2017年5月31日水曜日

江差線日帰りの旅「木古内駅 11:45」

真打ちの青函トンネルを抜けた後も「律儀にトンネルアナウンス」シリーズは続きます。まずは「第 1 森越トンネル」から。
続いては、第 1 があるなら……第 2 もあります!
そして第 2 があるなら……第 3 もありました!
おおっ。珍しく綺麗に揃いましたね! ……と言いたい所ですが、地図を見ると他にも二つほどトンネルがあった模様。

木古内付近 11:45

知内から続いたトンネル群を抜けると、ついに木古内町に入ります。
電光掲示のピクトグラムも、ちゃんとトンネルを抜けて木古内に近づいていますね。
11:44 頃、津軽海峡線は新幹線(当時工事中)と離れ、地上に降りてゆきます。
新幹線の下に江差線の踏切が見えてきました。
道道 5 号「江差木古内線」の踏切を渡ります。隣に見えているのが江差線の線路ですね。

木古内駅 11:45

11 時 45 分、特急「スーパー白鳥 11 号」は、約 2 分遅れで木古内駅に到着しました。
跨線橋の向こう側の 4 番線には、11:45 発(予定)の江差行きが停車しています。

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2017年5月30日火曜日

江差線日帰りの旅「青函トンネル 11:20」

特急「スーパー白鳥 11 号」の車内で、いつ青函トンネルに入るのか、入る入る詐欺にあったような面持ちでヤキモキしていたところ……
「それ、はよ言えや」と全力でツッコミを入れたくなるのをグッと我慢しつつ……
11:20 頃、ついに青函トンネルに入りました! ちゃんとトンネルの中に特急電車のマークが描かれているのがいいですよね。

吉岡海底駅付近 11:31

竜飛海底駅、トンネル最深部を通過して、11;31 には吉岡海底駅(当時は閉鎖中)を通過しました。閉鎖中だったのにちゃんと案内はされていたんですね。
トンネルの中の「特急電車マーク」も、しっかりと木古内側に移動しています。

知内駅付近 11:39

11:39 頃、予定より 3~4 分ほど遅れで、ついに北海道に入りました!
青函トンネルを抜けて、お隣の「第 1 湯の里トンネル」を抜けると、知内川、そして知内川にかかる国道 228 号の「萩茶里橋」が見えてきます。青函トンネルを抜けて北海道にやってくる列車を眺められるビュースポットとして多少は知られた存在でしょうか。
津軽海峡線が国道 228 号をオーバークロスしたところに当時存在していた「知内駅」を通過します。現在は客扱いが無くなり「湯の里知内信号場」に名前が変わっていますね。

第 2 重内トンネル 11:41

車内の電光掲示板は、青函トンネルを抜けた後も、律儀にトンネルの名前をアナウンスし続けます。
「第 2 湯の里トンネル」に続く「第 1 重内トンネル」……
そして「第 2 重内トンネル」を続けて通過します。

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2017年5月29日月曜日

江差線日帰りの旅「第 3 浜名トンネル 11:14」

11:11 に、「スーパー白鳥 11 号」は津軽今別駅付近にやってきました。あ、11 つながりですね(何を今頃)。
「津軽今別駅」は現在の「奥津軽いまべつ駅」の場所にあった駅で、津軽線の「津軽二股駅」と歩いて乗り換えができました(隣接しているもののあくまで別の駅という扱い)。津軽海峡線の新幹線乗り入れ工事の関係で、当時既に停車する列車は無かったと記憶しています。一両だけ停まっていた車輌は、かつて快速「海峡」に使われていたもの……でしょうか?
新幹線と在来線が共用する駅にするための工事が進んでいました。現在の配線を見た感じでは、ちょうど重機のあるあたりに在来線の線路が敷設されている感じでしょうか。
当時は津軽海峡線の「津軽今別」という駅だったので、一応ふつーにホームがありました。ただ、在来線の規格のホームがあると新幹線が通れなくなるので、一旦ホームを撤去して作り直そうとしていた……と言ったところでしょうか。

