ショロマ川
この「ショロマ川」、東西蝦夷山川地理取調図に「シヨウロマ」と記されている川のことだと思われます(東蝦夷日誌では「シヨロマ」)。戊午日誌「東部安都麻誌」にも次のように記されていました。
扨此処の向岸と思ふ辺りに
シヨウロマ
西岸川巾五六間、急流峨々たる山の間より落来るとかや。是滝川に成るより号るとかや。
イクバンドユクチセ沢
こんな状況ですので、「イクバンドユクチセ」には何らかの誤記、あるいは解釈ミスがあったと考えてみたいです。ここで大きなヒントとなるのが、イクバンドユクチセ沢の東側(厚真川の上流側)を流れている「ペンケユクチセ沢」の存在です。penke-yuk-chise は「川上の・鹿・家」と読むことができます。鹿の多い沢だったのでしょう。
アイヌ語の地名に於いては、penke- と対になる形で panke- が存在する確率がかなり高くなります。そのため、「イクバンドユクチセ」の「バンドユクチセ」は panke-yuk-chise である可能性が高いのではないかと考えました。
「イク」については、最もありそうなのが yuk(鹿)ですが、今回は yuk-chise が後ろについているのでその可能性は低いのではないかと思います。あとは i-uk で「それ・採取する」という風にも読めますが、「それ」が何を指すかが今ひとつ不明瞭に思えます。
ということで、別解を考えて見ました。i-kus-panke-yuk-chise で「それ・通行する・川下の・鹿・家」か、あるいは ika-panke-yuk-chise で「あふれる・川下の・鹿・家」あたりの可能性は無いでしょうか?
i-kus-panke-yuk-chise だと「それ・通行する」、つまり「クマも出る川下の鹿の家」といった感じでしょうか。ika-panke-yuk-chise であれば「跨ぐ」あるいは「越える」「あふれる」と言った意味となります。河口部が川の体をなしていなかった(斜面をそのまま水が流れるような感じ?)と言ったような特徴があったのかな、と想像してみました。
2021/4/29 追記
「東西蝦夷山川地理取調図」や戊午日誌「東部安都麻誌」には「マタヤツチセ」「ベンケヤツチセ」という記録が残されていました。「ヤツチセ」は「木の皮で作った家」とのこととあります。その点を加味してヘッドラインを修正しています。
メルクンナイ沢
戊午日誌「東部安都麻誌」に記載がありました(ほっ)。早速見てみましょう。
また少し上り東
メルクンナイ
山間の小川也。其名義メルは寒気の事也、クンは氷ると云義也。此沢寒気甚しきによって早く凍ると云儀のよし也。
「クンは凍ると言う意味なり」とありますが、これも意味を確認できませんでした。もしかしたら水面が凍った様を kunne (「黒い」)と表現したのかな、と思ったりもします。だとすると me-ru-kunne-nay で「寒気・道・黒い・沢」でしょうか。
東西蝦夷山川地理取調図を見ると、メルクンナイ沢と思しきところに「メルリシナイ」と記されています。「リ」が「ク」の誤記だとすると「メルクシナイ」となるのですが、これだと me-ru-kus-nay で「寒気・道・通行する・沢」と読めそうですね。
ショウシウシ川
今回も戊午日誌「東部安都麻誌」に記載がありました。
また此向岸に
シヨシユシ
此処平兀なるよりして号るとかや。シユシユシは兀平の事なりと。
なるほど、sos-ke で「剝げている」という意味がありますが、sos-o で「剥がす」となりますので、{sos-o}-us-i で「{剥がす}・いつもする・もの」と言ったところでしょうか。がけ崩れが多かったのか、地肌が見えることが多かった場所だったのかもしれません。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International