(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
南部川(なんぶ──)
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
ペンケ目国内川の東隣を流れている川の名前です。この川は大変珍しいことに、東西蝦夷山川地理取調図にも「ナンフ川」と、「川」の字つきで記録されています。また、永田地名解にも次のように記されています。
Nambu gawa ナムブ ガワ 南部川 南部人ノ居リシ處どうやらこのあたりには「南部人」即ち岩手から出稼ぎに来た人たちがいたので「南部川」なんだよ、という話のようです。
確かに、丁巳日誌「報志利辺津日誌」にも次のように記されていました。
またしばし下り右の方小川有。其川口川原有、其処に小屋一ツ有。依て上陸して覗き見るに、山稼人共弐人居たり。此処の川の名を問ふに
南 部 川
と云よし。後またイソヤえ下りてサケノカロえ其名を問しかば、ヤサツタラと云よし也。南部川と云訳は、昔しより南部の者昔し山入致せし由。依て号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.368-369 より引用)
また、「竹四郎廻浦日記」にも次のように記されていました。ヤシユンハツタラ、此辺に南部川と云往昔南部より山稼人多く来り住せし処有と。然し是にも今は一軒も無よし也。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.347 より引用)
なんとなく知里さんの「あらかじめ証拠の方は隠滅しておくのである」という名調子が聞こえてきそうですが……(汗)。それはさておき、「ヤサツタラ」は「ヤシユンハツタラ」の省略形だったのでしょうか。であれば「ヤシユンハツタラ」は yas-un-hattar で「網・ある・淵」なのでしょうね。さて、本題の「南部川」に戻ります。松浦武四郎の記録にあるように「南部人がいたから『南部川』なんだよ」という説を明確に否定できるだけの材料は無いのですが、「ナンフ」あるいは「ナンプ川」という記録からは、もしかしたら nam-pe で「冷たい・水」という可能性は考えられないでしょうか。
このあたりの川はニセコ連峰に水源を持つものが多く、上流側に温泉が湧出している場合が多いのですね。従って「冷たい水」という表現が十分アイデンティティを持ちうると考えてみたのですが、如何でしょうか?
これで南部川の上流にも温泉が湧出していたりしたら目も当てられませんが……(汗)。
シイポンドペッピ川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
厚岸町を流れる「ルークシュポール」は日本離れした語感で有名ですが、蘭越町東部を流れる「シイポンドペッピ川」も中々のものでは無いでしょうか。一見意味不明なところも実に味わい深いです。古い地形図には、川の源流部南側の山(590.3 m)に「シロホント山」と記されていて、また、川名として「シロホントベツヒ」と記されていました。
「スタンフォード図」こと戦前の陸軍測量部の地図には、川の下流部の地名として「シヒポントペッヒ」と記されています(「ト」の右上部分に建物?が描かれているのですが、ちょうど濁点の位置にあるので、「ド」とも読めてしまいそうです)。
また、永田地名解には次のように記されていました。
Shí ohont kush pet シー オホント クㇱュ ペッ 至深ノ處ヲ流ル川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.182 より引用)
ふーむ。何となく理解はできまずが少々謎のある解でもありますね。oho は確かに「深い」という意味なのですが、「深い谷」ではなくて「水深がある」という意味なので、「至深ノ處ヲ流ル」というのは厳密には誤訳っぽい感じがします。ただ、「オホ」ではなく「オホント」ですから、oho ではなく ohonto だと考えるとどうでしょう。ohonto は「尻」という意味ですが、転じて地名では「裾」や「麓」という意味で使われるようです。si-ohonto-kus-pet であれば「主たる・ふもと・通行する・川」と読み解けそうです。
さて、「シイポンドペッピ」をどう読み解いたものか……という話ですが、「シイ」については「シロ」が「シヒ」に誤記された、あたりの強引な想像が必要になるかもしれません。元々「シロ」だったという点については、それなりに傍証があるので事実と認めていいのではないかな、と思います。
問題は「ペッピ」ですが、これまたちょいと想像力を豊かにして考えてみました。sir-ohonto-e-pis(-oma-p) であれば「山・ふもと・頭・浜(・入る・もの)」と読めそうな気がします。e-pis-oma-p は源流部が海の方を向いている川という意味で、最終的には東から西に流れる川の支流でありながら、西から東に流れる「シイポンドペッピ川」は e-pis-oma-p と呼ばれるに相応しいように思えるのですね。
e-pis-oma-p は留萌本線の「恵比島」の近くにもありましたね。
そうなると、何故素直に e-pis-oma-p と呼ばなかったのかという疑問も出て来るわけですが、実は丁巳日誌「報志利辺津日誌」にこんな記録があったのでした。
またしばし上りて左りの方シロイホント、此処丸山にてシヘツ岳のつヾきのよし也。またしばし過てアヌンケハツタラ、大なる渕なりと。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.364 より引用)
真っ赤な嘘ではなくて「シロイホント」なのですが、よーく見ると「左りの方」と記されています。ここで言う「左」とは上流に向かって左を意味する筈なので、昆布川の東側を流れていると考えられます。つまり、sir-ohonto- で始まる川がもう一つあった、とも考えられそうな気がするのですね。そこで、両者を区別するための「第二の特徴」が後ろに付加されたのではないか……と想像してみました。ピンカリベツ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「ぴんから兄弟」は、元々は「ぴんからトリオ」という名前でボーイズ漫才をやっていたのだそうですね。「ボーイズ漫才」というのは音楽をネタに笑いを取る芸の形態ですが、最近は演者の高齢化が著しいのが寂しい限りです。横山ホットブラザーズとか好きなんですけどねぇ。そんなわけで「ピンカリベツ川」です(お約束)。東西蝦夷山川地理取調図に記載されている「ヒシカルシヘツ」という名前の川が、現在の「ピンカリベツ川」でしょうか。
永田地名解には次のような記載がありました。
Pishikar'un pet ピシカル ン ペッ 行難キ川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.182 より引用)
永田さんの解は読み解き難きことがあるのですが、素直に pis-kar-un-pet で「浜・回る・そこに入る・川」と考えていいのではないでしょうか。「ヒシカルシヘツ」であれば pis-kar-us-pet で「浜・回る・そのようである・川」でしょうか。あ、何故に「浜」が出てきたのかと言うのは、前述の「シイポンドペッピ川」と同じ理屈です。ピンカリベツ川を源流に向かって遡ると、やがて峠を越えて、最終的にはピンカリベツ川の下流部(尻別川)にたどり着くからです。平易に書き直すと「浜の方向に回って遡っている川」ということですね。
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