2016年10月11日火曜日

秋の道南・奥尻の旅 (68) 「奥尻島津波館『日本海中部地震の発生』」

「奥尻島被災20周年特別展示」として、「これまで、そしてこれから」と題された写真展示が行われていました(2013 年当時)。10/7 の記事の続きです。

もう一つの被災地 稲穂地区の移り変わり

北海道南西沖地震では、奥尻島北部の「稲穂地区」も、小学校が被災するなど大きな被害が出たところです。
津波の被害を防ぐため、海岸線には立派な防波堤が建設されました。航空写真で見ると、まるで巨大な壁のように見えますね。
この防波堤のインパクトは結構なもので、稲穂地区では道路から右側の海が全く見えなくなってしまいました。

日本海中部地震の発生

北海道南西沖地震が発生する 10 年前の 1983 年には、日本海中部地震が発生していました。
実はこの時も、青波漁港には何度も津波が押し寄せていたのでした。写真では、尋常ではない高さの波が漁港に押し寄せていたことがわかります。
10 年前にもこれだけの津波が押し寄せていたわけで、この時点で防波堤・防潮堤の仕組みを強化しておけば、北海道南西沖地震での被害を小さくすることができていたのかもしれません。当時の関係者には悔恨の情が少なからずあったのでは無いでしょうか。
そして、その 10 年後に「北海道南西沖地震」が発生してしまいます。

何故この下敷きが?

ところで、4 枚目と 6 枚目の写真に何やら妙なものが映り込んでいるのにお気づきでしょうか。これ、実は手前のテーブルに置かれていたものなんです。
震災当時の支援物資や、その外箱が置かれていたんですね。レトルトの「ごぼうごはん」や、缶詰などが並んでいます。これは自衛隊からの支援物資のようですね。
そして、何故か右側には野球選手の写真が入った下敷きが……。右下には世界の盗塁王・ふくもっさんの姿も。
ちなみに上の二人はリッキー・ヘンダーソンとピート・ローズなんですが、何なんでしょうこのクラシックな人選は……。阪急ブレーブスがオリックス・ブルーウェーブになったのが 1989 年ですから、福本豊が阪急のユニを着ている時点で古さがわかります。近鉄バファローズのユニも懐かしいですが、牛島(和彦)が着ている中日ドラゴンズのユニのデザインも懐かしいですよね。

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