2017年3月31日金曜日

冬の北海道の旅 (105) 「畑の中の樹海ロード」

国道 234 号で栗山町に入りました。山が夕張川のすぐ傍まで迫っているので、このあたりはまるで JR と国道が狭い用地を奪い合っているようです。
しばらく対向車の姿を見かけないなぁ……と思ったのですが、随分とイカした(死語?)除雪車がやってきました。

北海道中央バス(かな?)

栗山町の中心地が近づいたところで、国道 234 号は JR から離れて市街地の東側に進路を変えます。対向車線に今度は北海道中央バス(だと思う)の路線バスが見えてきました。以前に蛭子さんも乗ったことのある系統でしょうか。
信号待ちの間に撮影した交番(駐在所)の写真です。良く除雪されていますが、手前の雪の塊が本来の積雪量を指し示していると言ったところでしょうか。

由仁町と言えば

栗山町内は街の東側(夕張寄り)を走っていた国道 234 号ですが、夕張川を渡る際に大きく向きを変え、まっすぐ由仁駅のほうに向かいます。まだ 17 時前ですが、もうすっかり日も沈んでしまったでしょうか。
鉄道の東側に市街地が広がっていた栗山町とは違って、由仁町の市街地は鉄道の西側がメインです。あの「ヤリキレナイ川」も、鉄道の西側を流れていますね。
さすがに日没後のヤリキレナイ川を見に行くほど酔狂ではないので(不審者扱いされかねませんし(汗))、そのまま室蘭本線の隣を通って南に向かいます。ちなみにこの時点で外気温計は氷点下 8 ℃ を示していました。順調に冷え込みつつありますねぇ。

畑の中の樹海ロード

三川駅の手前で国道 274 号を横断します。今走っているのが国道 234 号(由仁国道)で、横断しているのが国道 274 号(三川国道)です。由仁国道のほうが若干番号は小さいですが、どう見ても信号の待ち時間は長いような……。
ちなみに、国道 274 号には「石勝樹海ロード」という愛称がついていますが、樹海を抜けて随分経つ筈のこの辺りでも「樹海ロード」なんですね。

さて、どこでしょう?

では最後にクイズをひとつ。ずばり、このカントリーサインはどこの市町村のものでしょうか!?

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2017年3月30日木曜日

冬の北海道の旅 (104) 「栗沢、栗丘、栗山……」

国道 234 号「由仁国道」を南に向かいます。このまままっすぐ南下すれば三川、そしてやがては苫小牧にたどり着きます。ちなみにこの先を左折すると栗沢町茂世丑です。割と難読な地名ですが、「妹背牛」が読める人には楽勝かもしれませんね。
さぁ、このまま一気に苫小牧へ……あれっ?
いや……実はですね。察しの良い賢明なる読者諸賢は(同義語被せすぎ)既にお気づきかもしれませんが、実はこの日、網走で朝食を食べて以来マトモに食事をとってなかったんですよね。今から思えばなんで名寄で昼食を食べなかったんだ……という話なのですが、あれ、そういや何故でしたっけ?
まぁ、苫小牧でちゃんとした夕食を食べようという算段もあったので、ここはちょっと軽めのおやつ程度のものを。

この写真だけ見ると、雪がちょいと残っている春先のようにも見えますが、
早くも冷え込みつつありました。路面の凍結に注意しないといけませんね……。

栗沢から栗丘へ

小腹を満たしたところで、再び苫小牧に向かって出発です。快適な片側二車線道路は栗沢町の南側でおしまいで、ここからは片側一車線となります。
栗沢から南の栗丘に向かいます。この辺は「栗」のつく地名が多いですよね。

二つの跨道橋

山裾のちょっと狭そうなところに入ってきたな……と思っていると、前方に跨道橋が。しかもよく見ると二連続です。
二つ目の跨道橋をくぐります。左側に盛土が無いようにも見えますが、これは鋭角に交差しているが故のことで、既に盛土が失われている、ということでは無さそうです。
ちなみに、これらの跨道橋の上はどちらも JR 室蘭本線が通っていたのですが、現在は手前の跨道橋だけが現役です。

室蘭本線は、もともとは空知炭田が産出した石炭を室蘭に運ぶために建設されました。石炭が日本の主たるエネルギー資源だった頃は、輸送力を増強するために栗丘のあたりも複線化されていましたが、石炭産業が斜陽化してからは「本線」とは名ばかりのローカル線になってしまいました。