大川平トンネル 11:13

津軽今別駅を通過すると、再びトンネルに入ります。次のトンネルは「大川平(おおかわだい)トンネル」でした。
完全に焦らしプレイ絶賛続行中で、次は……
「第 1 今別トンネル」、そして……
第 1 があるなら第 2 もね、と。

第 1 浜名トンネル 11:14

500 m ほど陽の光を浴びたその後は……
「第 1 浜名トンネル」、そして……
「第 2 浜名トンネル」が続きます。いつ青函トンネルに突入するかとワクワクしながら待っているのに、一向に突入する気配がありません。その後もトンネルが続き……
そろそろ関西人が全力でツッコミを始めた頃でしょうか。

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2017年5月28日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (441) 「ベニカモイ・長渕・生渕」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ベニカモイ

pinne-kamuy
男・神
(典拠あり、類型あり)
太櫓川下流域の地名です。太櫓川は(多くの川と異なり)下流部で随分と山が入り組んでいるのですが、現在の「ベニカモイ」は山が複雑に入り組んでいる部分の手前(上流側)の地名です。

西蝦夷日誌には、太櫓川筋の川名・地名として次のように記されていました。

フシコベツ(左古川)、ネトハツタラ、(并て)アシリハツタラ(右淵)、ホンベツ(右小川)、ホンヌタフ(大曲)、ヒンネカモイ、(井て)マチネカモイ(右小川)、是男神女神の住給ふ所也と。越てウロヽハツタラ(淵)、ホロヌタフ(大曲)、ヲサウシ(沙地)、爰(ここ)にて毎年土人鮭網を曳よし也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.33 より引用)
ちょっと長めに引用しましたが、「ヒンネカモイ」「マチネカモイ」という地名の存在を確認できました。東西蝦夷山川地理取調図にも「マツ子カモイ」「ヒン子カモイ」の文字があり、どちらも川の南側の地名(川名かも)として記されています(「ベニカモイ」は川の北側の地名です)。

西蝦夷日誌には「ヒンネカモイ」「マチネカモイ」の順に記されていますが、東西蝦夷山川地理取調図には「マツ子カモイ」「ヒン子カモイ」の順に記されています。現在の「ベニカモイ」が「ヒンネカモイ」こと pinne-kamuy だと考えるならば、東西蝦夷山川地理取調図の記載が正であると考えることになります。

もっとも、「西蝦夷日誌」も「東西蝦夷山川地理取調図」も「ヒン子カモイ」「マツ子カモイ」を太櫓川の南側に記しているので、それを「間違いである」と仮定しないといけないわけですが。

そして、そもそも kamuy とは何か、という話にも触れておかないと意味がないかもしれません。旭川にある「神居古潭」は有名ですが、kamuy-kotan、すなわち「神の住処」は、人が住むのはおろか通行するのすら憚られるような場所にあることが多いです。

そう認識しながら地形図を見てみると、酷く入り組んだ山が川のすぐ傍まで迫っているところがいくつか目につきます。この難所を指して kamuy と呼んだのかな、とふと思えてきました。

現在の「ベニカモイ」自体は田んぼが広がる川沿いの盆地ですが、西側に山が川の傍まで迫っている場所がありますので、これを指して pinne-kamuy と呼んだということでしょうか。

長渕(おさふち?)

o-sat-us-i?
河口・乾く・いつもする・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
ベニカモイから見て下流側に位置する、太櫓川の南側の地名です。戦前の地形図には「淵長(ヲサ)」とルビが振られていたので、「おさふち」または「おさぶち」と呼ぶのが正解かなぁ、と思っています(間違っていたら教えてください)。

この「長渕」ですが、西蝦夷日誌のこの記録に相当すると思われます。

ヒンネカモイ、(井て)マチネカモイ(右小川)、是男神女神の住給ふ所也と。越てウロヽハツタラ(淵)、ホロヌタフ(大曲)、ヲサウシ(沙地)、爰(ここ)にて毎年土人鮭網を曳よし也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.33 より引用)
引用部が長くなってしまいましたが、「ヲサウシ(沙地)」がそれではないかと考えました。「ヒンネカモイ」よりも上流側になるのが若干変な感じもしますが、戦前の地形図を良く見てみると、ベニカモイの南東側に「淵長」の文字があります。ちょっとした扇状地状の地形になっているあたりですね。

