(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚沢部(あっさぶ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
江差町の東隣の町の名前で、同名の川も流れています。「厚沢部」という字は随分と古くから使われていたようで、「竹四郎廻浦日記」にも「厚沢部」と漢字で表記されていました。上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には次のように記されていました。
厚澤部
夷語ハチヤムなり。則、紅粉ひわ(鶸)といふ小鳥に似たる鳥の事にて、此沢内に夥敷ある故、此名ありといふ。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.88 より引用)※ 原文ママ
永田地名解もほぼ同じ解を踏襲していました。Hacham Pet ハチヤㇺ ペッ 櫻鳥川 「アツサブ」ト云フハ訛リナリ札幌ニ「ハチヤム」アリ和人「ハツサム」ト訛ル並ニ此鳥多キヲ以テ名クふむふむ。「あっさぶ」は「はちゃむ」の訛りではないか、ということですね。そして語源は「発寒」と同じだよ、という説です。
更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
厚沢部(あつさっぶ)
厚沢部をアッサブというのはハチャム・ぺッを和人がハッサムとなまり、それからアッサブに変ったので、ハチャムとは桜鳥(むくどり)のことで、厚沢部川にこの鳥が多いので名付けられたというが、急にこの説は信じがたいものがあり、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.20 より引用)※ 原文ママ
あの……。句点「。」が見当たらないのですが……。そしてようやく次の一節で文章が締まるようなのですが、むしろ率直にアッサブを受入れた方に真実性があるように思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.20 より引用)
更科さん、流石です(汗)。更科さんがどう考えたかと言うと……アト゚サは裸、プはものであるが、アッ・サ・プ(おひょう皮を乾す川)ともとれる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.20 より引用)
うーん。atusa-p はまぁ理解できるとしても、at-sat-p はさすがに強引じゃないでしょうかね……。さて、気を取り直して続けましょう。hacham で「サクラドリ」ではないかという話ですが、知里さんの「動物編」によると「ムクドリ」あるいは「サクラドリ」は sikérpe-e-cir あるいは sikerpecir とあり、hacham とは記されていません。
ただ、次のような注が付されていました。
原注.──地名語彙として hačam がよく出てくる。永田氏によればそれは,サクラドリだという。永田氏の地名解にも次のような地名が見えている。
p. 35 Hacham putu 桜鳥川口
〃 Hacham paratō 桜鳥川の広沼
p. 36 Shi hacham 桜鳥川の氷上
〃 Pon hacham 桜鳥の小川
p. 37 Hacham ebui 桜鳥の小山
p. 70 Hacham pet 桜鳥川
p. 149 Hacham pet 〃
原注.──石狩国夕張郡にハチャムペッという川があり,永田氏は‘Hacham pet 桜鳥川’と解釈し,脚注に,千歳土人ハ「ハチヤム」ヲ「ヌコヤ」ト云フ,と記している。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 動物編』」平凡社 p.182 より引用)
すんごく充実した注ですね……(汗)。知里さんは、ご自身が調べた限りでは hacham を「サクラドリ」とする用法を確認できなかった、しかし永田地名解等に用例が多数確認できているので「注記」としてその旨を書き添えた、と言ったあたりでしょうか。ということで、今日のところは hacham で「サクラドリ」なんだよ、としておこうと思います。俄虫(がむし)
(典拠あり、類型あり)
厚沢部町を東西に貫く国道 227 号は「俄虫橋」で厚沢部川を渡り、町の中心街に入ります。かつては中心街自体の集落の名前が「俄虫」だったのですが、いつの間にか「本町」(ほんちょう)に改められてしまいました。永田地名解には次のように記されていました。
Kamui ushi カムイ ウシ 熊多キ處 俄虫村ノ原名
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.148 より引用)
ふーむ。この違和感は何でしょう。確かに函新と言えばクマですが……。kamuy には「クマ」という意味もありますが、元々は「神様」に相当する概念なので、単に -us-i で受けるのではなく -e-rok-i とかで受けたり、あるいは皆さんよくご存知の -kotan で受けたりすることが多いと思うんですよね。
山田秀三さんも、「北海道の地名」で次のように記していました。
熊の場合,ウシで呼んだろうか疑義はあるが,
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.442 より引用)
そうなんですよねー。他に資料がない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.442 より引用)
(汗)ということで、今日のところは(あれ?) kamuy-us-i で「熊・多くいる・ところ」としておこうと思います。
安野呂川(あのろ──)
(典拠あり、類型あり)
「俄虫橋」の北側(下流側)、厚沢部町役場のある「新町」のあたりで厚沢部川と合流する北支流の名前です。現在は厚沢部川の支流という扱いですが、「東西蝦夷山川地理取調図」では「フシキト」の隣に「アンヌル川」との記載があります。どうやら元々は「アンヌル川」が本流だったのが、いつの間にか厚沢部川が本流になってしまったみたいですね。ただ、「竹四郎廻浦日記」には異なる記述がありました。
大 川むー。ここまでしっかり書かれていると、「東西蝦夷山川地理取調図」のほうが間違いだったのかな、とも思えてきます。ただ、安野呂川の原名が「アンヌル川」だとする点ではどちらも同じようですね。
此処二股に成る也。右の方本川すじ。厚沢部川と云。左りをアンヌル川筋と云。何れも大川なれども少し厚沢部の方大きし、よって大川と号るなり。
永田地名解には次のように記されていました。
An ruru アン ルル 山向フノ海岸 安野呂(川、村)ノ原名十勝ノ「シアンルル」夕張郡ノ「アンルル」ヲ參考スベシ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.149 より引用)
ん、これはどういうことだろう……と思ったのですが、山田秀三さんの「北海道の地名」を見て疑問が氷解しました。この川筋を溯り山越えして噴火湾の落部に出るのが古い時代の交通路であった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.442 より引用)
ああっ、なるほど! 確かに安野呂川沿いを道道 67 号「八雲厚沢部線」が通っています。anrur←ar-rur(山の向こう側の・海)の意。元来は噴火湾側の人が,山を越えた日本海側の土地を指した名であったろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.442 より引用)
そういうことだったんですね。「安野呂」は an-rur で「反対側の・海」と解釈して良さそうです。www.bojan.net
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