このあたりの室蘭本線は、南側の「栗山トンネル」と北側の「新栗山トンネル」で複線化されていましたが、「栗山トンネル」の一部が老朽化のために崩壊し、もともと輸送量が単線で間に合う程度に激減していたこともあったため、現在は「新栗山トンネル」だけが使用されています。

そして栗丘から栗山へ

岩見沢市栗沢町栗丘を過ぎると、今度は「栗山町」です。北海道日本ハムファイターズの栗山監督が、確か栗山町に住んでいるんでしたよね。

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2017年3月29日水曜日

冬の北海道の旅 (103) 「想い出の "SPAR" ふたたび」

岩見沢 IC のランプウェイを左に曲がって……
南行きの国道 234 号に合流します。薄っすらと赤みがかった空が美しいですね。
道道 38 号は、かつての国鉄万字線沿いに美流渡・万字を経由して、最終的には峠を越えて夕張に向かいます。今回は「毛陽」ではなくて「美流渡」でした。

スパー岩見沢南町店

左手に「スパー岩見沢南町店」がありました。かつては本州にもフランチャイズ展開していた「スパー」ですが、いつしか「スパー北海道」だけになってしまい、ガラパゴス的に残ったスパー北海道の店舗も 2016 年 8 月で全店が「ハマナスクラブ」にリブランドしてしまいました。
ということで、今となっては貴重なスパーのロゴをもう一度(この写真は 2015 年 1 月のものです)。

蛍光色の看板

国道 234 号「由仁国道」を南に向かいます。少しずつ空の赤みが増してきていますね。
このあたりはずっと片側 2 車線の道が続きますが、ちょくちょく信号機があることもあってか、車の流れはそれほど速くありません。
見るからに快適な、まっすぐな片側 2 車線道路が続きます。
左右は畑と、時折工場があると言った感じになってきました。左手に久々に大きな建物が見えたなぁと思ったのですが、なるほど、農業倉庫でしたか。
ということで(お約束)、ロケ地の地図もつけておきますね。ご安全に!

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2017年3月28日火曜日

冬の北海道の旅 (102) 「三笠北海盆おどり」

光珠内から道央道で更に南へと進みます。次は三笠 IC ですが、そう言えば「三笠 桂沢湖」と書いてありますね。桂沢湖は幾春別川の「桂沢ダム」で区切られた人工湖なんですが、IC の案内に表示されるような有名スポットだったんだなぁ……と。
「三笠市」という地名は純然たる和名で、幾春別の北に聳える山が奈良の三笠山に似ていたから「三笠山」と呼ばれるようになり、そこから村名 → 町名 → 市名と出世を重ねた、という話のようです。ちなみにこのカントリーサインは数年前に変更されたもので、旧デザインでは「桂沢湖」だったのだとか。
そして、この新デザインは奈良の興福寺の五重塔……ではなく、「三笠北海盆おどり」の「3 階建ての櫓」をモチーフにしているのだそうです。三笠市の Web サイトの紹介文を引用しておきましょう。

 北海道の盆踊りでよく歌われる「北海盆唄」は三笠の幾春別地区が発祥の地として知られています。
 三笠で一番盛り上がるお祭りとして、8月14日、15日に中央公園で開催しています。
 中央公園にある盆踊り櫓は、昭和26(1951)年頃の高さ約8mの3階建ての櫓を再現しています。
 当初の櫓は、1階に警備員、2階に笛やはやし、3階に太鼓をそなえ、見る人を圧倒していたといわれています。
(三笠市 Web サイト「三笠市の観光」より引用)
ふむふむ、そうなのですね。桂沢湖の佇まいもしっとりしていて素敵ですが、この「三笠北海盆おどり」も「夏の夜の夢」感があって幻想的ですよね。

カントリーサインはナマ物

さて、そんな三笠市を通り過ぎ、市来知(いちきしり)川を越えたあたりで岩見沢市に入ります。岩見沢市のカントリーサインは、以前は「ばんえい競馬」をモチーフにしたものだったそうですが、ばんえい競馬が撤退してから 6 年ほど経ったところで現在のデザインに変わったようです。名寄も三笠もそうでしたが、カントリーサインはナマ物だということが良くわかりますね。

