(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
釜谷(かまや)
(典拠あり、類型あり)
木古内町にある集落の名前で、道南いさりび鉄道に同名の駅もあります。ということで、ここはいつものアレを見ておきましょう。釜 谷(かまや)
所在地 (渡島国)上磯郡木古内町
開 駅 昭和 5 年 10 月 25 日 (客)
起 源 アイヌ語の「オ・カマヤ・ウン・ペツ」(川口に平たい岩のある川)から出たもので、谷元旦の書いた『蝦夷紀行』に、この地に板流川という川があって、川底に大石があり、それが板のようであったと記している。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.16 より引用)
ふむ。o-kamaya-un-pet で「河口に・平岩の岸・ある・川」と考えたのですね。永田地名解にもう少し詳しい説明がありました。
Kama ya pet カマ ヤ ペッ 扁磐川 寛政十一年谷元旦著ス蝦夷紀行ニ釜岩村ニ板流川(イタナガレカハ)ト云フアリ水底ニ大石アリ板ノ如シトアル是レナリ「カマ」トハ板ノ如キ平ナル磐石ヲ云フナリ和人ガ釜岩村ト名ケタルハ釜ノ如キ岩アルニ附シタル名ニシテアイヌ語ノ「カマ」トハ別ナリ……あれ? 永田氏は「アイヌ語の『カマ』とは別なり」としていますが、見事に後人にはスルーされていますね。もしかしたら o-kamaya-un-pet は「釜谷」ではなく「大釜谷川」を指すのかもしれません(この可能性は山田秀三さんも指摘していました)。
永田っちは「大釜谷」と「釜谷」の由来は別で、「釜谷」(釜石)は「釜のような(形の)岩があるから」と言いたかったのでしょうか。興味深い仮説ですが、若干無理があるような気もしますね……。
サラキ岬
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
釜谷駅と泉沢駅の間にも丸く張り出した丘のような岬があります。地上から見た感じでは「岬」と言うほどの地形にも見えないのですが、地形図を見ると海の中に結構岩盤が張り出しているようで、実際に明治 6 年には函館から小樽に向かう途中の「咸臨丸」がこの地で座礁、難破しています。難破した咸臨丸は、今は陸上で余生を送っているのだとか……(違うでしょ)。この「サラキ岬」、意外とめぼしい情報が無く、唯一見つかったのが「北海道地名誌」のこの記述でした。
サラキ岬 釜谷と泉沢の間,津軽海峡に突き出ている岬。通称サラキと呼ぶ。アイヌ語でサラキは葦のことであるが。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.95 より引用)
謎の問いかけで締めるあたり、余韻を残す感じが流石です。でもまぁ、この考え方はすこぶる自然なものですね。sarki で「葦」と考えることにします。橋呉(はしくれ)
(典拠あり、類型あり)
泉沢駅の西側の地名です。木古内町全体で見ると決して端くれでは無いんですが……(ぉ)。せっかくなので、今回も「北海道地名誌」を見てみましょうか。橋呉(はしくれ) 泉沢の西隣り。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.95 より引用)
はい。それは知ってます。気を取り直して、永田地名解を見てみましょう。……実は、「橋呉」という地名を見て「もしかして」と思ったことがあったのですね。そしてなんと、ほぼその通りの記述が永田地名解に見つかりました。
Pashkuru nupuri パㇱュクル ヌプリ 鴉山
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.152 より引用)
そう、「橋呉」(はしくれ)って「馬主来」(ぱしくる)と音が似てませんか? paskur は「カラス」という意味だそうですから、paskur-nupuri だと「カラス・山」ということになりますね。「角川──」(略──)にはこんなことが書かれていました。
地名はアイヌ語のパシュクルヌプリ(鴉山の意)に由来する説(北海道蝦夷語地名解)のほか,鴉を嘴黒(はしくろ)と呼ぶことからハシクロとなったとする説(蝦夷実地検考録)がある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1164 より引用)
うーん、どっちに転んでも「カラス」なのが面白いですね。www.bojan.net
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