(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
プンカウ
(典拠あり、類型あり)
現在では失われてしまいましたが、1980 年頃の地図には記載が残っていました。かつての国鉄富内線・仁世宇駅のあったあたりの地名です。ということで、まずは「北海道駅名の起源」を見てみましょうか。仁世宇(にせう)
所在地 (日高国) 沙流郡平取町
開 駅 昭和39年11月5日 (客)
起 源 この付近は瑞穂(みずほ)部落と称しているが、この駅名ではほかにも 2、3 あるので、近くの集落の多い「仁世宇」の地名を取ったものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.99 より引用)
ふーむ。昭和 39 年から昭和 48 年の頃には、すでに「瑞穂」と呼ばれていたことになるんですね……。古い記録を確認してみたところ、大正九年に測図された陸軍図には「ウカンフ」(右から読みます)という記載を確認できました。永田地名解には「プンガウ ウㇱュ ナイ」という記録があり、また戊午日誌「東部沙留志」にも「フンカウ」という記録が見つかりましたが、東西蝦夷山川地理取調図で確認してみたところ、どうやらこれらの地名は日高町にあったようで、平取町仁世宇の南側の地名では無かったようです。
ということで、平取の「プンカウ」の地名解ではありませんが、永田地名解の内容を見てみましょう。
Pungau ush nai プンガウ ウㇱュ ナイ 吥坭樺(ヤチカンバ)アル澤なるほど。pungau-us-nay で「ヤチカンバ・ある・沢」ということのようです。どこかで聞いた単語だな……と思ったのですが、ちょうど 2 ヶ月前に取り上げていたのを思い出しました。ということで自分で自分の文章?を引用しておきます。
punkaw は、知里さんの「植物編」によると「ハシドイ」を指すのだそうです。「吥坭樺」は「ヤチカンバ」のことのようにも思えますが、「ヤチカンバは、1958 年に北海道の更別村で発見され」とする Web サイトもある(https://www.ffpri.affrc.go.jp/labs/raretree/7_BOindex.html)ので、「植物編」が編纂された時点では種として確立?されていなかったのかもしれませんね。
(「北海道のアイヌ語地名 (360) 『節婦・大狩部・受乞』」から引用)
萱野茂さんの辞書にも、次のようにあります。プンカウ【punkaw】
ドスナラ,ハシドイ.
*腐りにくい木なので家を建てる時柱に用い,家を守るチセコㇿカムイという神を作る時はドスナラとエンジュを使う.墓標もドスナラとエンジュを使う.
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.393 より引用)
なるほど、耐久性に優れた樹木として重宝されていたのですね。地名として残る理由もこれで納得です(アイヌ語の地名は実用性のあるものが多い)。地名「プンカウ」は、punkaw で「ハシドイ」だったと考えて良さそうです。仁世宇(にせう)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
かつてのプンカウのあたりで沙流川に合流する支流の名前です。集落の名前としての「仁世宇」はずっと仁世宇川を遡ったところで、戦前から戦後にかけてはクローム鉱の産出で一時代を築いた場所でもありました。では、まずは永田地名解を見てみましょうか。
Niseu ニセウ 槲實(ドングリ) 此邊槲實最モ多シ故ニ名ク土人拾収シテ食料ニ充ツ○松浦髙橋二氏ノ地圖「ムセウ」ニ作ル土人モ亦「ムセウ」ト云フモノアリ並ニ誤ル
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.233 より引用)
ということで、nisew で「どんぐり」である、としています。現在でもこの解が踏襲されているようですね。続いて、戊午日誌「東部沙留志」を見てみましょう。
また少し上り
ムセウ
左りの方相応の川也。其名義は本名ムヱセウにして、此川鱒多きが故に、ホロサルより皆取りに来て、其処にて皆煮て先喰ふよりして号しとかや。此川すじ両岸高山有て椴山也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.66 より引用)