黄昏のレンガ道ならぬ道央道

時間は 16 時を過ぎたあたりですが、もう夕暮れっぽい雰囲気ですね。ちょうど進行方向の先に太陽があるので、より逆光感が強調されているのかもしれません。いや、その通りだったということが数分後にわかるわけですが……。
岩見沢 SA を過ぎ、岩見沢 IC で流出します。最終的な目的地は苫小牧東港なので、札幌を経由せずに国道 234 号を通ったほうが若干近道っぽいんですよね。
ということで、ランプウェイをくるっと 270 度ほど回って料金所に向かっているのですが……あれ? さっきまでの夕暮れ感はどこへやら。

毛陽(もうよう)

ETC ゲートをささっとクリアして……
国道 234 号を栗山方面に向かいます。ん、「毛陽」ってどこだったかな?と思ったのですが、美流渡(みると)と万字の間の地名でした。美流渡でも万字でもなく毛陽が出て来るんですね……。ちょっと不思議な感じも。

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2017年3月27日月曜日

冬の北海道の旅 (101) 「アイヌ語・日本語・英語のトリプルコンボ」

「日本最北の料金所」である士別剣淵 IC から、道央道をばひゅーんと南に向かいます。これは砂川市に入ったあたりですが、左側の雪壁がなんだか凄いですね……。
そして、雪壁の向こう側にはこんな標識が。
動物注意の標識は良く見かけますが、ここまでデフォルメの効いたキタキツネ(ですよね?)は珍しいような。

アイヌ語・日本語・英語のトリプルコンボ

奈井江砂川 IC を過ぎると、道央道は石狩川の平野の端っこを縫うように走ります。右は平地、左は山が続きます。
奈井江川が見えてきました。これ、どう見ても Naiegawa Riv. だったのを Naie Riv. に直したように見えますよね。川の名前は確かに「奈井江」なので正しいのですが……。
ちなみに、Naiegawa River であれば、Naie がアイヌ語の「その川」で gawa が日本語の「川」、そして River が英語の「川」という、夢のトリプルコンボが完成していたことになります。それはそれでちょっと惜しい気もしますね。

これは……何?

更に南下を続けます。茶志内川を渡ると美唄市です。これは……何でしょうね(汗)。ふむ、美唄市の「宮島沼」には春と秋に数万羽のマガンが飛来するとのことで、それをイメージした絵柄のようですね。
じゃんじゃん他車にぶち抜かれたりもしましたが、私はげんきです。
気温と路温はどちらも -2 ℃。まぁ誤差の範囲でしょうか。除雪がしっかりされているので、運転する上で危険を感じることはほぼありません。

やむを得ずトンネルに

ずーっと平野の端っこを縫うように走ってきましたが、美唄には陸上自衛隊の駐屯地があり、その西側には住宅街が広がっているため、やむなく東側をトンネルで通り抜けます。
同じような理屈で、専修大北海道短大のある光珠内のあたりも曰く有りげなトンネルで抜けます。名古屋高速あたりにありそうな形をしていますね。

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2017年3月26日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (427) 「長万部・ナイベコシナイ川・キュウシバッタリ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

長万部(おしゃまんべ)

o-samam-pet
河口・横になっている・川
(典拠あり、類型あり)
黒松内の南に位置する噴火湾沿いの町の名前です。「倶知安」や「弟子屈」「留辺蘂」「音威子府」などと並ぶ、難読な筈なのに有名なせいでもはや難読とは言い難い地名です。そう遠くない将来、北海道新幹線の駅も設置予定のようですね。

有名な地名なので解説もよりどりみどりなのですが、今回は更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

 長万部(おしゃまんべ)
 昔アイヌに漁のことを教えた神様が、ある日大きなひらめをつり上げて「この魚は神の魚で、私はこれを山に祭るから、これから後春になってあたりの山の雪が消えても、これを祭った山には魚の形の雪が残る。それを見たら海へ行って漁をすると、必ずこの魚がたくさんとれるだろう」といって去った。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.18 より引用)
さすがは更科さんです。この手の地名説話は見逃しませんね。続きを要約しようかと思ったのですが、更科さんの文章の味わい深さには抗しきれず、そのまま引用してしまいます。

