2016年10月5日水曜日

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秋の道南・奥尻の旅 (65) 「奥尻島津波館『198 のひかり』」

 

次なる展示室にやってきましたが……これはなんかユニークな展示形態ですね。通常、この手の展示はもう少し大きなショーケースのようなものが隙間なく並んでいるような先入観があるのですが、ここでは一つ一つの展示がコンパクトで、しかしながらそれぞれの間にとてもゆったりとした空間が設けられています。

奥尻島の誕生

それぞれの「箱」の中には、ひとつひとつテーマに沿った模型などが展示されています。これは「奥尻島の誕生(6,000万~600万年前)」と題されたものですが……どう見ても海ですよね、これ。

岬の風景・なべつる岩

そして、奥尻島と言えばやはりこの岩は外せません。「岬の風景・なべつる岩」と題されたものです。

奥尻町の誕生

内容は地学的なものだけではなく、社会的なものもあります。個人的にとってもお気に入りなのがこちら。「奥尻町の誕生 (昭和41年)」です。
「町制」という、模型化が極めて難しいと思われるテーマに果敢に挑んだ意欲作です(笑)。「奥尻町」の看板?を持っている人の姿が妙にリアルなのですが、もしかして初代町長がモデルだったりするのでしょうか?

南西沖地震

そして、ついに「その時」がやってきます(松平アナか)。平成5年7月12日午後10時17分……そうか、地震が起こったのは夜遅くだったのですね。夜遅くの突然の地震で、数分後に巨大津波がやってくることを事前に認識できた人は、決して多くは無かったのでしょうね。いかに海の森羅万象に通暁していたとしても、震度 6 の揺れに襲われて気が動転しない人は滅多にいないでしょうから。

なべつる岩が崩れた

震災の爪痕は「なべつる岩」にも残されていました。幸いなことに全壊は免れましたが、岩の上部が一部欠けてしまったのです。「奥尻のシンボル」に残された傷跡は、奥尻島の資源が少なからず損なわれたことをも示していました。「ウニの生息環境も壊滅的な状態になりました」と記されています。

再建のつち音

しかし、奥尻の人たちはこの大災害に対しても挫けることなく、一歩一歩と復興へ向けて歩みを勧めます。「再建のつち音」と題されたこの模型は、見る影もなくなってしまった青苗地区の再建工事の姿を描いています。

198 のひかり

このような展示物が、ご覧のようにいくつも並んでいます。こうやって見るとまるで学校の教室のようにも思えてしまいますが……
実は、これらのオブジェの前には、先生でも黒板でもなく……
198 個(横 18 × 縦 11)の窓があったのでした。展示室には直射日光が入らない構造になっていますが、この 198 個の「窓」から光が差し込むようになっていたのですね。

この「198 のひかり」ですが、北海道南西沖地震で亡くなった方と行方がわからなくなった方の数(いずれも奥尻島内限定)に由来しているとのこと。この事実を知って、ようやくこの展示室の一見奇妙なデザインに隠された意図を知ることができました。6,000 万年~600 万年前の「奥尻島の誕生」から現在に至るまでの島の歴史を、198 のひかりが暖かく包み込む、厳かだけども優しい空間がそこにありました。

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