2017年8月20日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (465) 「ヨビタラシ川・尖岳・建有川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ヨビタラシ川

yu-turasi?
湯・それに沿ってのぼる
yuk-turasi?
鹿・それに沿ってのぼる
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
木古内川の上流、吉堀と板谷堀の間で北から合流する支流の名前です。何が何やらさっぱりわからない……と思ったのですが、「竹四郎廻浦日記」に次のような記載があることに気が付きました。

少し行 ユウタラシナイ(一名温泉の沢と云よし)、イタヤホリ、左りの方弥七沢。此沢相応の川にして、トカリ岳の麓より来るよし聞。並て ヲチヤ 峠下。是より九折十五六丁にしてエナヲ岳峠に到る。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.184 より引用)
ちょっと慎重に検討してみましょう。「東西蝦夷山川地理取調図」によると、「ウリヤ川」の上流の右支流(北支流)に「ヤシチサワ」が記されていて、「ウリヤ川」と「ヤシチサワ」の間の左支流(南支流)として「ユウタラシ」が記されています。

実際の地形図を見てみると、「瓜谷川」と「弥七沢」の間に「ヨビタラシ川」が流れていますが、「ヨビタラシ川」が右支流(北支流)で、「弥七沢」が左支流(南支流)です。これにより、考えられそうなシナリオが二つ出てきます。一つは現在の「ヨビタラシ川」がかつての「ヤシチサワ」で、別途「ユウタラシ」が吉堀の南に存在していた(実際に谷があるので、おそらく沢がある筈です)。

もうひとつは「ユウタラシ」と「ヤシチサワ」の左右(南北)を取り違えたという可能性です。「東西蝦夷山川地理取調図」を良く見てみると、「ヲテヤ」(ヲチヤ?)の上流に「イタヤホリ」が描かれているので、言ってしまえばこの程度の錯誤は普通に含まれている、と考えるべきなのでしょう。

仮に「ユウタラシ」と「ヨビタラシ川」が別ものだったとして、「ヨビタラシ」が元の形に近い(転訛が少ない)とすると、yopi-turasi で「それを捨て去った・それに沿ってのぼる」と考えられるかもしれません。

yopi は網走の「呼人」にも出てきますが、平たく言い直せば「枝分かれした」という意味だと考えられます。現在の「ヨビタラシ川」を言い表す上で割と適切な語彙に思えてきます。

一方、現在の「ヨビタラシ川」が元々は「ユウタラシ」だったと考えると、yu-turasi で「湯・それに沿ってのぼる」となるのですが、んー、ちょっと良くわからない感じもします。南富良野の「幾寅」と同様に yuk-turasi で「鹿・それに沿ってのぼる」と考えたほうが自然ではないでしょうか。

尖岳(とんがり──)

tukari(-nupuri)?
手前(・山)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
木古内町と上ノ国町の間に聳える山(604 m)の名前です。では早速ですが「竹四郎廻浦日記」を見てみましょう。

イタヤホリ、左りの方弥七沢。此沢相応の川にして、トカリ岳の麓より来るよし聞。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.184 より引用)
先程の「ヨビタラシ川」で引用した部分と完全に一致していますが、まぁそういうこともあります(開き直った)。どうやらこれを見る限り、松浦武四郎の時代は「トカリ岳」と呼ばれていたようです。

尖岳は木古内町と上ノ国町の間の分水嶺の中では高いほうの山ですが、すぐ南側の知内町と上ノ国町の境界線上に、100 m 近く高い「袴腰岳」(699.2 m)という山があります。このあたりの最高峰は松前町と上ノ国町の境にある「大千軒岳」(1071.3 m)でしょうか。結果的に、「尖岳」はこれらの連峰の最北端に位置する、とも言えそうです。

ということで、「トカリ岳」は tukari(-nupuri?) で「手前(・山)」じゃないかと考えてみたんですが、いかがでしょう?

建有川(たてあり──)

和名?
tattarke?
川波の立ちさわぐ所
tapkop-us-i?
丸い小山・ある・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
木古内町と知内町(しりうち──)の町境の近くを流れる川の名前です。流域には「建川」という集落もあります。割と古くから現在の「建有川」に近い名前だったようで、「角川──」(略──)には次のように記されていました。

江戸期の「蝦夷巡覧筆記」に「立テ有川」と見え,松浦武四郎「初航蝦夷日誌」に「タゝセ川 本名立有川と云よし…… …… 此辺リニ在畑,麦・稗・粟・馬鈴芋を多く作る也」,同「廻浦日記」には「立有川 タゝコシ川とも云」,「蝦夷実地検考録」に「館有川 竪割川の語か」と見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.839 より引用)
ん~。諸説ありますと言った感じで判断に苦しみますね。普通に「館」があった可能性も十分にあるわけですが、もしアイヌ語起源だったらどうなるか、ちょっと考えてみましょう。

「タタセ」あるいは「タタコシ」という音から、もしかしたら tattarke(-us-i) の可能性があるかな、と考えてみました。tattarke-i は、知里さんの「──小辞典」には次のように記されています。

tattarke-i たッタㇽケイ 水中に岩磐などあって川波の立ちさわぐ所;たぎつせ。[<tar-tar-ke(踊り・踊り・する)-i(所)]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.128 より引用)
ただ、「タタコシ」であれば tapkop-us-i である可能性もあるのかもしれません(どこから二つ目の「タ」が出てきたんだ、という問題は残りますが)。地形図を見ると、新幹線の西側に鳥居が描かれている小山があるのですが(知内町域)、tapkop だとするとこの山がそうじゃないかな……と。あ、tapkop-us-i は「丸い小山・ある・もの」と解釈できるかと思います。

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