(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
チブタウシナイ川
(典拠あり、類型あり)
今金町の市街地ど真ん中を流れる川の名前です。東西蝦夷山川地理取調図には「チフタウシ」とありますが、丁巳日誌「報登宇志辺津日誌」には少々違う形で記されていました。又針位午に取て一ツ曲り、又酉戌と取て五六丁下り、
チツフウシナイ
右の方小川有。此処昔し船を打立しと云処のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.429 より引用)
……まぁ、これは誤差の範囲なんですけどね。永田地名解には次のようにありました。Chip ta ushi チプ タ ウシ 舟材ヲ取ル處はい。これでほぼファイナルアンサーでは無いでしょうか。chip-ta-us-i で「舟・切る・いつもする・ところ」と考えて良さそうな感じです。
トマンケシナイ川
(典拠あり、類型あり)
チブタウシナイの西側を流れる川の名前です。後志利別川の北側を流れています。東西蝦夷山川地理取調図には「トマケチシ」とありますが、何か謎な感じがしますね。現在の川名は「トマンケシナイ川」ですが、丁巳日誌「報登宇志辺津日誌」には次のように記されていました。
又針位午に取て凡七八丁も下るや
トマンケシ
右の方小川。此辺平地にて樹木多くは赤たもの木のみ也。トマムは大谷地の事。ケシは落の事也。大谷地の水の落口と云儀なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.429-430 より引用)
あー、なるほど。tomam-kes-nay で「泥炭地・末端・沢」でしょうか。東西蝦夷山川地理取調図の「トマケチシ」が少々謎ですが、誤字でなければ tomam-kes-chis(-nay) とかでしょうか。「泥炭地・末端・中凹み・沢」と考えてみたんですが……。オチャラッペ川
(典拠あり、類型あり)
チブタウシナイ川とトマンケシナイ川は後志利別川の北側の支流でしたが、オチャラッペ川は南側の支流です。後志利別川の支流の中でも長いほうかと思います。音からは「河口に葭原のある川」のようにも思えたのですが、どうやら全然違っていたようで……丁巳日誌「報登宇志辺津日誌」には次のようにありました。
また針位午に取一丁過て申酉に取てしばし行、
ヲイチヤヌンベ
左りの方相応の川、川筋巨材多くして山稼の者等多しと。源フトロ川口の後ろより来るよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.430 より引用)
意味については、永田地名解の記載が参考になるでしょうか。Penke oichanunbe ペンケ オイチャヌンベ 上ノ鮭卵場
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.132 より引用)
はい。penke-o-ichan-un-pe で「川上の・河口・鮭の産卵場・持つ・もの」と読み解けそうですね。「川上の・河口」が一見意味不明に思えますが、「川上の」は他の支流と比較して「川上の側にある」という意味で、「河口」は「ペンケオイチャヌンベ」自身の河口を意味します。何故「オチャラッペ川」が「ペンケ──」なのかは……続きますね。パンケオイチャヌンベ川
(典拠あり、類型あり)
オチャラッペ川の西側(後志利別川の川下側)を流れている支流の名前です。はい、何のことは無くて、「パンケオイチャヌンベ川」はしっかりと現役の川の名前として残っていたのでした。でも、これだと何故「ペンケオイチャヌンベ」だけ「オチャラッペ川」に転訛したのかが謎に思えてきますね。あるいは本当に o-sara-un-pe (河口・葭原・持つ・もの)という別名?があったのかな、とすら思えてきます。丁巳日誌「報登宇志辺津日誌」には次のように記されていました。
針位戌に取一丁下り、酉・申・未・午・巳・午・未・申と廻りて
コイチヤヌンベ
左りの方相応の川、此辺平地、またハンケイチヤヌンベとも云よし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.430 より引用)
はい。丁巳日誌には「ヲイチヤヌンベ」と「コイチヤヌンベ」というコンビで記されていたようですね。「コイチヤヌンベ」というのはちょっと耳慣れない感じがします。やはり「ハンケイチヤヌンベ」のほうが親近感がありますよね(何故か「オ」が無いですが……)。「パンケオイチャヌンベ川」ですが、panke-o-ichan-un-pe で「川下の・河口・鮭の産卵場・持つ・もの」と考えて良さそうな感じがします。
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