それから春になると神様のいう通り魚形の雪がのこり、そのころ海に行くと多くのひらめがとれるようになった、という可愛らしい伝説が残っている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.18 より引用)
いやいやまったく。とても「可愛らしい」伝説ですよね。土地のアイヌに好漁期を教えてくれるカムイ……いい話じゃありませんか。

さて、まだ続きがありました。見てみましょうか。

ひらめはシヤマンベというので、この伝説によりオシヤマンベというようになったというが、実はオ・サマㇺ・ぺで、川尻が横になっている川の意である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.18 より引用)
ズコっ(コケた音)。これだけヒラメの神様の話をしておいて最後に全否定ですか。更科さんの必殺ちゃぶ台返しが鮮やかに決まったようです。

山田秀三さんの「北海道の地名」でも、簡潔ながらも深く掘り下げた内容が記されていました。

長万部 おしゃまんべ
 町名,川名。秦檍麻呂の地名考(文化5=1808年)がここの地名伝承を書いた始めらしい。抄録すると「古名ウアシ・シャマンベ(雪・ひらめ)。昔神がこの海で大ひらめを釣り,神として山上に祭らせた。春雪解けの時に,この山にひらめの形の雪が残る時が漁期だと教えられた」と書かれてある。ウアシとはウパシ(雪)のことである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.413 より引用)
ほう。秦檍麻呂の時代から「ヒラメ」説があったのですね。

上原熊次郎も同説,ただしシャマンベは鰈と訳した。永田方正も同説。これは土地の長い伝承だった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.414 より引用)
そうですね。永田地名解にも確かに「ヒラメ」説が記されていました。上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」は「カレイ」説ですね。

あ、長万部は駅名ですので、「駅名の起源」も見ておかないといけませんね。

  長万部(おしゃまんべ)
所在地 (胆振国) 山越郡長万部町
開 駅 明治36年11月 3 日(北海道鉄道)
起 源 本来はアイヌ語の「オ・シャマム・ペッ」(川尻が横になっている川)であったが、「シャマンペ」(カレイ)を連想して「オ・シャマンペ」となり、川口附近にカレイの漁が豊富であったためこの名があるという解釈が生じ、また長万部山の残雪がカレイの形に見えるころを漁期としたという伝説も、そこから生まれた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.12 より引用)
ということで、どうやら更科さんの変化球の元ネタは「駅名の起源」だったようです。長年にわたってヒラメやカレイが舞い踊っていた長万部の由来に一石を投じる解とも言えそうですが、極めて妥当な解釈のように思えます。o-samam-pet で「河口・横になっている・川」と考えて良さそうですね。

「長万部」と「写万部山」の音の類似性が気になっていたのですが、どうやらたまたま、どちらも samam(横になっている)という語彙を使っていた、というだけのようですね。

ナイベコシナイ川

nam-pe-ku-us-nay?
冷たい・水・飲む・いつもする・沢
nam-pe-kus-nay?
冷たい・水・通行する・沢
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
写万部山の西側を流れる川の名前です。現在、この川の近くの地名は「共立」という名前のようですが、かつては地名も「ナイベコシナイ」でした。

……さっぱり見当がつかないのですが、えーと。「ナイベ」はもしかしたら nam-pe で「冷たい・水」だったりするんでしょうか。となると nam-pe-ku-us-nay で「冷たい・水・飲む・いつもする・沢」と読み解けなくもありません。

ナイベコシナイ川からは少々離れていますが、長万部町には「二股ラジウム温泉」という温泉もあるくらいなので、「冷たく飲用に適した水」は特記するに値する事項だったのかもしれません。

もう一つの可能性として、「コシ」を kus(通行する)と解釈できないかとも考えてみました。nam-pe-kus-nay で「冷たい・水・通行する・沢」という可能性もあったりするかな、と。

ナイベコシナイ川を遡っていくと、やがて峠を越えて知来川にたどり着き、このまま知来川沿いを下ると蕨岱にたどり着きます。交通路としては悪くない地形です。

素直に長万部川・知来川を遡ったほうが遥かに楽なんですが、途中で長万部川を渡らないと蕨岱には辿り着けませんし、東蝦夷日誌にも「急流なり(出水の時船有)」と書かれているくらいなので、実は代替ルートとして意外と使われていたのかも……などと想像してみました。

