2016年10月21日金曜日

秋の道南・奥尻の旅 (76) 「栃久保平治先生頌徳碑」

フェリーターミナルのある奥尻町奥尻を通り過ぎ、更に北へと向かいます。球浦川を渡って……
奥尻町宮津に入ります。前の日に泊まったところなので、5 時間ほどかけて戻ってきた……とも言えますね。
宮津のシンボル、宮津弁天宮が見えてきました。
そしてさらに北上を続けて、奥尻島最北端の稲穂地区にやってきました。

休業でした……!

奥尻島最南端の青苗地区から、最北端の稲穂地区にぴゃーっと移動したことになるのですが、わざわざ何故舞い戻ってきたかと言うと……
「賽の河原公園」のお店が開いてないかなー、と思ったのです。残念ながら結果はご覧の通りでした。定休日だったのか、あるいはシーズンオフで休業だったのか……。

歴史民俗資料展示室

フェリーの出港まで、あと 2 時間 20 分ほどあります。ということで、奥尻町稲穂の「稲穂小学校跡」に行ってみることにしました。残念ながら小学校は閉校となってしまい、今は「歴史民俗資料展示室」として使われているみたいです。

夕なぎ公園

駐車場の場所が良くわからなかったので、周辺をウロウロしていると、今度は「夕なぎ公園」という名前の公園が見えてきました。
公園の奥には神社も見えます。鳥居は北海道でありがちな金属製の円いものではなく、普通の角ばったデザインのものですね。それほど積雪に気をつける必要は無い場所なんでしょうか。

栃久保平治先生頌徳碑

この公園には、なぜか二宮金次郎さんがいて、そのちょい横には「栃久保平治先生頌徳碑」と刻まれた石碑があります。
奥尻島最南端の青苗地区には「徳洋記念碑」という巨大な石碑がありましたが、最北端の稲穂地区には、岬から少し離れた小学校(跡)の近くに石碑がありました。誰なんだろう……と思ったのですが、どうやら旧・稲穂小学校の前身である「菰澗(こむま)尋常小学校」の校長先生だった方のようです。

この石碑ができたのが昭和 10 年とのことですから……徳洋記念碑ができてから数年後のことですよね。これは……もしかして張り合う気持ちがあったんでしょうかね。ちょうど日本が戦争のスパイラルに突入した時期で、故郷に箔をつけることが流行していたのかな、なんて思ったりもします。

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