2017年4月23日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (435) 「後志利別川・チュウシベツ川・カニカン岳」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

後志利別川(しりべしとしべつ──)

tu-us-pet?
峰・そこにある・川
tus-pet?
縄・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
今金町の最北部(長万部岳の北西)を水源に、今金町東部を南に流れ、その後大きく S 字状に蛇行して西に向かい、せたな町北檜山区で日本海に注ぐ川の名前です。非常に清冽な川として知られ、国土交通省の調査では 1987 年から 2015 年までの 29 年間に 16 回も「水質が最も良好な河川」に選出されています。

http://imakane.a19.jp/imashun/2855.html の情報と照らし合わせて考えると、おそらく現在も通算回数は日本一だと思われます。お隣の「尻別川」が僅差で追い上げていますが……。

さて、「後志利別川」という名前ですが、もともとは「トシヘツ」で、十勝の「利別川」と区別するために「後志」を冠しています。

上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には次のように記されていました。

ツ゚ゥシベツ
 夷語ツ゚ゥシベツなり。山崎の有る川と譯す。扨、ツ゚ゥとは山崎の事。ウシとは生す。ベツは川の事にて、此川筋所ヾに山崎の有る故、地名になす由。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.87 より引用)
tu-us-pet で「峰・そこにある・川」と考えたようですね。「西蝦夷日誌」にも同様の解が踏襲されています。

名義、西地にての説はツウシベツにて、ツウは山崎の義、シは甚敷、又至て抔(など)と云。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.35 より引用)
一方で「東蝦夷日誌」には違う解が記されていました。

其中はトシベツ〔利別〕(是本川)、繩川との義。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.27 より引用)
十勝の「利別川」と同じく(更科説は違いましたが) tus-pet で「縄・川」と考えたようですね。ちなみに tus は「蛇」の隠語だったようで、つまりは「蛇行する川」と解釈できるのだとか。

永田地名解は「東蝦夷日誌」の解を踏襲していました。

Tush pet  ト゚ㇱュ ペッ  蛇川 直譯綱川十勝國ニ「トシュペッ」アリ義同ジ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.131 より引用)
さてさて。どう考えたものでしょうか。後志利別川の流域で特徴的な地形と言えば、やはり今金町花石から住吉にかけての大きく蛇行しているあたりです。これを tu-us-pet と呼んだというのは蓋然性のある仮説に思えます。

国道 230 号は川沿いを大きく迂回していましたが、国鉄瀬棚線は花石トンネルで一気にショートカットしていました。現在は瀬棚線の廃線跡を国道が通っていて、後志利別川沿いの旧道は道道 936 号に変わったようです。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
一方で、たとえば今金町とせたな町の町境を見てみても、かつての後志利別川がそれなりに蛇行していたことも事実のようです(ついでに言えば、いくつか河跡湖もあったようですね)。そこから「縄・川」あるいは「蛇・川」と考えたというのも妥当な解釈に思えます。

個人的な好みで言えば(コラ)、tu-us-pet で「峰・そこにある・川」のほうがユニークな感じがします。これが tu-us-pettus-pet のダブルミーニングだったりしたら洒落てますよねぇ。

チュウシベツ川

chiw-us-pet
水流(波)・多くある・川
(典拠あり、類型あり)
美利河ダムによって形成された「ピリカ湖」に西から注ぐ川の名前です。川にかかる道道 836 号の橋の名前は「忠志別橋」ですが、川の名前はカタカナの「チュウシベツ川」です。

丁巳日誌「報登宇志辺津日誌」には次のように記されていました。

弐丁計も上るや左りの方
     チウシベツ
此処チウシベツといへる当川第四番の支流の落口にて有けるが、此辺惣て大岩並に赤磐にて、水急流也。地名チウシベツは汐早き川と云事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.439 より引用)
また、永田地名解には次のように記されていました。

Chi ush pet  チウ ウㇱュ ペッ  急流ノ川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.136 より引用)
ふむふむ。chiw-us-pet で「水流(波)・多くある・川」と言ったところでしょうか。水が多いのではなく、波打っている川と言った雰囲気なのでしょうね。

カニカン岳

kane-kar-nupuri
金・採る・山
(典拠あり、類型あり)
今金町北部の山の名前です。ほのかにプロレタリア文学の匂いが感じられますが、実際に「蟹寒」という字が当てられることもあったようです。

丁巳日誌「報登宇志辺津日誌」には次のように記されていました。

此源
     カニカンノホリ
は、其嶺は山越内領に有て、其北より西はシマコマキ領スツヽ領並距る。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.443 より引用)
少し地誌的な記述が続いたあとに、名前の由来が記されていました。

西南にても七金の気多きが故にカニカンノホリの名有る也。之はカニカルノホリなるを訛りしにて、カニは金、カルは取る、ノホリは岳と云事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.443 より引用)
ちょっとズッコケそうになったのですが、どうやら kane-kar-nupuri で「金・採る・山」だったようです。プロレタリア文学の匂いはどこへやら、一攫千金の山師の世界へようこそ……と言った感じになりましたね(汗)。

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