大日本地名辞書 第八巻」冨山房 p.54 より引用)
あっ……! もう少し読み進めてみましょう。元禄郷帳に「石崎村、ハネサシ村、汐吹村」など載せられ、羽差(ハネサシ)は、今、石崎の北に僅に名を遺す。石崎は昔比石と呼ばれしといへば、何の頃にか改名す。
(吉田東伍・編「大日本地名辞書 第八巻」冨山房 p.54 より引用)
はい。どうやら「石崎」は元々「ピツイシ」だった……とあります。そして、山田秀三さんが「ピツイシ」の答え合わせをされていました。たぶんピッウシ「pit-ush-i 石・多い・もの,処」,あるいは pit-ush-nai であったろう。石崎の名はそんな地形から出たものか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.439 より引用)
概ね同感です。元々は pit-us-i で「小石・多くある・ところ」だったものがいつの間にか意訳されて「石崎」になった……と言ったところかと思います。羽根差(はねさし)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
上ノ国町石崎と扇石の間にある地名です。石崎の北に位置する長内川の河口から羽根差までの間は砂浜が続いていましたが、羽根差から北の扇石の間は台地がそのまま海に落ち込んだような地形をしています。「竹四郎廻浦日記」には「羽根差村」、「東西蝦夷山川地理取調図」には「羽子サシ」と記されています。古くから「はねさし」という地名があったと考えて良さそうな感じですね。
「角川──」(略──)にちょっと興味深い記述がありました。
はねさし 羽根差 <上ノ国町>
檜山地方南端,松前半島西側沿岸部。地名の由来は,アイヌ語のエサシ(岬の意)とパ(崎・かみ・川下の意)・パナ(川下・海に近い方の意)などが関連すると思われるが(地名アイヌ語小辞典),不詳。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1179 より引用)
あっ、なるほど。pan-e-sa-us-i で「川下・頭・浜・つけている・ところ」と読み解くことができそうですね。「羽根差」は現在の地形図では「中央川」の近くに記されていますが、古い地形図などを見ると元来はもう少し南側の地名だった可能性がありそうです。石崎のすぐ北を流れる「長内川」(o-sar-un-nay あたりの可能性がありそうですね)の河口北側が岬のような地形になっています。これを指して「川下の岬」と呼んだのではないかなぁ……と思います。
中央川(ちゅうおう──?)
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
上ノ国町羽根差の北を流れる川の名前です。確かに石崎と扇石の中間あたりを流れていますが、それにしても「中央川」を名乗るにしては少々物足りない印象も拭えません。古い地形図を眺めていて、この川がどうやら以前は「キウノ沢」と呼ばれていた可能性があることがわかりました。なるほど、これだと元々は {chiw-nu}(-nay) で「{波立つ}(・沢)」 あたりだった可能性がありそうです。
あるいは chiw-oro(-nay) で「波・の所(・沢)」という風にも考えられるかもしれません。これだと「中央」という音に近くなりますね。
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