(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
森別川(もりべつ──)
(典拠あり、類型あり)
ニセコ西山連峰の最高峰である「雷電山」のずっと西に「雷電峠」という峠がありますが、その雷電峠から見て南に 1.5 km ほどのところに「コックリ湖」という湖があります。森別川はコックリ湖を水源として南西に流れ、尻別川に注いでいます。永田地名解には次のように記されていました。
Moai betu モリベッ 和人名ケシ處ナリト云フ意義不明此川魚居ラズ
えーと、「モアイベッ」ではなくて「モリベッ」ですので念のため。永田さんは残念ながら「よーわからん」で締めてらっしゃいます。
一方で、竹四郎廻浦日記には次のように記されていました。
又(二三丁)少し行 モヱリベツ、小川有、左りのの方より落る。あ、なるほど。なんてことは無かったですね。moyre-pet で「静かな・川」だったと考えて良さそうです。
もっとも、moyre が山から落ちる川の名前として相応しいかという問題は残るわけですが、あるいは水源の「コックリ湖」を moyre-to (静かな・湖)とでも読んだのかな、などと想像をしてみました。
もしくは永田地名解にある「魚居らず」が「静かである」と解釈されたのでしょうか。「魚がいない」というのが特筆すべき事項(魚がいるのが常である)なのであれば、これも頷けます。あ、いや、コックリ湖だけに頷けるわけではありませんから(何を言ってるんだ)。
茅沼川(かやぬま──)
(典拠あり、類型あり)
オサンナイ川と志根津川の間で尻別川に合流している南支流の名前です。同名の炭鉱が泊村にありましたね(茅沼炭鉱)。見た感じでは和名のように思えるのですが、竹四郎廻浦日記に次のような記述がありました。
又少し上カヤノマ、並て フルチヤツナイ、谷地有。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.345 より引用)
また、丁巳日誌「報志利辺津日誌」にも次のようにありました。カヤノマナイ
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.371 より引用)
ということで、アイヌ語由来と考えても良さそうな気もします。炭鉱のあった、泊村の茅沼についての記述ですが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。
茅沼(かやぬま)
現在はカヤヌマであるが、もとはカヤノマといったところで、沼があったのではなく、アイヌ語のカヤニ・オマ・イで、帆柱にする木のあるところの意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.36 より引用)
あーなるほど。{kaya-ni}-oma-i で「{帆柱(にする木)}・ある・もの」だったのですね。今回の「茅沼川」は「カヤノマナイ」という記録もあるので、{kaya-ni}-oma-nay で「{帆柱(にする木)}・ある・沢」と考えて良さそうでしょうか。フルチャツナイ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
茅沼川の東隣を流れる川の名前です。「フルチャツナイ川」の支流には「フルチャツナイ第一川」もあります。竹四郎廻浦日記に次のような記述がありました。
又少し上カヤノマ、並て フルチヤツナイ、谷地有。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.345 より引用)
「又少し上」……どこかで見たような気もしますが、多分気のせいでしょう(どこがだ)。また、永田地名解にも次のように記されていました。
Hurecha ush nai フレ チャ ウㇱュ ナイ 紅鱒多キ川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.182 より引用)
ただ、古い地図を確かめた所、これはどうやら別の川(現在の「又右衛門の沢川」)を指しているようでした。うーむ、空振りだったようですね。ということで、ちょっと自分で考えてみました。hure-cha-ot-nay であれば「赤い・枝・多くある・沢」と考えられそうなのですが、如何なものでしょう?
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