確かに、永田方正が「松浦髙橋二氏ノ地圖『ムセウ』ニ作ル」と指摘した通り、戊午日誌や東蝦夷日誌では「ムセウ」と記されていますね。さて、どう考えてみたものか……。戊午日誌の「其処にて皆煮て先喰ふ」ですが、服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」によると、「煮る」のことを沙流方言では suwé と言うのだとか。u-e-suwe で「互いに・食べる・煮る」とでも考えたのでしょうか……(自信なし)。
あるいは「マス」(和語)が「ムセ」になって、muse-suwe なのかも……と考えてもみたのですが、このあたりまで古くから和人が入っていたとも考えづらいんですよね。
永田地名解の nisew =「どんぐり」説は、言葉の解釈としては疑問を差し挟む余地は無いかと思います。最大の問題点は地名としての妥当性で、実際にニセウのあたりがドングリの多い場所なのであれば、これで決まりなのでしょうね。
ただ、「ニセウ」という音の響きと現地の地形を考えると、nisey-o-i あたりで「峡谷・ある・もの」といった考えも捨てきれないんですよねぇ、これが。
「ニセイ」が「ムセイ」に訛っていた……と考えてみたのですが、ただこれだと「ムセウ」の支流に「ニセイケシヨマナイ」が記録されているのが少々おかしなことになることに気づきました。案外、戊午日誌の「皆煮て先喰ふ」が実は正解に近いのかもな……などと思い始めています。
ポンモワァップ川
(?? = 典拠なし、類型あり)
国道 237 号線の「幌去橋」から仁世宇川沿いを少し遡ったところに、ヤマメの美味しい「仁世宇園」というお店があるのですが、その「仁世宇園」のすぐ近くで仁世宇川に合流する支流の名前です。どことなくフランス語のような感じの響きですが、どちらかと言えば「1up」のようにも聞こえてしまいますね(どっちでもいい)。戊午日誌「東部沙留志」には、次のように記されていました。
またしばし過て
ホンモウツタ
ホロモウツタ
同じく左の方小川二ツ有。モウツタとは小さき鱏(えい)の事を云よし也。昔し海嘯の時此処え来り死し有りしによって号しとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.66 より引用)
「昔、津波(だと思う)でエイが打ち上げられたので」というストーリーは、決まって山の中で出て来るんですよね。だからこそ珍しいので地名として伝承されるのだ……と言えばそれまでなのですが、いくらなんでも仁世宇の近くまで遡る津波があって堪ったものか、とも思ってしまいます。「モウツタとは小さき鱏(えい)の事を云よし也」とありますが、これまたどこかで聞いたことがあるような……と思ったら、これまた 3 ヶ月ほど前に記事にしていました。
「カスベ」は「エイ」のことですが、知里さんの「動物編」によると、太平洋側では「エイ」のことを uttap と呼んでいたようです。しかも続きがありまして……
それにしても、「洪水の時にこの辺りで『エイ』が大量に上がったから」というのは……。このあたりは海抜 120 m くらいある筈なんですけどね。
(「北海道のアイヌ語地名 (355) 『スタップ川・パンケウクツライ川・ツウイ沢』」から引用)
同じ人間が書いているので、必然的に同じような感想も入ることになるわけで(汗)。ちなみに「仁世宇園」のあるあたりも海抜 120 m くらいなんですよね。現在の「ポンモワァップ川」が戊午日誌にある「ホンモウツタ」なのであるとすれば、pon-mo-ut-tap あるいは pon-mo-put-tap あたりの可能性は考えられないでしょうか? 前者だと「小さな・静かな・肋(川)・肩」となります。「肋(川)」というのは本流に対してほぼ直角に合流する川のことで、背骨に対する肋骨のようなつながり方をしていることからの類推のようですね。
「肩」というのは「川の両肩」で、ポンモワァップ川の河口部は左右とも尾根が割と長く伸びてきているのですね。これが両肩を怒らせているように見えたんじゃないかな……と思うのですが、いかがでしょうか。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