ボクサタナイ

ちなみに、ナイベコシナイ川の西に「川瀬川」という川が流れていますが、戦前の地形図には「ボクサタナイ」と記されていました。どうやら pukusa-ta-nay で「ギョウジャニンニク・採る・沢」だったようですね。現在もギョウジャニンニクが自生しているのか、ちょっと気になるところです。

キュウシバッタリ川

ki-us-hattar?
草・群生する・淵
chiw-as-hattar?
波・立っている・淵
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
まるで精根尽き果てたような名前の川ですが、えーと、まだ力尽きるわけには参りません(一体何の話なんだ)。キュウシバッタリ川は川瀬川の西隣を流れる川ですが、この川は直接海に注ぐのではなく、長万部川の支流です。

この「キュウシバッタリ川」ですが、音からは ki-us-hattar あたりかな、と思わせます。これだと「草・群生する・淵」となりますが、うーん、少ししっくり来ない感じもしますね。

キウス」と言えばパーキングエリアですが、実は穂別(むかわ町)にも「キウス」という地名があり、こちらのキウスは chiw-as-i だったのではないかと言われています。同じ理屈で考えると、この「キュウシバッタリ川」も chiw-as-hattar で「波・立っている・淵」とも読み解けそうです。

さてどっちが適切な解釈か……。あ、ひとつ新情報です。最近ちょくちょく参考にさせてもらっている「北海道測量舎」の五万分の一地形図にも「キウシハッタラ」とあったのですが、その位置は現在の「キュウシバッタリ川」よりも随分と南側の平野部のあたりでした。hattar がありそうな場所にも思えないのですが、図らずも「バッタリ」が hattar じゃないか、という仮説の傍証にはなったよううです。

うーん、ちょっと消化不良な感じもしますけど、一旦この辺で。

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2017年3月25日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (426) 「静狩・オタモイ山・写万部山」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

静狩(しずかり)

sit-tukari
山・の手前
(典拠あり、類型あり)
室蘭本線の小幌駅と長万部駅の間にある駅の名前です。ということで、お相手はいつものこの方です(空耳アワー風)。

  静 狩(しずかり)
所在地 (胆振国) 山越郡長万部町
開 駅 大正12年12月10日 (客)
起 源 アイヌ語の「シッ・ツ゚カリ」(山の手前)の転かしたもので、礼文華山道の手前のところという意味である。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.64 より引用)
はい。単語レベルに分解すると sir-tukari で「山・の手前」なのですが、この組み合わせだと音韻変化で sit-tukari となりますね。

なお、長万部から遠く離れた青森県の尻屋崎(東通村)に「尻労」と書いて「しつかり」と読ませる地名があります。長く続いた砂浜が「尻労」の先で途切れて、その先は山がそのまま海に落ち込む形の険しい海岸線に変わります。そう、長万部の「静狩」とそっくりな地形なんですよね。

これはもちろん私の発見ではなくて、山田秀三さんの「東北と北海道のアイヌ語地名考」に「尻労(シツカリ)の意味」と題した論考があります。山田秀三著作集「アイヌ語地名の研究 <3>」に収められていますので、興味を持たれた方は是非ご一読を。

オタモイ山

ota-moy
砂浜・静かな海
(典拠あり、類型あり)
道央道の静狩 PA の北に位置する山の名前です。小樽にも同名の地名がありますね。

多少アイヌ語地名をかじった方には、この山名が本質的におかしいことに気がつくと思います。ota は「砂浜」を意味する単語なので、山の名前としてはおかしいんですよね。

ota-moy は「砂浜・静かな海」と言ったところでしょうか。ますます山の名前としては不適切なのですが、これは山の麓(南側)を流れる川の名前から来ているのでしょうね。オタモイ川はかつて室蘭本線の「旭浜駅」があったすぐ近くを流れているのですが、現在は直接噴火湾に注ぐこの川も、かつては室蘭本線の山手側にあった潟湖に注いでいました。

なるほど、moy には「入江」というニュアンスもあるのですが、海とは砂丘で隔てられた潟湖を意味していたと考えるとしっくり来ますね。もちろん潟湖は外海と隔てられていて静かだったでしょうから、「静かな海」という表現も大正解だったんじゃないかなぁと想像しています。

なお、旭浜駅があったあたりは、戦前の地形図では「濱中」と記されていました。もしかしたら ota-noske だったのかなと思わせますが、実は潟湖のど真ん中あたりに位置していたようなので、そういう意味でも ota-noske(砂浜・真ん中)だった可能性がありそうです。

