病気の群衆
イザベラは見るに見かねてか、手持ちの「クロロダイン」を咳で苦しんでいる子どもに飲ませてみました。すると……宿の亭主の小さな男の子は、とてもひどい咳で苦しんでいた。そこで私はクロロダインを数粒この子に飲ませたら、すべて苦しみが和らいだ。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.160 より引用)
どうやら「クロロダイン」の効果は覿面だったようですね。ちなみにこの「クロロダイン」ですが、「クロロホルム」と「モルヒネ」を含む鎮痛剤とのこと。これは確かに効きそうです……(汗)。このイザベラの取った行動は、本人が予想もしなかった形で波紋を広げます。「異人さんの薬がたちまち子どもの咳を快癒させた」という噂は村の中を駆け巡り……
治療の話が翌朝早くから近所に広まり、五時ごろまでには、ほとんど村中の人たちが、私の部屋の外に集まってきた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.160 より引用)
……このような事態を招いたのでした。私は障子を開けてみて、眼前に現われた痛ましいばかりの光景にどぎまぎしてしまった。人々は押しあいへしあいしていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.160 より引用)
想定外の出来事にさすがのイザベラ姐さんも困惑を隠しきれなかったようです。素人医者
困惑しながらも、イザベラは眼前に広がる光景を冷静に分析していました。群衆の中には少なからぬ数の「野次馬」が紛れていることもイザベラは見抜いていたようです。イザベラは、群衆に向かって正直に語りかけることで事態の収拾に努めます。
私は、悲しい気持ちになって、私には、彼らの数多くの病気や苦しみを治してあげる力がないこと、たとえあったとしても、薬の貯えがないこと、私の国では絶えず着物を洗濯すること、絶えず皮膚を水で洗って、清潔な布で摩擦すること、これらは同じような皮膚病を治療したり予防したりするときに医者のすすめる方法である、と彼らに話してやった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.160 より引用)
イザベラは、蔓延する疾病の多くは衛生面の問題に起因すると見ていたようです。あくまで想像でしか無いですが、この見立ても大方当たりだったのでは無いでしょうか。残りの構造的な問題は貧困に起因する栄養不足と偏りにあったのではないかな、と思ったりもします。衛生面を改善する必要がある旨を群衆に伝えた後、手持ちの医薬品(に類するもの)を無理のない程度に施したようです。
そして彼らの気持ちをなだめるために、ある人の貯蔵品からやっともらってきた動物性脂肪や硫黄華を、少し塗りつけてやった。それから、重症の場合にはどう手当てをするかを話してやった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.160-161 より引用)
イザベラから施しを受けた群衆は、明らかに名残を惜しんでいたようです。ぜんぶの子どもたちが、かなりのところまで私の後について来た。かなりの数の大人たちも、同じ方角に行くのだから、と言いわけをしながら後について来た。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.161 より引用)
まるで敗戦後に「ギブ・ミー・チョコレート」を連呼した子どもたちのようですね。風呂、清潔の欠如
イザベラの「紀行文」は、ここで少し趣を変えて、日本の農村がいかに衛生面で立ち遅れていたかを詳らかに記していました。当時の風俗を窺い知るには良い資料だと思われるのですが、さすがに「紀行文」としては度を越したと考えたのか、後に発表された「普及版」ではバッサリと削られています。というわけで、例によってちょっと文体が変わりますが、カットされた部分を見ておきましょう。
私は日光を出発して以来見てきたありありと見える貧しさと現実の不潔さと不快感に対してまったく準備が出来ていなかった。私たちにとって、汚いという種類の貧困は一般に怠惰か飲みすぎ(アルコール中毒)によるものですが、ここでは、前者は知られていなく、後者は小農地所有者の間では稀です。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.59 より引用)
イザベラは、日本における農村の不潔さがこれまで知られていた類型に属さないことに気づきます。「不潔さ」が「怠惰」にも「飲み過ぎ」にも起因しないことを、イザベラは次の一文で証明しようとしています。彼らの勤労は途切れることなく続き安息日というものがなく、彼らがするべき仕事がないときのみが休日です。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.59 より引用)
また、次のような面白い一文がありました。目に見える貧困は彼らがまだ身に馴染んでいない心地よさへの無関心に起因するのかもしれません。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.59 より引用)
農村の民が貧困から抜け出せないのは、「貧困」以外の状態を知らないからではないか……という仮説です。俗な表現をすれば「なりたい自分を知らない」とでも言えるのでしょうか。この見立ては確かに正しいのかもしれません。話題は「不潔さ」に代表される衛生面の問題から、人々の入浴習慣に移ります。
個人の家の風呂は 4 フィートの高さの浴槽があり、平均的な大きさの人間が普通にしゃがんだ姿勢で膝を折って入るには充分な大きさがあります。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.59 より引用)
4 フィート はメートル法に換算すると約 122 cm ですね。広くない代わりに高さがある日本式の浴槽(五右衛門風呂)はやはりイザベラには目新しいものだったのでしょうか。更にはこんな記述もあります。その温度は華氏 110°から 125°[約 43~52 ℃]で、老人の間では、風呂に入っている間に卒倒して命に関わることが知られています。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.59 より引用)
43 ℃ を超える風呂というのは結構な熱さですよね。50 ℃ というのは確かに生命に関わりそうな気もしますが、昔の日本人は熱々の風呂が好きだったということなのでしょうか……?この「日本式風呂」のシステムでも、イザベラは衛生面での懸念を記していました。
個人の家の風呂は家の同居人全員が 1 回も水を変えずに使い、公衆浴場では、大勢の客が水を変えることなく使います。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.59 より引用)
これは……。現代の日本でも割と当てはまるような気がしますね。24 時間循環式の風呂でも雑菌が繁殖する問題を防ぎきれていないような気もしますね。風呂は洗浄のためではなく、ゆったりとした気分を味わうために浸かります。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.59 より引用)
これは全くその通りなのですが、50 ℃ のお湯でゆったり気分を味わうのは少々難しいような気も。現在では、一般的な浴室には必ず「洗い場」があって、そこで体や頭を洗うのが普通ですが、これは衛生面での手当を行いつつも水や湯を節約して、また湯船をくつろぎの場に変えるという「一挙三得」のような素晴らしい仕組みであるように思えてきました。現在の日本の「スーパー銭湯」をイザベラが体験したならば、どんなコメントを残してくれたのか、ちょっと興味が湧いてきました。
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