2016年12月17日土曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (399) 「入鹿別・ポロクラ川・オロベニタチナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

入鹿別(いるしかべつ)

i-ruska-pet
ものごと・を腹立たしく思う・川
(典拠あり、類型あり)
むかわ町と厚真町の境(どちらかと言えばむかわ町に含まれる)を流れる川の名前です。かつては北海道鉱業鉄道の駅がありました。ということで「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  入鹿別(いりしかべつ)
所在地 (胆振国) 勇払郡厚真町
開 駅 大正 12 年 11 月 11 日(北海道鉱業鉱道)
廃 止 昭和 18 年 11 月 1 日
起 源 アイヌ語の「イルシカ・ペッ」(立腹した川)から出たものである。政府が買収したのは、昭和 18 年 8 月 1 日で、同日旅客駅とした。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.223 より引用)
北海道鉱業鉄道はかつての国鉄富内線の前身ですが、当時の起点は鵡川ではなく沼ノ端で、現在の道道 1046 号「鵡川厚真線」のあたりを通っていました。昭和 18 年に戦時買収で国鉄に買収されると、鵡川と苫小牧の間に重複した路線は不要とのことで、豊城と鵡川の間に短絡線が建設され、入鹿別駅を含む沼ノ端-豊城間は路線休止となってしまいました。

ちなみに、休止時点での駅名は「いりしかべつ」となっていますが、北海道鉱業鉄道時代は「いるしかべつ」と読ませていたのだそうです。ただ、駅名以外でも「いりしかべつ」とルビが振られている場合もあるようで、どちらでも通用するのかもしれません。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のようにあります。

入鹿別 いるしかべつ
 鵡川の一本西の川。イルシカ・ペッ(irushka-pet 怒る・川)の意。誰が何を怒ったのかが忘れ去られていて,いろんな説明がされるようになった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.374 より引用)
戊午日誌「東部安都麻誌」には次のように記されていました。

扨此処のうしろ浜の方に
     ユルシカベツ
川巾五六間、此川口第二番の川にして、浜まゝ是は東に入る。其名義は怒る義なり。ユルシカは立腹の様なる訳也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.458 より引用)
この記述なんですが、東西蝦夷山川地理取調図などを見てみると、入鹿別川は独立河川としてではなく、厚真川の支流として認識されていた様が見て取れます。「浜まゝ是は東に入る」というのは、浜と並行して東に入る、すなわち浜に沿って東から西に流れていたことを示唆します。

永田地名解には次のように記されています。

Irushka pet   イルシュカ ペッ   怒(イカリ)川 沙原ノ長川ニテ行人怒ルヲ以テ名クト云
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.208 より引用)
どうして怒っているのか、どうにも良くわからないですが……。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、もう少し細かいストーリーが記されていました。

 入鹿別(いるしかべつ)
 厚真町と鵡川町の界になっている川の名で、この川口は昔ときどき波のはこぶ砂のためにふさがり、水があふれるとその力でやぶれて流れ出るという川であったが、昔ある時急に水が砂をやぶって流れ出して、通行人をおぼれさせてしまったため、村の長老達が川の神に対して抗議したところ、腹をたてた川の神はここから海に流れ出ることをやめて、海沿いに浜厚真の方に流れて行って、海にそそぐようになったので、イルシカ(立腹)したペッ(川)と名付けたという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.75 より引用)
句点が入ったところで一旦切ろうと思ったのですが、句点が最後まで出てこなかったという……(汗)。更科さんのストーリーでは、この「入鹿別川」は村の長老に「突然キレるんじゃねーよ」と文句を言われたことに逆ギレ(逆?)して厚真のほうに向きを変えてしまったということ。なるほど、それで「川が怒った」というわけですね。i-ruska-pet で「ものごと・を腹立たしく思う・川」と考えておきましょう。

ポロクラ川

poro-ku-rar
大きな・仕掛け弓・置く?
(典拠あり、類型あり)
入鹿別川の東側を流れる支流の名前です。残念ながら手元の資料には記載が見当たらないのですが、ほぼ同音の「幌倉」という川が赤平市にありました。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、赤平・滝川の「ポロクラ」「ポンクラ」について、次のように記していました。

 永田地名解は「ポロクラ(機弓を置く大川),ポンクラ(機弓を置く小川)」と書いた。ku-rar(弓を・置く)とでも読んだものか。現在の東滝川駅は昭和29年までは幌倉駅であった(そこは元来はポンクラだが,ポロクラの方が大地名化したからか)。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.66 より引用)
rar は、本来は「潜る」という意味なので、「置く」というのは多少の意訳を加えた形となりますが、まぁ妥当な解釈かなぁと思います。今日のところは poro-ku-rar で「大きな・仕掛け弓・置く」と考えておきましょう。rar の後ろには -pet あたりがついていたのかもしれません。

オロベニタチナイ川

woro-pe-nitat-nay???
水につける・水・谷地・沢
(??? = 典拠なし、類型未確認)
むかわ町二宮の東側、豊城の北側を流れる川の名前です。この川の西側には「ニタチナイ川」という川が流れています。これは nitat-nay で「谷地・沢」と解釈することができるのですが、問題は「オロベニタチナイ」の「オロベ」です。

音から考えると woro-pe-nitat-nay あたりでしょうか。これだと「水につける・水・谷地・沢」と考えられそうです。あるいは oro-pet-nitat-nay で「?のところの・川・谷地・沢」とも考えられるかもしれません。oro の前に何かがあったのでしょうが、省略されてしまった、と言った感じでしょうか。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事