現在の「長渕」の位置であれば e-sa-us-i で「頭・浜のほう・つけている・もの」という解釈も成り立つのかなぁと思ったのですが、ベニカモイの南東側を指すのであればこの解は成り立たないと思われます。素直に o-sat-us-i で「河口・乾く・いつもする・もの」と考えていいのかなぁ、と思います。

生渕(なまふち?)

asir-hattar?
新しい・淵
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
長渕から見て更に下流側に位置する、太櫓川西側の地名です。国土地理院の地形図には集落の近くに「旭橋」という橋が描かれていますが、実はこの橋、既に存在しないようです(下流部にバイパスができたので)。

この「生渕」ですが、西蝦夷日誌の以下の記述を参考に考えると……

フシコベツ(左古川)、ネトハツタラ、(并て)アシリハツタラ(右淵)、ホンベツ(右小川)
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.33 より引用)
どうなるのでしょうね(ぉぃ)。ここで言う「ホンベツ(右小川)」を現在の「小川」のことだと考えると色々と整合性があるので、それから考えると「生渕」は「アシリハツタラ」である、となるのでしょうか。asir-hattar で「新しい・淵」となりますね。

asir は「新しい」という意味ですから、意訳するとしたら「新」の字を当てるのが適切に思えます(音訳であれば「走」の字を当てるケースもありますね)。「新しい」を「新鮮である」と考えて「生」の字を当てた……というのは想像が過ぎますが、あるいは「走」の字を誰かが間違えて「生」にしてしまった、とかでしょうか。これも想像が過ぎる感が否めないですが、実はありそうな話だったりします。

「長渕」の「渕」が us-i の音訳で、「生渕」の「渕」が hattar の意訳というのも出来すぎた感がありますが、先に「長渕」という地名が成立して、それを参考に「生渕」(「走渕」かも)という地名を作ったと考えれば、あながち無茶とも言えないような、そうでもないような(どっちだ)。

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2017年5月27日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (440) 「雲内・栄石・サキリカンナイ」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

雲内(くもない)

ku-oma-nay
仕掛弓・そこにある・沢
(典拠あり、類型あり)
北檜山から国道 229 号で南に向かい、若松トンネルを抜けると太櫓川流域に入ります。国道 229 号は「栄石橋」で太櫓川を渡りますが、このあたりが元々「雲内」と呼ばれていたようです。

現在の地形図を見ると、栄石橋の北側から川沿いに東に向かう道があり、その先の台地状の尾根に「雲内」の文字が見えます。表記上の問題なのか、あるいは地名の移転なのかはちょっと判別ができません。

さて、「雲内」と書いて「くもない」と読ませるらしいのですが、東西蝦夷山川地理取調図を見ると「クーヲマナイ」と記されていました。なるほど、ku-oma-nay で「仕掛弓・そこにある・沢」だったと考えて良さそうです。

「クーヲマナイ」を「くもない」としたのは、なかなかセンスがあって良いなぁと思ってしまいますね。

栄石(さっかいし)

sak-ika-us-i??
夏・溢れる・いつもする・もの
(?? = 典拠なし、類型あり)
国道 229 号の「栄石橋」の南西に位置する地名です。戦前の地形図にはその存在を確認できますが、それよりも古い記録では存在を確認できませんでした。黒松内町の「先開」や天塩町の「作返」と似た地名ではないかと考えています。

sak-ika-us-i であれば「夏・溢れる・いつもする・もの」となりそうですね。夏になると溢れる河跡湖があったりしたんじゃないかと勝手に想像していたりしますが、どうだったのでしょうか。

サキリカンナイ

sakir-ka-an-nay??
長い棒・の上・そこにある・沢
sak-iruka-an-nay??
夏・ちょっとの間・存在する・沢
(?? = 典拠なし、類型あり)
せたな町栄石の北、太櫓川の北側に位置する地名です。アイヌ語由来の地名の中でもコテコテのカタカナ地名は排除される方向にあるのが常ですが、ここはずーっと「サキリカンナイ」のままのようですね。ただ、不思議な事に「栄石」と同様に古い記録には名前が見当たりません。

sakir で「魚を干す串」あるいは「長い棒」を意味するようで、sakir-ka-an-nay であれば「長い棒・の上・そこにある・沢」と考えられそうです。地形図を見てみると、ちょっと長い目の尾根が二つあるようで、その間に若干の平地があるように見て取れます。この地形のことを指して sakir-ka-an-nay と呼んだのかな……と考えてみたりもします。

