(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
オバウス沢川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
厚真川の東支流であるウクル川に注ぐ支流の名前です。ちなみにこの「オバウス沢川」と「ウクル川」の間に「姨失山」(うばうし──)という山もあります。戊午日誌「東部安都麻誌」に記載があった……のは良かったのですが。とりあえず見てみましょうか。
また少し上
ヲハユシナイ
左りの方小川。本名はヲハウシチエホツナイと云よし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.467 より引用)
とまぁ、ここまでは良いのですが、是魚を取り腸を切、此処の小屋に干置し処、煤にて黒く成りしと云儀なるとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.467 より引用)
……え? 魚の腸が煤で黒くなったって? 「ヲハユシナイ」あるいは「ヲハウシチエホツナイ」を頑張って読み解こうとしましたが、残念ながら読み解くことができませんでした。「ヲハウシチエホツナイ」であれば、o-pa-us-chep-ot-nay で「尻・川下・につけている・魚・多くいる・沢」と読み解けそうです。今ひとつピンと来ない解ですが、オバウス沢川はよく見ると、ウクル川の川下側に寄って流れているようにも見えます。これを指して o-pa-us と言ったのかな、とか……。
頗美宇川(はびう──)
(? = 典拠あり、類型未確認)
頗美宇川は厚真川の支流の中では五指に入る大きさですが、何よりもその難読ぶりが道内でもトップクラスなので、ご存じの方も多いかもしれません。今回は永田地名解に記載がありました。
Kapiu, カピウ 鷗(カモメ) 海嘯ニ先ツテ鷗集リテ噪キシコトアリ故ニ土人尊ビテ神鳥トナスどことなく「藤岡弘、」を思わせる表記ですが……(それはどうでもいい)。えーと、「津波の前にカモメが集まって騒いだので」という説のようですね。
東蝦夷日誌にも似たような話が記されていました。
左りカピウ(川幅七八間)鷗(カモメ)の事也。鷗は海邊に住める者なるに、昔し爰(ここ)に来り、巣を作り雛を持しや、其時海嘯(ツナミ)にて海邊皆荒たりと。依て其鷗は神の御使者なり迚(とて)、今に其處を尊敬し、必ず此處に来たればエナヲを供えけるとて多く立たり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.116 より引用)
ふぅーむ。こうまで見事に話が一致していては、それ以外の解を考えるのも億劫に……違うか。難しくなりますよね。いや、津波があったんだよとして「山奥にヒラメ」とか「山奥にカレイ」みたいな話を割と良く目にするのですね。それはそれである種の真実としながらも「本来の意味」が隠されているケースも少なくないと思っているのですが、ちょっとこの「カピウ」については他に解釈のしようが無いなぁ……と。ということで、今日のところは kapiw で「カモメ」と考えるほか無さそうな感じです。
ヤチセ沢川
(典拠あり、類型あり)
頗美宇川の西支流の名前です。あまりアイヌ語っぽくない語感にも思えたのですが、どうやらこれも起源はアイヌ語のようで……。戊午日誌「東部安都麻誌」には次のように記されていました。
また少し上に
ヤツンチセ
左りの方小川。是昔し土人等始て木の皮屋を立し処なりとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.473 より引用)
少し解釈に悩んだのですが、yar で「木の皮」という語彙があります。yar-chise という組み合わせであれば、音韻変化で yat-chise と変化しそうな感じです(意味は「木の皮・家」)。実際に「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、この川の場所には「ヤツチセ」とあります。問題は「戊午日誌」がどこから「ン」を持ってきたかですが……。んー、良くわかりませんね(汗)。
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