(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
恩顧歌(おんこうた)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
奥尻町赤石の南に位置する地名です。今回は久しぶりに「角川──」(略──)を見てみましょう。一般に赤石の前浜を恩顧歌(もとウンコウタ)と称しているが,これはアイヌ語のタンバウタ(水が引く浜の意)に由来するという。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.37 より引用)
ウンコウタ……(汗)。でも、改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、確かに「ウンコウタ」と記載がありますね。「タンバウタ」というのはどうにも良くわかりません。「G メン '75 のテーマ」でしょうか(違います)。tampa-ota であれば「こちら岸・砂浜」と考えられますね。あるいはよりローカルな呼称として存在していたのかもしれません。
西蝦夷日誌には次のように記されていました。
廻りてウンユウタ(沙)、ヲヽコチナイ(小川)
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.21 より引用)
うーん。恩顧歌のあたりで温泉が出るのであれば「ユウンウタ」という考え方も成り立つのですが、「ウンユウタ」ですので、これは「コ」を「ユ」と誤ったと考えたほうが自然かもしれません。西蝦夷日誌のこの部分を良く読むと、「ウンユウタ」が「沙」で、「ヲヽコチナイ」が「小川」とあります。これを素直に受け取ると、川の名前は「ヲヽコチナイ」で、河口部の砂浜の名前が「ウンユウタ」(ウンコウタ)となろうかと思います。「ヲヽコチナイ」は o-u-kot-nay で「そこで・互い・に付く・沢」でしょうか。
なるほど、永田地名解にも次のような記載がありました。
Oukot nai オウコッ ナイ 合(アヒ)川この辺のざっくり具合が知里さんに突っ込まれる要因なんだよなぁ……と思いつつも、本質的には正鵠を得ているんですよね。
さて、「ヲヽコチナイ」と「ウンコウタ」の関係ですが、o-u-kot-nay の河口部に広がる砂浜のことを「ウンコウタ」と呼んだ、ということになろうかと思います。つまり、u-kot-ota (「互い・に付く・砂浜」)なんじゃないかなぁと思ったのですが、どうでしょうか。
力沢川(りきざわ──?)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
恩顧歌から少し南にいったところを流れている川の名前です。読み方が定かでは無いのですが、「力沢川」の南隣に「兄力沢川」があることに興味を惹かれました。仮に「りきざわ──」と読むのが正しいのであれば、もしかしたら rik-un-nay で「高所に入る川」が元だった可能性もあるのかな、と考えました。「あにりきざわ──」は an-rik-un-nay で「もう一つの・高所に入る川」ではないかという推測です。
ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」や「西蝦夷日誌」を見た限りでは、このあたりに「チフタナイ」という川があったように見て取れます。この川について、永田地名解には次のように記されています。
Chip ta nai チㇷ゚タ ナイ 船材ヲ取ル澤
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.145 より引用)
これも概ね妥当な解のように思えます。chip-ta-nay で「船・切る・沢」となりますね。もしかしたら、「チプタナイ」が「チプタ沢」となり、やがて「チカラ沢」に化けた……という可能性もあったりするのかなぁ、と想像してみたのですが、いかがでしょうか。小カカリ石
(典拠あり、類型あり)
力沢川・兄力沢川から更に 6~700 m ほど南の海上に「小カカリ石」という岩礁があります。そこから更に 6~700 m ほど南の海上には「大カカリ石」もあります。この岩礁については、東西蝦夷山川地理取調図には「ホロレタレエシヨ」「ホンレタレエシヨ」と記されています(北から)。また西蝦夷日誌にも次のように記されています。
ホロレタレエシヨ(岩磯)、レタレエシヨ(同)白岩磯の義也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.21 より引用)
ありがたいことに、西蝦夷日誌には解まで記されていました。poro-retar-iso で「大きな・白い・波かぶり岩」と考えれば良いようです。「大カカリ石」が pon-retar-iso で「小さな・白い・波かぶり岩」ですね。少し不思議なのは、現在は北から「小カカリ石」「大カカリ石」の順なのですが、東西蝦夷山川地理取調図や西蝦夷日誌では「小カカリ石」が poro-(大きな)であると記されています。どこで入れ替わってしまったのでしょうね。
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