(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鮪歌(しびうた)
(典拠あり、類型あり)
国道 229 号の「豊浜トンネル」(崩落事故を起こしたトンネルとは別です)を抜けると、豊浜、そして花磯(元は tanne-iso だったとか)を抜けて、鮪ノ岬を「鮪ノ岬トンネル」で抜けます。トンネルを出たところを「鮪歌三ッ谷川」が流れています。このあたりの現在の地名は「潮見」ですが、もともとは「鮪歌」という地名だったようです。ちなみに「鮪」という漢字は「まぐろ」または「しび」と読むようで、「しび」はクロマグロ、ビンナガマグロ、キハダマグロの異名……とあります(参考)。
この「鮪ノ岬」、上から見ると確かにマグロのお頭のようにも見えなくも無いのですが、永田地名解には次のようにありました。
Shi pit シ ピッ 大岩 「シ」ハ大ナリ「ピッ」ハ大小石ノ總名ニシテ小石ノミヲ云フニヲラズ此處二丈或ハ三丈許ノ柱石重疉シテ一岬アナス俚人訛リテ「スボノ」岬ト云ヒ又其小祠ヲ「スボノ」社ト云フ
えーと、「pi は小石だけを意味するんじゃないよ」というのが永田氏の言い分のようですね。海中に聳える大岩であれば suma だったり iso あたりが使われそうなのですが、改めて「鮪ノ岬」を空から見てみると、水没した柱状節理であることが良くわかります。なるほど、これを指して si-pi と呼んだのかもしれません。
柱状節理はちょうど海面レベルの高さになっているので、その後ろには小石の浜も広がっています。これを si-pi-ota で「大いなる・石・砂浜」と呼んだのでしょうね。
可笑内川(おかしない──)
(典拠あり、類型あり)
乙部町の国道 229 号は小さな岬の間を縫って走ります。鮪ノ岬の次に「琴平岬」、そして「穴澗岬」を通り過ぎたところで「可笑内川」を渡ります。穴澗岬の直下南側が可笑内川の河口です。北風を避けるにはいい地形のようで、現在も 20 軒ほどの建物があるように見えます。
永田地名解には次のように記されていました。
O kashi nai オ カシ ナイ 丸小屋アル澤 川尻ニ丸小屋アリ故ニ「オ」ト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.147 より引用)
ああ、やはり。似たような地名は道内各所にとどまらず東北にも存在しますが、o-kas-nay で「河口・仮小屋・沢」なのでしょうね。知里さん風にアレンジするなら、元々は o-kas-un-nay だったのかな、とも思われます。突符川(とっぷ──)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
可笑内川の河口から更に南に向かうと道の駅があり、その近くに「突符岬」があります(地名は「元和」)。さらに南東に向かうと「突符川」が流れています。突符川の河口のあたりの地名は「栄浜」ですが、かつては地名も「突符」だったようです。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のように記されていました。
突符山(とっぷやま)
乙部と八雲の境の山。ト゚プ・ウㇱで根曲竹の多い意か。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.21 より引用)
ここで言う竹は top の筈なので、「ト゚プ」(tupu)よりは「トㇷ゚」と記すのが適切かもしれません。一方、山田秀三さんは「北海道の地名」で次のように記していました。
突符川 とっぷがわ
乙部のすぐ北の処を,永田地名解は次のように書いた。
ポン・モ・ナイ(小さい・静かな・川)。元禄郷帳に小モナイとある是れなり。今小茂内(こもない)村と称す。
オンネ・モ・ナイ(大きい・静かな・川)。元禄郷帳に大モナイとある是れなり。今突符村に属す。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.442 より引用)
ふむふむ。そう言われてみれば、確かに「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ヲモナイ」「コモナイ」と記されています。「ヲカシ」の少し先に「トツフ」があったのであまり深く考えていなかったのですが、どうやら本来の「突符」は「突符岬」のあたりを指していたようですね。久しぶりに「角川──」(略──)も見ておきましょうか。
とっぷむら 突符村 <乙部町>
檜山地方中部,日本海沿岸。南に突符岬,北に穴澗岬(可笑内(おかしない)岬) がある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.966 より引用)
ほう。これによると「突符岬」と「穴澗岬」の間に「突符村」があったと読めます。なるほど、現在の道の駅のあたりが本来の「突符」だったようですね。地名は,アイヌ語のトク(土地が隆起する所の意)に由来する説(北海道蝦夷語地名解),トプ(竹の意)に由来する説(えみしのさへき) があるが,むしろトク(凸起しているものの意)に由来し,現在の元和(げんな)台地によったものと思われる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.966 より引用)
「とっぷ」の由来を tuk に求めるのは、新十津川の旧名「徳富」と全く同じですね。tuk 自体は「芽吹く、成長する」と言った意味のようですが、地名の場合は「(土地が)隆起する」と言う意味にも使われるようです。tuk で「(土地が)隆起する」としておきましょうか。もともとは「突符岬」の北側の地名だったものが、「突符村」が成立した関係で南側の「ヲモナイ」の近くの地名となり、地名に引きずられて「ヲモナイ」という川名が「突符川」と名を変えて、源流部の山の名前(突符山)になった……という出世譚があったということなのでしょうね。
それにしても、新十津川の「徳富」と言い、この「突符」と言い、どちらも tuk が「トップ」という名前で残ったのはちょっと考えたほうがいいのかもしれません。もしかしたら tuk-pe で「(土地が)隆起する・もの」だったのかもしれませんね。
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