(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
太田(おおた)
(典拠あり、類型あり)
日本中に少なからず存在すると思われる「秘境神社」の中でも、トップクラスの難易度を誇る「太田神社」のあるところです。まぁ、どう見ても和名っぽいのでスキップしてもいいかな、と思いますが……。西蝦夷日誌には次のように記されていました。
地名何の轉ぜしや、今は太田と書。是を古老に審(ただす)に知る者なし。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.24 より引用)
ところが、永田っち(やめなさい)の「北海道蝦夷語地名解」には、こんなことが記されていました。Mo ota モ オタ 小濱 太田村ノ原名、和人「オホタ」ト云フハ「モオタ」ノ訛リナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.141 より引用)
なんと! そう言われてみれば、確かに「東西蝦夷山川地理取調図」にも「モヲタ」という文字がしっかりと記されています。上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」にも、ちゃんと次のように記されていました。
ヲータ
按に夷語ヲタなるべし。則、砂の事にて。此海岸砂濱なる故、此名ある哉。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.87 より引用)
山田秀三さんの「北海道の地名」にも記載がありました。太田というと日本語風であるが,田なんかあった処ではない。約 1.7 キロの砂浜の土地が太田である。オタ(ota 砂浜)から来た名であろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.448 より引用)
いやいや~、これは盲点でしたね。山田さんは ota ではないかとしましたが、個人的には永田っちの説に心惹かれるものがあります。mo-ota で「小さな・砂浜」と考えてみたいです。砥歌川(とうた──)
(? = 典拠あり、類型未確認)
太田神社(太田山神社)の北を流れる川の名前です。大成区太田の集落は砥歌川の河口部に形成されています。竹四郎廻浦日記には「トワヲタ」という地名が記録されていました。東西蝦夷山川地理取調図にも同名の記録があります。これらの記録を元に永田地名解を見てみたところ……
Toa ota トア オタ 彼方ノ濱 太田村ニ小澤アリ「トワオタ」ト云フハ「トアオタ」ノ訛リナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.141 より引用)
なるほど。toan-ota で「あそこにある・砂浜」と考えたのですね。確かに太田のあたりは砂浜が珍しい地形なので、「彼方にある砂浜」という解も頷けるものがあります。あるいは、もしかしたら……ですが、tuwar-ota で「生ぬるい・砂浜」という可能性はあったりしないでしょうか。砂浜にぬるめの温泉が湧いていたりしたら面白そうなのですが。
あと、これは余談になるのですが、竹四郎廻浦日記にこんな記述もありました。
トワヲタ川
トワヲタの直に北也。此処よりあら砥石出る也。又上砥も出るよし。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.280 より引用)
ふーむ。現在「砥歌川」という漢字が当てられているのは、よく出来た偶然なんでしょうかね。帆越岬(ほごし──)
(典拠あり、類型あり)
太田集落は南北を険しい山に挟まれていて、南の久遠に出るにも「帆越山トンネル」を通らないといけません(以前は海沿いに道路があったのですが、今は廃道になっています)。帆越山トンネルの上に「帆越山」があり、帆越山の西に「帆越岬」があります。「帆越岬」の名前は西蝦夷日誌にも記されています。
左り眼下にホグシ〔帆越〕(小岬)、ホロホグシ(大岬)、ホツケ澗(小澗)の上を過(すぐ)、一歩を過(あやまて)ば數仭の断崖より海底に身を沈むの嶮所也。其ホグシは帆卸の轉か。此岬を過る時は必ず帆を少し下げ太田山を拜し行が故號ると。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.25 より引用)
ということで、松浦武四郎は「帆越」は和名じゃないかと考えていたようです。一方、永田地名解には全く違う解が記されていました。
Poro pok ushi ポロ ポㇰ ウシ 大蔭 大崖ノ下ト云フ義ナリ和人岬名トナシ帆越岬(ホゴシサキ)ト云フハ誤ル松浦日志ニ「ホゴシ」ハ帆卸(ホオロシ)ノ義ナリト云フハ最モ誤ル
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.142 より引用)
永田っちの「上から目線」が炸裂していますが、今回はおおよそ妥当な感じがします。「帆越」は pok-us-i で「下・そこにある・もの」と言ったところでしょうか。www.bojan.net
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