2017年7月30日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (459) 「七飯」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

七飯(ななえ)

nu-an-nay?
豊漁・である・沢
na-nay?
もっと?・沢
nam-nay?
冷たい・沢
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
函館市の北、北斗市の東にある町の名前です。七飯町は町域の真ん中に分水嶺があり、南は函館平野、北は大沼公園と全く違った側面を見せています。

まずは定説から

JR 函館本線に「七飯駅」があります。ということで「北海道駅名の起源」を見てみましょうか。

  七 飯(ななえ)
所在地 (渡島国)亀田郡七飯町
開 駅 明治 35 年 12 月 10 日(北海道鉄道)
起 源 アイヌ語の「ヌ・アン・ナイ」(漁のある川)から「ナンナイ」となり、それに七重の字を当てたが、明治 35 年 4 月 1 日飯田村と合併して七飯村としたので、その村名の「七飯」からとったもの。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.4 より引用)
ふむふむ。nu-an-nay で「豊漁・である・沢」と考えたのですね。

上原熊次郎曰く

山田秀三さんの「北海道の地名」には、上原熊次郎の説と永田方正の説が併記されていました。

七飯 ななえ
 町名,駅名。意味ははつきりしない。上原熊次郎地名考は「七重(なない)。夷語ナアナイなり。則多く渓間有と云ふ事。ナアとは幾等もと申事。此辺渓沢の多く在故地名になすと云ふ」と書き,永田地名解は「ヌ・アン・ナイ。豊沢。急言してナンナイと云ふ。和人ナナイと云ふは訛なり。この地名は今の七重浜なる石川の末流に附したる名なり」と書いた。どっちも何か判然としない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.430 より引用)
意外なことに、山田さんは nu-an-nay 説にも若干懐疑的なようでした。上原熊次郎の説は na-nay で「もっと・沢」か、あるいは na-na-nay で「もっと・もっと・沢」だったのでしょうか(そんな用法があったかな……と思ったのですが、田村すず子さんの辞書にちゃんと記されていました(汗))。

永田地名解の検討

永田地名解の註に「今ノ七重濱ナル石川ノ末流ニ附シタル名ナリ」とありますが、「石川」は七重浜の東側を流れる「常盤川」の支流の名前です。一方、七飯駅のあたりは「久根別川」が流れていますが、久根別川は石川の支流ではなく、七重浜の西で海に注いでいます。

これをどう考えたものか……という話ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、「ク子ヘツ」の支流として「石川」という川が描かれていて、また、「七エハマ」の上(東側)に「トキハキ川」(現在の「常盤川」?)という川が描かれています。これはつまり、えーと……どういうことでしょう?(汗)

「竹四郎廻浦日記」を見ていて、面白いことに気づきました。

     ク子ベツ
板橋有。川巾十余間。此川峠下村の端にて渡りし川の末流也。越て右の方有川村道、左り箱館えの本道。
     水 堀
     コフキ浜
     七 重 浜
此処にて休息致し一蓋を傾け、其次聞(ま)て行侭、
     七 重 川
此河源は七重村より来る故に号るか。此川有川亀田村の境也。巾五・六間、遅流にして深し。魚類は鯽魚・土鰍・似嘉魚・トケヨロ等有り。此橋は文化度羽太・戸川の両鎮台の決断にして架られ、其名を常盤木橋と号られし也。思出すまゝ降積る雪を項かぬ斗りして渉り行。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.605 より引用)
これで「トキハキ川」の謎が解けましたね。どうやら「常盤木橋」を川の名前と解釈してしまった、というオチなのでは無いでしょうか。そして永田方正が「豊漁の沢」とした川が、現在の「常盤川」であると考えられそうです。

七重川は七重村を流れていたのか

最後に残った謎が「果たして七重川は七重村を流れていたのか」ということです。「竹四郎廻浦日記」の記述からは、七重浜を流れる「七重川」は現在の「常盤川」であると読み取れます。また、永田地名解の記述もこの解釈と矛盾の無いものです。

ところが、常盤川、あるいはその支流である石川も、せいぜい桔梗のあたりまでしか遡ることができません。というのも、函館市と七飯町の間に「蒜沢川」(にんにくざわ──)が流れているのですが、蒜沢川は久根別川の支流です。従って七飯町域に「常盤川」「石川」の源流を求めることはできません。

そして、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ク子ヘツ」の支流として「七重」という川が描かれています。この「七重」は「中スタ」と「水ナシサワ」の間を流れているとされているのですが、面白いことに「中須田川」と「水無沢川」という川が現存しています。「中須田川」と「水無沢川」の間には「鳴川」という川が流れているので、これを「七重」と認識されていた可能性も考えられます。

ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」では「七重」よりも「中スタ」のほうが長大河川として描かれているので、元々は「中須田川」が本流で、どこかのタイミングで「鳴川」に水をバイパスさせた可能性もありそうに思えます。

ということで、ここまででわかったことは、松浦武四郎さんが「七重村から来てるから七重川じゃね?」と書いたことがどうやら違うんじゃない? ということです。今でこそ鉄道も国道も桔梗から七飯を経由していますが、松浦武四郎の時代は大野経由の道を使っていたようで、七飯のあたりにはあまり注意が払われなかった、というオチなのかもしれません。

まとめ

今更ながら、「角川──」(略──)を見ておきましょうか。

地名の由来は,「北海道蝦夷語地名解」「北海道駅名の起源」にアイヌ語のヌアンナイ(豊かな沢,漁のある谷川の意),「蝦夷地名考井里程記」にはナアナイ(多く渓谷有るという意),
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1051 より引用)
うんうん、そうでしたよねぇ。

「アイヌ地名考」にはナムナイ(冷たい流れ又は谷の意)によるという各説がある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1051 より引用)
え(汗)。でも、なんかこの説も意外とアリなんじゃないかなぁと思えてきました。大胆な仮説ですが、「七重浜」(北斗市)と「七重」(七飯町)の由来は実は別で、「七重浜」が nu-an-nay で「七重」が na-nay あるいは nam-nay だと考えると、割と自然な形に落ち着くように思えるんですよね。

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