2016年12月4日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (397) 「幌去川・オソスケナイ川・チクニナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

幌去川(ほろさる──)

poro-sar?
大きな・葭原
(? = 典拠未確認、類型多数)
富内のあたりで鵡川に合流する支流の名前です。むかわ町穂別と平取町幌毛志を結ぶ道道 131 号「平取穂別線」が川沿いを通っています。また、既に廃止されてしまった国鉄富内線も近くを通っていました。

戊午日誌「東部武加和誌」を見たところでは、現在の「幌去川」は「ヲソツケイ」という名前だった可能性がありそうです。

またしばし過て
     ヲソツケイ
右の方相応の川也。其名義は奥に滝多きよりして号しとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.593 より引用)
ふむふむ。これは o-so-{ot-ke}-i で「そこで・滝・{群在させる}・もの」あたりでしょうか。ot は「群在する」という完動詞なのですが、「自動詞について他動詞をつくる」とされる -ke がついているので、かなり無理矢理な解釈になってしまいました。

あるいは単純に「ナ」と「ケ」の転記ミスである可能性もあるのですが、東西蝦夷山川地理取調図にはこの川のことが「ハンケヲソツケナイ」と記されているので、やはり「ケ」の存在は無視できないような感じもします。

さて、本題の「幌去川」ですが、何らかの理由で「ヲソツケイ」という川名が失われ、代わりに峠の向こう側の地名である「幌去」が川の名前として使われるようになった……と言ったあたりかな、と想像してみました。poro-sar は「大きな・葭原」と言った意味で、現在の平取町幌毛志から振内などを含む沙流川流域一帯の大地名だったと考えられます。

オソスケナイ川

penke-o-so-{ot-ke}-i?
川上の・そこで・滝・{群在させる}・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
むかわ町穂別富内の東に位置する「穂別安住」(ほべつあずみ)のあたりを流れている川の名前です。この川は、戊午日誌「東部武加和誌」に「ヘンケヲソツケイ」と記載されている川のことではないかと思われます。

しばしに
     ヘンケヲソツケイ
是も右のかた相応の川也。其名義前に云ごとし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.594 より引用)
あ……(汗)。そりゃそうですよね。「其名義は奥に滝多きよりして号しとかや」ということでしたから、これは penke-o-so-{ot-ke}-i で「川上の・そこで・滝・{群在させる}・もの」と考えれば良いでしょうか。

ちなみに、現在の「オソスケナイ川」という名前を素直に読み解くと、o-soske-nay で「河口・剥げている・沢」となります(河口部分で土が露出している状態を示している命名)。戊午日誌の記録とは全く異なりますが、案外こっちが正解だったりするのかもしれません。

チクニナイ川

chikuyra-nay??
イワツツジ・沢
chikuni-nay?
枯れ木・沢
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
オソスケナイ川の隣(川上側)を流れている鵡川の支流の名前です。今回もまずは戊午日誌「東部武加和誌」から。

等過て川瀬急にして岩石多く甚わろしと。
     チ ク
右の方小川有。其名義は毒矢を置しと云事なるよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.594 より引用)
ふむ。毒矢だけに「チク」ですか(何か違うような)。一方久しぶりに登場の永田地名解には次のようにありました。

Chikuni   チクニ   枯木
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.213 より引用)

知里さんの「チクニ」考

どちらもちょっと釈然としない解なのですが、永田地名解にある「枯木」という解については、知里さんの「植物編」にも記されていました。ちょっと長いですが、まるごと引用しておきましょうか。

chikuni  木本莖。これと ni との區別を云えぼ,合成語の要素としてわni のみ用いられ,その方が古いことを示している。日本語で木と云えば,立ち木(tree)をも,材としての木(wood)をも意味するが,アイヌ語の ni も同様である。一方 chikuni わ,樺太でわ chikunni とも云われ,もっぱら焚木(fire-wood)を意味する。chikunni わ chi(我ら)-kur(火にくべて當る)ni(木),と解されるから,この方が原義と思われる。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.265 より引用)
旧字が多いので読みづらいと思いますが、「莖」は「茎」、「區別」は「区別」、「當る」は「当たる」と読んでください。

続きがあるのですが、まさに今回話題にしている「チクニナイ川」について記されています。

北海道膽振國勇拂郡に chikuni とゆう地名があり,永田方正氏わそれに對して“枯木”なる説明を與えているのわ(C,p. 213),その意味で注目に値する。但し,同じ膽振の幌別郡の日常語でわ,chikuni わ立ち木を云い,ni わ材としての木を云う。従って,ni の第 3 人稱形 niye わ,何かの材料となっている木を云う。辭書に niye を擧げて“物の骨組”としているのがそれである。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.265 より引用)
「膽振國」→「胆振国」、「勇拂郡」→「勇払郡」、「對して」→「対して」、「與えている」→「与えている」です。「第 3 人稱形」は「第 3 人称形」、「辭書」は「辞書」で、「擧げて」は「挙げて」ですね。

知里さんが「注目に値する」としたのは、胆振の幌別(現在の登別市)のあたりでは chikuni は木材ではなく「立木」を意味するのに、同じ胆振の穂別において、永田方正翁が「樺太流の解釈」である「枯れ木」を持ち出してきたこと、でしょうか。

閑話休題(それはさておき)

ということで、鍋好きの永田方正さんは chikuni を「枯れ木」と考えたわけですが、今度は松浦武四郎さんが何故に「毒矢」という解を残したのかを考えてみましょう。

実は、chikuyra で「イワツツジ」という意味があるのだとか。そして、ツツジの多くには「グラヤノトキシン」という毒成分が含まれるそうです。つまり、chikurya → イワツツジ → 毒、という三段論法だった可能性があるのでは……と言う話です。

面白いことに、松浦武四郎はこの川のことを「チク」としか記録していません。従って、「チクニ」を略した可能性と「チクイラ」を略した可能性のどちらもありそうな気がします。

ちょっと結論を出せそうにないので、今日のところは両論併記としておきましょうか。chikuyra で「イワツツジ」という意味か、あるいは chikuni で「枯れ木」という意味のどちらかかなぁと思います。

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