2017年8月6日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (461) 「久根別・戸切地川・矢不来」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

久根別(くねべつ)

kunne-pet
黒い・川
(典拠あり、類型あり)
北斗市(旧・上磯町)の地名で、同名の駅もあります。また久根別川は七飯町峠下のあたりから函館平野をほぼまっすぐ南下して、東久根別駅の東側で函館湾に注いでいます。

久根別川が直接函館湾に注ぐようになったのは河川改修の結果のようで、昔は道南いさりび鉄道(かつての JR 江差線)の北側で西に向かい、大野川と合流して函館湾に出ていたようです。当時の川も「旧久根別川」として健在です。

前述の通り、道南いさりび鉄道には「久根別駅」があります。ということで「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  久根別(くねべつ)
所在地 (渡島国) 上磯郡上磯町
開 駅 大正 2 年 9 月 15 日 (客)
起 源 アイヌ語の「クンネ・ペッ」(黒い川)から出たもので、この川とは久根別川を指している。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.14 より引用)
あー、やはり……。kunne-pet で「黒い・川」と考えていいようです。というか、他に考えようが無いという説もありますね(汗)。「訓子府」や「国縫」と同じく kunne 系の地名ということで。

戸切地川(へきりち──)

peker-pet
清冽な・川
(典拠あり、類型あり)
上磯駅の東側を流れる川の名前です。流域には「松前藩戸切地陣屋跡」がありますが、「戸切地」という地名は現存しないように見受けられます。初見で「へきりち」と読むのもなかなか難しそうですからね。

ただ「へきりち」と読むことがわかった時点でアイヌ語としては随分と解釈しやすくなりました。山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように紹介されていました。

戸切地 へきりち
 上磯町内の地名。川名。戸切地川の川口は,久根別川,大野川の川尻のすぐ西の処である。戸切地は古い時代からペケレ・ペッ(peker-pet 清澄な・川)と理解されてきた。濁川である久根別と対照された名なのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.431 より引用)
はい。peker-pet で「清冽な・川」と考えて良さそうです。久根別(kunne-pet)との対照にあるというのもなるほどなぁ、と思わせます。

清冽な水を好む鮭は,濁り水の久根別(大野川)の方には上らないで戸切地川の方にだけ上ったという。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.431 より引用)
あ、これは久根別川が大野川の支流だったことを認識していないとトラップに引っかかりそうですね。戸切地川と久根別川の河口は、現在は随分と離れていますが、前述の通り久根別川は大野川と合流してから函館湾に注いでいたので、「きれいな川」と「濁った川」が 150 m ほどの間隔で並んでいたことになります。

そう言えば、両河川の間にある駅は「清川口」と言うのでした。ということで何故かもう一度「駅名の起源」から。

  清川口(きよかわぐち)
所在地 (渡島国) 上磯郡上磯町
開 駅 昭和 31 年 10 月 1 日 (客)
起 源 北方約 4 km にかつて松前城の「とりで」清川陣屋跡があり、その付近に清川部落もあって、この部落に行く一番近いところにあるのでこう名づけられたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.14-15 より引用)
あっ! そういうことかー。「戸切地」という地名は現存しないと記しましたが、なるほど現在は「清川」に変わったのですね。アイヌ語の音訳地名が意訳地名に変わったという、ありそうで意外とない事例のひとつだったようです。

矢不来(やふらい)

yange-nay
陸揚げ・沢
(典拠あり、類型あり)
上磯と茂辺地の間に山裾が海のすぐ近くまで迫っているところがあるのですが、「矢不来」はそのあたりの地名です。同名の川も流れていますね。

昔のアイヌは、川向うなどから特定のターゲットに弓矢を放ち、矢が届いたら吉兆であるので狩りに出かけると良い、という風に願掛けをしていたと言います。上川と白滝の間には「チトカニウシ山」という山が聳えていますが、これも chi-tukan-ni-us-i だったのではないかと言われていますね。

また「愛冠」(あいかっぷ)という地名も「(弓矢が)届かない」という意味の aykap ではないかと考えられていますが、これも弓占いに関係のある地名ではないかと言われています。

さて、アイヌの弓占いの風習をささっとおさらいした上で「矢不来」の意味を読み解いて見ましょう。山田秀三さんの「北海道の地名」には次のようにあります。

矢不来 やふらい
 函館湾の西端に近い処で,海岸に山が迫った土地。昔は「やぎない」のように呼んだ場所であった。矢不来川という小川が流れている。今は何もない処であるが,元禄郷帳の昔から「やげ内村」と書かれた。古くは然るべき部落があった場所であろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.432 より引用)
ふむふむ。そう言えば永田地名解にこんな記載がありました。

Yange nai  ヤンゲ ナイ  陸揚場 「ヤングシリ」ヲ焼尻ト云フガ如シ後人矢不來ト書キテ「ヤギナイ」ト訓スルハ僻事ナリ好事者説ヲナシテ云フ下國氏アイヌト戰ヒシトキ「アイヌ」ノ矢來ラズ故ニ名クト此説固ヨリ取ルニ足ラズ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.153 より引用)※ 原文ママ

あ(汗)。何のことは無い、「ヤギナイ」という音に「矢不来」という字を当ててしまったが故に「やふらい」と誤読されるようになった、というオチだったようです。「ヤギナイ」は yange-nay、即ち「陸揚げ・沢」と考えて良さそうです。

「矢不来」という字から、下國氏がアイヌと戦った時に「矢が来なかったから」という地名俗解もあったというのは面白いですね。そういや誰ですか、「アイヌの弓占い」の話を始めたのは!

この地名を,昔の人たちは東北弁で「矢が,来(け)ない」という言葉に当てて,矢不来と書いたのだろうが,それでは読みにくいので,後に「やふらい」と音読みにして呼ぶようになつたものらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.432 より引用)
なるほどねぇ。「ケ」が「来」に化けた理由を東北のイントネーションに求めるあたりも、確かにありそうな気がします。

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