(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
オサナイ川
(? = 典拠未確認、類型多数)
添別川が朱太川に合流する地点のすぐ近くに「睦一号橋」という橋がありますが、「オサナイ川」はそこから 200~500 m ほど下流側で朱太川に合流しています。「200~500 m」というのは随分と誤差がありますが、地形図で見た限り、オサナイ川が朱太川の河川敷に入るのが 200 m ほど先で、流路自体が合流するのが 500 m ほど先に見えるので、やむを得ずこんな変な書き方になりました。
この「オサナイ川」ですが、おそらく o-sat-nay で「河口・乾いている・沢」なのでしょうね。もともとそれほど流域も広く無さそうですし、伏流することも多かったんじゃないかな、と想像しています。
白炭(しろずみ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
朱太川は黒松内からまっすぐ北上して日本海に向かいますが、途中で西側に「丸山」という山が迫ってきます。さて、「白炭」は、丸山から見て朱太川の向こう側、東側に位置する地名です。同名の川も流れていますが、上流に遡ると「下白炭川」に分かれ、本流を遡ると更に「柴の沢川」「泉の沢川」と言った支流に枝分かれしています。この川の面白いところは、まるでフォークのような形で枝分かれしているんですよね。川は「木」の字のような形で四方八方に枝分かれすることが多いのですが、白炭川の場合は「巾」の字のような形をしている、と言えば当たらずといえども遠からずでしょうか。
割とアレな解が多いという評判がすっかり定着した「北海道地名誌」には、次のように記されていました。
白炭川(しろずみがわ) 朱太川の右支流。石灰石がありこれを白炭(しろずみ)と呼んだので,近くの川にこの名がついたもの。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.174 より引用)
は、はぁ……。「白墨」ならぬ「白炭」とはこれまたユニークな解ですね。もう少し調べてみると、戦前に作成された陸軍測量部の地図に「びゃくたん」というルビが振られていたことがわかりました。元々は「びゃくたん」に近い音の地名で、字に引きずられて「しろずみ」になってしまったのか……と思ったのですが、東西蝦夷山川地理取調図には「ヘンケシロツミ」「ハンケシロツミ」とあることがわかりました。
どうやら「シロツミ」→「白炭(しろすみ)」→「白炭(びゃくたん)」→「白炭(しろずみ)」と変遷を辿ったのか、あるいは陸軍図の「びゃくたん」が事実誤認だったか、どちらかなのでしょうね。ただひとつ言えそうなのは、由来を「石灰石」に求めるのは嘘くさい……ということでしょうか。
我らが「角川──」(略──)には次のように記されていました。
しろずみ 白炭 <黒松内町>
後志(しりべし)地方西南部,朱太(しゅぶと)川下流右岸,白炭川流域。地名は,アイヌ語のシルチミに由来し,シルは地・土地・所,チミは分ける,左右にかき分けるの意(地名アイヌ語小辞典)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.743 より引用)
ああなるほど。なんか取ってつけたような解にも思えたのですが、実際の地形と照らし合わせてみると、すごくしっくり来る解に思えてきました(川が何度も枝分かれして、結果として山を細切れにしているので)。「シルチミ」というか、sir-o-chimi で「大地・そこで・左右にかき分ける」と解釈したほうが良いかなぁと思うのですが、いかがでしょうか。イサマナイ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
白炭川の下流側(北側)を流れる川の名前です。なんだろうこれは……®と思ったのですが、東西蝦夷山川地理取調図に「エシヤマナイ」という川が記されていることに気が付きました(ただし、朱太川の西側の支流としてですが)。「エシャマナイ」であれば e-saman-nay と考えられるのですが、確かにそう言われてみれば「丸山」の北にずーっと似たような高さの山が続いています。このような形状の山のことは良く「横臥した山」と呼ばれます。アイヌの得意な「地形擬人化」の一つですね。
おそらく、この南北に伸びた山のことを e-saman-nupuri と言った風に呼んで、そこから流れる小川のことを e-saman-nay で「頭・横になっている・沢」と呼んだのでしょう。川の西側の沢の名前が東側に移動したのかは……何故でしょうね(汗)。
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