もう一つの考え方は「栄石」からの類推なのですが、sak-iruka-an-nay で「夏・ちょっとの間・存在する・沢」とも考えられるかなぁ、と。個人的にはこの解もなかなか捨てがたく感じているのですが、iruka という語彙を地名で使っていたのを見た記憶が無いのが少々厳しいところで……。

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2017年5月26日金曜日

江差線日帰りの旅「津軽トンネル 11:07」

蟹田を出発しました。次の停車駅は……木古内です!
次の停車駅が木古内ということは……これから青函トンネルを通過することになります。ということで、なんと電光掲示板にもトンネルの絵が。

中小国信号場 11:04

11:04 頃、トンネルに入る手前で「スーパー白鳥 11 号」は小休止しました。中小国信号場で信号待ちのようです(記憶違いだったらすいません)。
「スーパー白鳥 11 号」は程なく動き始めました。中小国信号場で津軽線とはお別れです。
津軽線と立体交差する形で巨大な高架橋が建設中でした。言わずと知れた北海道新幹線の高架橋ですが、2013 年 6 月時点では絶賛工事中だったのですね。

大平トンネル 11:06

「スーパー白鳥 11 号」は、青函トンネルにつながる海峡線に入りました(現在は北海道新幹線との共用区間)。そして、早速トンネルに入りました!
ご親切なことに、現在通過中のトンネル名が電光掲示板に表示されます(笑)。

津軽トンネル 11:07

大平トンネルを抜けて、600 m ほどで次のトンネルに入ります。
今度は「津軽トンネル」でした。つまり、今回も青函トンネルではありませんでした。焦らすのがお得意なんでしょうか……(汗)。

さて、焦らしプレイが絶賛開催中の車内ですが、座席前方のポケットに何やら妙なものが備え付けられていました。
なんと、「特急スーパー白鳥・白鳥 青函トンネル通過予定時刻表」なるものが用意されていました(笑)。どうやら「スーパー白鳥 11 号」が青函トンネルに突入するのは 11:10 頃とのこと。
全長 5,880 m の「津軽トンネル」を抜けると、左手に再び田園風景が広がりました。時間は既に 11:10 でしたから、青森駅を出発したときの数分の遅れがそのまま残っている感じでしょうか。

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2017年5月25日木曜日

江差線日帰りの旅「蟹田駅 10:57」

函館行きの「スーパー白鳥 11 号」は、青森駅を 3 分ほど遅れて出発しました。
青森駅を出て割とすぐのところにあるのですが、看板の文字と言い錆び具合と言い、なかなか雰囲気がありますよね(汗)

滝内信号所付近 10:37

滝内信号所を過ぎ、津軽線が奥羽本線と分かれて右にカーブすると、左手に車庫のような線路が見えてくるのですが……
こちらの車輌は雨ざらしのまま、随分とくたびれた感じですね。以前に常磐線を走っていた 651 系(だったかな)のように見えます。
651 系?はリニューアル工事が行われるのを待っていたのかな……と思ったのですが、こちらの 211 系は……解体待ちでしょうか。これもおそらく首都圏を走っていた車輌だと思うのですが、何故かわざわざ青森まで運ばれていたんですね。一体何のために……?(部品取りとかあるんでしょうか?)

油川付近 10:42

「スーパー白鳥 11 号」は、次の停車駅・蟹田に向かいます。
窓の外には東北の田園風景が広がります。北国だけあって田植えも遅そうな感じでしょうか。
メインはもちろん田んぼではなくて、田んぼの向こうに見える高架線です。工事中(当時)の北海道新幹線の高架が見えますね。結構工事が進んでいるんだなぁ……という印象でした。

蟹田駅 10:57

「スーパー白鳥 11 号」は、10:57 に、やはり 3 分ほど遅れて蟹田に到着です。

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