写万部山(しゃまんべ──)

samam-pe?
横になっている・もの(山)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
オタモイ山の北西に位置する標高 499.1 m の山の名前です。あと 90 cm 欲しかったですよね。シークレットブーツとかでなんとかならなかったのでしょうか。ロンドンブーツでも良かったかもしれません。

ちなみに、ちょっと古い本には、写万部山の標高は 498.8 m とあります。どうやらその後の努力で 30 cm ほど稼いできたようですね。これはやはりシークレットブーツn(ry

割とアレな地名解が多いことで知られる「北海道地名誌」には、次のように記されていました。

 写万部山(しゃまんべやま)498.8 メートル 黒松内町との境をなす山。春の雪解けに鰈(サマンベ)型の残雪が見えるからという伝説がある。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.123 より引用)
ほう。なんだか長野県白馬村の地名説話とそっくりですね(残雪が「代馬」に見えるから「しろうま」という説)。

さて、話をもとに戻しましょうか。「鰈」(カレイ)はアイヌ語で samam-pe と言いますが、samam は「横になっている」という意味なので samam-pe は「横になっている・もの」ということになります。なるほど、たしかにカレイは「横になっている」魚ですよね(笑)。

これを念頭に置きながら「写万部山」を見てみると、写万部山は鞍部の目立たない「横に長い山」のように思えてきます(写万部山から北西にほぼ同じ高さの尾根が伸びている)。この特徴を指して samam-pe で「横になっている・もの(山)」と呼んだと考えられそうな気がしますが、いかがでしょうか。

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2017年3月24日金曜日

冬の北海道の旅 (100) 「石組みのかまくら?」

記念すべき(そうでもない)第 100 回の記事です。旅は少しずつ終わりが見えてきましたが、もう暫くおつきあいくださいませ。

石組みのかまくら?

鷹栖町と旭川市の境界線を行ったり来たりしながら(道央道を走っているだけなのですが)、旭川鷹栖 IC にやってきました。そう言えば、いつの間にか片側二車線になっていますが、実はこの先はずーっと片側二車線(以上)の区間が続きます。ようやく 70 km/h 規制ともおさらばですね。
ということで、この先はそれほど物珍しいものも無さそうな感じでしょうか。近文の嵐山トンネルを抜けると……
おっ、再び旭川市に入りました。IC を過ぎてから、かつて嵐山市民スキー場があったあたりまでは鷹栖町なのですが、トンネルを抜けて江丹別川の流域に入ると旭川市に逆戻りです。江丹別は旭川市内で、そして日本国内でもトップクラスの寒さを誇るところでしたよね。
旭川と深川の間には「神居古潭」という有名な交通の難所があるのですが、道央道は神居古潭の北に聳える常盤山・伊納山の北側を二本のトンネルで通過しています。旭川市と深川市の境界は「常盤トンネル」で抜けるのですが……
なかなかインパクトのあるトンネルポータルですね。まるで石組みのかまくらのようです。

初めての石狩川、初めての空知川

トンネルを抜けて、納内幌内川沿いを南に向かいます。いい天気ですが、もう日が傾き加減ですね。
納内の東側で石狩川を渡ります。道央道が石狩川を渡るのは、これが最初で最後ですね。標識に描かれているのはヒグマでしょうか?
深川を過ぎ、お隣の滝川に向かいます。滝川 IC を過ぎたところで、これまた最初で最後の空知川です。あれ、今度は至ってシンプルなデザインの標識ですね……?

旭川・深川・滝川・砂川の四連続コンボ

すでに旭川市・深川市・滝川市のコンボが決まっていましたが、コンボのトリを飾る?砂川市にやってきました。内陸部の都市のはずですが、このヨットは何なんでしょう……?
そう言えば、この日の朝は網走にいて、外気温が氷点下 12 度くらいだったんですよね。昼前から気温はぐんぐん上昇して、氷点下 1 度くらいで落ち着きました。
そう言えば(またか)、車の調子が非常に悪く、紋別のあたりでは異常なまでのパワーダウンに見舞われていたのですが、もともと 2000 回転以上を常用する高速域ではこれと言った問題はありませんでした。ANTI POLLUTION FAULT のエラーは相変わらず出ていたんですけどね。

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