(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
シラウ川
(典拠あり、類型あり)(?? = 典拠なし、類型あり)
平取町川向の南側を流れる川の名前です。川向のあたりは平野部より 50 m ほど高い台地になっているのですが、シラウ川は台地のど真ん中を深く掘った形で流れています。戊午日誌「東部沙留志」には次のように記されていました。
扨東岸には槲柏原、岸は崖になり上は平地
シ ラ ウ
右の方東岸相応の川、清冷、鱒・鯇有。其名義虻多しと云儀のよし也。左右かや野原多し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.650 より引用)
ふーむ。確かに siraw には「アブ」という意味があるのですが……。なんか引っかかるので別解を考えてみました。sir-aw であれば「大地・枝」、あるいは「大地・内」となりそうなのですが、これだと台地の中を割って流れている地形にも通じそうな気もします。いかがでしょうか?
山田秀三さんの「北海道の地名」に、ちょっと面白い話が書いてありましたので、参考までに引用しておきます。
この沢にはからす貝(ピパ)の貝殻の丈夫なものがいて,穂摘み用によく遠くから採りに来たのだったという。それをイ・チャ・ピパ(それを・摘む・からす貝)と呼んだそうである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.361 より引用)
本筋とは関係ない話ですいません(汗)。平賀(びらが)
(典拠あり、類型あり)
日高道「日高富川 IC」の北東にある、日高町の地名です。沙流方言のインフォーマントとして著名な「平賀さだも」さんがこの辺りにお住まいだったのだとか。永田地名解(鍋大好き)には、次のように記されていました。
Pira ka ピラ カ 崖上 平賀村はい。pira-ka で「崖・かみ」と考えたのですね。実に妥当な解だと思います。
続いて戊午日誌「東部沙留志」には、次のように記されていました。
しばし過て川 端より凡十四丁、東の方引上(ひきのぼり)て
ヒラカ村
此処平山にして同じく槲柏原にして、下草苅かや・白茨(芽)等多し。其名義は此村の下に大なる平崩有る故に号るとかや。人家二十四軒一条の市町の如く立並びぬ。此辺畑多し。此処水に案じなし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.643 より引用)※ カッコ内の註は解読者による
まぁ、pira-ka で「崖・かみ」であることには違いは無いのですが、少し地誌的なフォローをしておこうかと。沙流川沿いには「移転地名」が多いのですが、この「平賀」もその一つでした。松浦武四郎が旅した頃は、まだ「平賀」の集落は沙流川の東側の、崖の上(台地)にあったのですね。山田秀三さんの「北海道の地名」に、平賀が現在地に移転した経緯についてまとめてありましたので、引用しておきます。
明治になり,水田耕作が導入され,西岸の葭原が農地化し出したころは,崖上のコタンから斜面を下り,川岸に置いた丸木舟で田畠に通っていたのだそうであるが,次第に西岸に移住したのだという。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.361 より引用)
あー。多分そんなところだろうなぁーと思ってました。沙流川沿いの平野部が農地になったのは稲作・畑作の普及によるものだと思いますが、沙流川の治水もそれを支える重要なファクターだったのでしょうね。エショロカン沢川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
移転後(現在)の平賀の集落を流れている沙流川の支流の名前です。今回もまずは戊午日誌「東部沙留志」から。
また少し上り
ヱソロカン
左りの方小川。此川鱒・鯇・桃花魚等入るによろし。其名義は鉄掃木有る処と云へりと。またユウフツに此名の有る処にては、土人火箸に用ゆる木の有る処といへど、鉄掃木は火ばしに成る程大なるものなし。是如何なる違なる哉。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.648 より引用)
「鉄掃木」って何じゃらほい……と思ったのですが、これで「メドハギ」と読むのだとか? Wikipedia には次のようにあります。メドハギはハギ属の雑草で、真っすぐに立つ姿が特徴的である。薬草としても使われるほか、独特の利用が知られる。
(Wikipedia 日本語版「メドハギ」より引用)
「独特の利用」がちょいと気になるのですが、上述のように元来は筮萩とよばれたが、これはかつて筮竹の替わりに用いられたことによると言う。
(Wikipedia 日本語版「メドハギ」より引用)
ふむふむ。あと「腎臓病に効く」という説もあるそうですが、「広く薬効が認められている訳ではない」とも記されていますね。続いて鍋ならおまかせ!永田地名解を見てみます。
Eshorokani エショロカニ 杜仲(マユミ)方言ヱリマキ又イヌマキ○此地方ニハ稀有ナレトモ天鹽川ニ最モ多シ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.228 より引用)
ふーむ。「杜仲茶」でおなじみの「杜仲」ではないか、という解釈のようです。知里さんの「植物編」には、また違う解が記されていました。
§152. ミツバウツギ Staphylea Bumalda Sieb. et Zucc.
( 1 ) esorokanni (e-só-ro-kan-ni) 「エそロカンニ」[e(それで)soro(かんな)kar(つくる)ni(木)]莖 ((A 沙流・千歳))
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.94 より引用)
ふむふむ。知里さんの説では「ミツバウツギ」では無いかと言うのですね。次のような説明も添えられていました。(參考) 語義の示す通り,この木でかんなの臺やのみの柄を作った。
この木わ,表皮(kán-kap “上の・皮”)を去り,内皮(pokin-kap “下の・皮”)を熱湯(sések-usey “ 熱い・湯”)に入れて,その汁で打身などを濕布した(穂別)。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.94 より引用)
ふむふむ。キハダ (sikerpe) と同じような使い方もあったのですね。ということで、諸説まちまち豪華絢爛なラインナップでお届けしていますが、山田秀三さんの「北海道の地名」には、他ならぬ平賀さだもさんからのヒアリング内容が記されていました。
アイヌ語の正確な,土地の古老平賀さだも媼は「エソロカン・ニで,エソロカニではない。和人の言葉では花クスベリ(注:花グスベリ?)で,一尺前後の小さな木。馬の傷を洗うのに使ったが,毒の木である」と語られた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.361 より引用)
また違う説が……。どうしたものでしょうね。とにかくその木の生えていた沢だったからの名。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.361 より引用)
山田さーん(汗)。www.bojan.net
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