(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
岩澗川(いわま──)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
平田内川のすぐ南側を流れる川の名前です。この「岩澗川」ですが、東西蝦夷山川地理取調図で「ヲシヨマアンナイ」とある川のことではないかなぁ、と思われます。このあたりの川について、西蝦夷日誌には次のように記されていました。
并(ならび)てカマヲタ(沙地)、下戸崎(小岬)、エカウシナイ(小川)、ホンヲタウシナイ(ヲタニコロより是迄陸道)、ヲシヤルンナイ(小川)、ヲシマコマナイ(小川)、平田内(小川)、湾にして人家多し。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.13-14 より引用)
また、「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。並てしばし行、
カマヲタ 浜
ヲリトサキ 岬
ヱカウシナイ
此処え古は道有りしと。小川有。是より道よろし。並て
ホンヲタウシナイ 小川
ヒラタナイ 小川
番屋並越年屋三軒有。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.272 より引用)
あれ? 「ヲシヨマアンナイ」に相当する川が記されていません。ところが……平 島 岩島有、船は此内に懸る也。
ヤンケヲマモイ 浜
ヱカウシナイ 小沢
ホモシクヽウシナイ 小沢
ヲシヤルシナイ 小沢
ヲシヨマンナイ 小沢
ヒラタナイ 小沢
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.272-273 より引用)
なぜか「ヒラタナイ」がダブって出てきました。確かに「平田内」は熊石にも大成にもあるのですが、この「ヒラタナイ」はどちらも大成の平田内と考えるのが自然です。というのも、実は「ヒラタナイ」だけではなく「ヱカウシナイ」もダブっているのですね。おそらく「ホンヲタウシナイ」も「ホモシクヽウシナイ」に化けてダブっているのでしょう。ということで、西蝦夷日誌も竹四郎廻浦日記も「ヲシヤルンナイ」と「ヲシマコマナイ」という、似て非なる二つの川を記録しているのですが、前者はおそらく o-sar-un-nay あたりで「河口に・葭原・ある・沢」と考えられそうでしょうか。
後者は o-suma-oma-nay で「河口に・岩・そこにある・沢」あたりでしょうか。「ヲシヨマンナイ」だとすると o-suma-un-nay で「河口に・岩・そこにある・沢」でしょうか。意味するものは同じようですね。
「岩澗川」は、o-suma-oma-nay あるいは o-suma-un-nay を意訳してつけられた地名なのだろうな、と想像しています。岩澗川の河口から 200 m ほどの海中に大きな岩が二つあることから、このような川名がつけられたのでは無いでしょうか。
ヨリキ岬
岩澗川から国道 229 号を更に南に向かうと、貝取澗の手前に「ヨリキ岬」という岬があります。この「ヨリキ岬」、名前こそ岬ですが実態は単なる岩礁……に見えて仕方がないのですが(汗)。
この「ヨリキ」という名前は、竹四郎廻浦日記に出てきます。
ヤンケヲヤモヱ
と云大岩峨々たる岬を廻りて上道と出逢ふ也。此処を
ヨリキウタ
少しの砂浜。漁小屋一軒有。並てしばし行、
カマヲタ 浜
ヲリトサキ 岬
ヱカウシナイ
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.272 より引用)
どうやらこれを見る限りでは、「ヨリキウタ」という浜と「ヲリトサキ」という岬が別々に存在していたように読み取れますね。西蝦夷日誌には、次のように記されていました。
立石(大岩)、沙カイトリマ〔砂貝取澗〕(人家)、小岬を越て稲荷石(大岩)、釣懸石(岩門)、廻りてヤンケヲヤモエ(岩岬)、廻りて寄木ヲタ(小澗)、寄木多き故號く。ヲタは沙の事也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.13 より引用)
あっ、なるほど。「与力」じゃなくて「寄木」が多いから「寄木ヲタ(浜)」という説なんですね。他にもいくつか可能性を考えていたのですが、そのひとつが「ヲリト」と「ヨリキ」の転記ミスの可能性です。ただ、竹四郎廻浦日記に「ヨリキウタ」という表記を見つけてしまったので、単純な転記ミスではなく、混同があったと考えたほうが自然なのかもしれません。
「ヨリキ岬」の由来ですが、今日のところは「寄木」が多いから「寄木ヲタ(浜)」説が有力かな、としておきましょう。
ツラツラ岬
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
国道 229 号をせたな町大成区貝取澗から更に南に向かうと、有名な「親子熊岩」を始めとする奇岩群が海岸線に広がります。北から移動した場合、「親子熊岩」に辿り着くまでに三つほどトンネルを通るのですが、三つのトンネルの中では最も長い「横澗トンネル」の西側に「ツラツラ岬」が広がっています。言い方を変えると、国道は「ツラツラ岬」を「横澗トンネル」でバイパスしていることになりますね。この「ツラツラ岬」、思わず頭を押さえてしまいそうですが、西蝦夷日誌には次のように記されていました。
チラチラ(大崖)、此所柱石重り崖となり、實に奇観也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.12 より引用)
あっ、なーんだ(頭を押さえていた手を放す)。竹四郎廻浦日記にも同じような内容がありました。また並びて転太石浜。
ア ナ マ 大なる穴岩有。
テレケウシ 大岩
チラヽヽ
此岩板の如き大なるが重りしもの也。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.270 より引用)
はて、「チラチラ」などと言うアイヌ語の語彙があったっけ……と思ったのですが、この説明文でピンと来ました! sirar-sirar で「岩・岩」じゃないでしょうか。「チラチラ」が東北風の訛で「ツラツラ」になり現在に至る……と言った感じではないかと思ったのですが、いかがでしょうか。荷菱内川(にびしない──)
(典拠あり、類型あり)
せたな町の名物のひとつでもある「親子熊岩」のすぐ南に「夫婦岩」という名前の岩があるようなのですが、その「夫婦岩」のすぐ近くで海に注いでいる川の名前です。一見「なんだろうこれは……」と思ってしまうのですが……時折、いや、割としょっちゅう変化球を繰り出してくることで知られる更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
荷菱内川(にぴしないがわ)
大成町長磯の北で海に入る小川。アイヌ語の意味は明らかでないが、ニペシ・ナイで科の木川のことかと思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.23 より引用)
「アイヌ語の意味は明らかでないが」と遜ってらっしゃいますが、永田地名解にも同じ解が記されているので、今回はおそらく間違いないでしょう。科の皮はものを束ねる繩として、重要視した。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.23 より引用)
そうですねぇ。シナノキの繊維は、衣服としてはオヒョウの繊維に負けるところがありますが(主に肌触りとか)、縄を編むには強度の面で良かったのかもしれませんね。ということで、荷菱内川は nipes-nay で「シナの木の川・沢」だと見て良いかと思われます。www.bojan.net
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