2017年3月19日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (425) 「小幌・辺加牛・鼠の鼻」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

小幌(こぼろ)

kew-poru?
死体・洞窟
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
長万部町と豊浦町の町境上にある室蘭本線の駅の名前です。新辺加牛トンネルと礼文華山トンネルの間の僅かな明かり区間にある駅で、周りに民家がないどころか、最寄りの道路さえも 500 m 近く離れていて、しかも道路(国道 37 号)は 150 m 以上高いところを通っているため、車道に辿り着くには山登りを強いられるという、日本最強の「秘境駅」の呼び声が高いことでも知られています。

会社の存続を脅かすレベルで累積赤字が続いている JR 北海道は、「極端にご利用の少ない駅」として地元自治体(豊浦町)に小幌駅の廃止を打診していましたが、そのあまりの「秘境駅」ぶりは「観光資源として価値が高い」とされ、豊浦町の補助のもと、今のところは廃止を免れているといったところです。

さて、この「小幌」ですが、戦前の地図には「幌内」と記されています。竹四郎廻浦日記には次のような並びで一帯の地名が記録されていました。

扨其字は。
     レフンケフ
     イコンシマ
     ノフコツチヤ
     カハリシラリ
     チカフントウシ
     カマナタモヱ
     ポロナイ
     ヲアリヒヌ
     フヨノホリ
     ヒヱカヽウシ
     イルモ岩サキ
     イメクシモ
     シツカリ
此処小川、浅瀬也。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.585 より引用)
現在、小幌駅があるあたりの地名は「ポロナイ」とあります。poro-nay で「大きな・沢」だったと考えて良さそうです。実際には、地理院地図には川として記されていないレベルなのですが、それでもこの一帯では大きな沢なので、「ポロナイ」と呼ばれたのも理解できる気がします。

では、「小幌」で「こぼろ」と読ませる、実は割と珍しい地名がどこから出てきたのか……という話ですが、日本歴史地名大系 1「北海道の地名」に次のような記述を見つけました。

小幌洞窟
 現豊浦町西端の字礼文華、小幌海岸美利加浜にある洞窟。円空作の岩屋(岩谷)観音が安置されていることから、岩屋(岩谷)洞窟ともいう。
(永井秀夫・監修「北海道の地名(日本歴史地名大系)」平凡社 p.748 より引用)
実は、小幌駅の南に広がる海岸は「美利加浜」という名前だったのだそうです。「美利加」は pirka から来ているのだと思いますが、良い字を当てたものですよね。

本題に戻りますと、この「小幌洞窟」と思しきスポットが、実は永田地名解に記録されていました。

Keu pōru  ケウ ポール  屍洞 大洞穴アリ俗圓空鉈作リノ觀音一體ヲ安置ス○古ヘ死人ノ屍洞中ニ在リ故ニ名クト云フ今「ケポロイ」ニ訛ル
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.175 より引用)
本当かなぁ~と疑ってしまいそうな解ではあるのですが、他に対案が無いのも事実だったりしまして。いつか新発見があるかもしれませんが、今日のところは kew-poru で「死体・洞窟」としておきましょう。

改めて考えてみると、いかにも「秘境駅」に相応しい語源のような気もしますよね。

辺加牛(べかうし?)

piye-ka-us-i?
その岩・上・いつもある・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
小幌駅の西側には「幌内トンネル」と短い「美利加浜トンネル」があり、その先に「辺加牛トンネル」「鼠の鼻トンネル」「第二静狩トンネル」などのトンネルが続きます。後に増築された下り線は「新静狩トンネル」と「新辺加牛トンネル」の二本で一気に抜けています。

東蝦夷日誌には「ヒエカウシ(岩磯)」と記されています。また「竹四郎廻浦日記」には「ヒヱカヽウシ」とあるのは先程引用したとおりです。

永田地名解には、次のようにあります。

Pi ka ushi  ピ カ ウシ  岩上 岩上ニ家アル處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.176 より引用)
「岩上に家がある」というのがどうにも理解できませんが、地名になるくらいの特徴的な地形なのでしょうね。「ピカウシ」だと「ヒエカウシ」と少々違いがあるので、piye-ka-us-i で「その岩・上・いつもある・もの」と考えるのがいいかもしれません。

鼠の鼻(ねずみのはな)

erum-etuhu
ネズミ・その鼻
(典拠あり、類型あり)
室蘭本線で小幌から静狩に向かう途中で通過するトンネル群の中で、「辺加牛トンネル」の次に通過するトンネルの名前です。どう見ても日本語ですが、東蝦夷日誌には次のようにありました。

并てイルモ(岩磯)、鼠の如く〔キか〕岩石、依て號く。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.49 より引用)
はい。竹四郎廻浦日記にも「イルモ岩サキ」とあったスポットのアイヌ語地名を和訳したものだったようです。

永田地名解には、次のように記されていました。

Erum etubu  エルㇺエト゚フ  鼠岬
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.176 より引用)
素直に読めば erum-etuhu で「ネズミ・その鼻」となるのですが、もともと enrum という単語自体に「岬」という意味があるので、本当に erum だったかどうかはちょっと疑わしいかなぁ、と思ったりもします。でも、この疑わしい解釈が現在の「鼠の鼻トンネル」のもとになったので、それを否定するわけにもいきませんし、またその必要もありませんよね。

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