「復興20年ありがとう!」「奥尻島」の文字でした。そして、その下には「おわりに」として、次のような文章が添えられていました。
上記の展示を見ると、「被災20年」=「復興20年」となっていて、まるで被災したその年に復興を果たしたかのようにも思えてしまうのですが、さすがにそれは無いですよね。奥尻町長による「復興宣言」は、震災から 5 年後の 1998 年 3 月に出ていたようです。
旅する工事標柱
ではここで、紹介するタイミングを逸してしまったので最後になってしまいましたが、ちょいと興味深いものをお目にかけます。これは、工事現場で見かける「工事標柱」なのですが……
標柱の横に、こんな説明文が添えられていました。「津波で漂流」とありますが、実はこの工事標柱、兵庫県浜坂町(現在の「新温泉町」)に漂着していたのだそうです。
まるで江戸時代の北前船を地で行くような移動距離ですが、海流の流れをシミュレートしたところ、いったんサハリン沖まで北に流されて、その後は沿海州の沿岸を南下して、対馬の東で対馬暖流に乗って浜坂にたどり着いたのではないかと考えられるのだそうです。日本海の海流は逆時計回りなんでしょうかね……?
丘の上の「時空翔」へ
展示の充実ぶりが光った「奥尻島津波館」の話題も、これにて終了です。駐車場の車の向こう側に、ちょっとした丘が見えています。丘の上には「時空翔」との題字が見えますね。横に階段もあるので、ちょいと登ってみることにしましょう。
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