2017年3月4日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (420) 「黒松内・添別・五十嵐」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

黒松内(くろまつない)

{kur-mat}-oma-nay
{日本人女性}・そこにいる・沢
(典拠あり、類型あり)
長万部の北、寿都の南にある町の名前で、函館本線(山線)に同名の駅もあります。鉄道の駅ではなくて道の駅で売っているピザがとても美味しいらしいですね。あとブナの北限地としても有名です。

丁巳日誌「志利辺津日誌」に次のような記載がありましたが……

少し樹原を過て、
    クロマツナイ
人家壱軒(利右エ門)有。前に川有。船を以て渡す。船賃十三文ヅヽ。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.87 より引用)
残念ながら、地名についての由来は記されていませんでした。

永田地名解には、次のようにありました。

Kuru mat nai   クルマッ ナイ   和女ノ澤 黑松内(クロマツナイ)村
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.123 より引用)
はい。{kur-mat}-nay で「{日本人女性}・沢」となりますね。

今更ながら東西蝦夷山川地理取調図を見てみると、「クロマトマナイ」と記されていたことが確認できました。ということで、どうやら元々の地名は {kur-mat}-oma-nay で「{日本人女性}・そこにいる・沢」だったと考えて良さそうです。

添別(そいべつ)

sey-o-pet
貝・そこに多くある・川
(典拠あり、類型あり)
黒松内駅の近くを流れる「黒松内川」は、駅から 1.5 km 北あたりで朱太川と合流します(ちなみにこのあたりの地名も「目名」とのこと)。そのまま朱太川沿いに北上すると「睦一号橋」という橋が架かっていますが、そのすぐ下流(北側)で朱太川と合流する支流の名前が「添別川」です。

意外とアレな解が多いことで知られる「北海道地名誌」には、次のように記されていました。

 添別川(そえべつかわ) 朱太川の左支流。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.174 より引用)
読み方からして違いますが、少なくとも地名としては「そいべつ」と読むのが正しいようです。

もとガロ川に名づけたものであったが, ガロ川と呼ぶようになってから,朱太川の下流にある隣りの川を添別川と呼ぶようになった。添別はアイヌ語の「ソ・ペッ」で滝川の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.174 より引用)
ふーむ。一見妥当な解に思えるのですが、明治期の地形図を見ると「添別川」のところに「セヨペツ」と記されていました。また、永田地名解にも次のように記されていました。

Seyo pet   セヨ ペッ   貝川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.123 より引用)
そうですね。「貝川」というザックリした訳は知里さんの怒りを誘いそうですが、sey-o-pet で「貝・そこに多くある・川」と考えて良さそうですね。

「東西蝦夷山川地理取調図」には、「セヨヘツ」は「ウエンベツ川」の下流部の名前として記されています。「セヨヘツ」が複数存在したのか、あるいは移転したのか、それとも東西蝦夷山川地理取調図のミスなのかは、現時点では判断できないです。

五十嵐(いがらし)

inkar-us-i
見張る・いつもする・もの
(典拠あり、類型あり)
朱太川は、「睦一号橋」を過ぎると左手に山が迫ってきます。この山は「丸山」と言うのですが、どうやらこれが「五十嵐」っぽい感じですね(いきなり結論)。

(2017/3/11 追記)ただ、東西蝦夷山川地理取調図には「イコカルシ」の南に「エシヤマナイ」という川が記されているので、もしかしたら「五十嵐」の由来となった inkar-us-i は丸山ではなくもう少し北側にあったのかもしれません。

「五十嵐」は、現在は丸山の西にある地名で、また丸山の西から南を流れる「五十嵐川」が存在しています。ということで今回は我らが「角川──」(略──)を見てみましょう。

 いがらし 五十嵐 <黒松内町>
〔近代〕昭和 9 年~現在の行政字名。はじめ樽岸村,昭和30年三和村,同34年 1 月三和町,同年 5 月からは黒松内町の行政字。もとは樽岸村大字湯別村の一部,エンガライス・中ノ川・万之助沢・添別。地名は,アイヌ語のインカルシ(いつもそこへ上って敵を見張ったり,物見をしたり,行く先の見当をつけたりする所の意)に由来する(地名アイヌ語小辞典)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.103 より引用)
随分と村名の変遷が激しいですね。それはさておき、一見人名のように思える「五十嵐」も、実はアイヌ語の inkar-us-i見張る・いつもする・もの」に由来するみたいです。

確か、金田一京助さんが「北奥地名考」で「五十嵐」アイヌ語起源説を提唱していましたね。

 五十嵐をアイヌ語に訳すことはまだ少し盲断に近いが、北海道には、インカラウシ(inkar ushi)といふ地名は幾らでもある。inkar は「物を見る」「見物する」「監視する」意味、ushi は「場所」である。札幌の近くにあるインガラウシベ、十勝の河西郡にあるインカラウシベ、天塩の留萌郡のインカラウシ、北見の常呂郡のインカラウシなど。尚日高の沙流郡にもインカラウシ・ナイがある。
(金田一京助「北奥地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.293 より引用)
残念ながら黒松内の「五十嵐」については言及がありませんが、inkar-us-i に「五十嵐」という字を当てた人は、金田一さんの仮説を知ってか知らずか、どっちだったのでしょうね(なんとなく後者かなーと想像していますが)。

ちなみに、東西蝦夷山川地理取調図を良く見てみると、現在の「五十嵐川」と思しき川には「マクンヘツ」と記されています。現在の五十嵐川は、朱太川から見ると「丸山」の裏側に存在していることになるのですが、それを形容して mak-un-pet で「山奥・そこに入る・川」と呼んだようですね。

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