(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
トウナイ川
(?? = 典拠なし、類型あり)
平取町長知内の東側を流れている川の名前で、北から南に流れて沙流川に注いでいます。普通に考えれば to-un-nay で「沼に入る沢」あたりの可能性が高いのですが、あいにくこの辺りには沼は無さそうなので、どうしたものかと……。この「トウナイ川」は、東西蝦夷山川地理取調図には記載が無いのですが、戊午日誌「東部沙留誌」には次のように記されていました。
また少し上りて凡五丁
トナイ
西岸相応の川也。其名義はしれざれども、昔し此処に金持の爺が一人住し居た処、疱瘡流(行)して子供を皆なくし、只一人ヤエチシハレ~~と云て泣て居たと云事のよし也。よって泣し(トナイ)と云といへり。是また解せず。両岸高山樹木原也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.55 より引用) ※(トナイ)は原注
……なんだか良くわからない地名説話が出てきました。「トナイ」は「泣く」という意味なのだとありますが、手元の辞書を調べた限りではそういった意味であるとは確認できませんでした。
永田地名解には次のように記されていました。
Tō nai トー ナイ 沼ノ川 沼流レテ川トナルヲ云フまぁ、普通はこう考えますよね……。実は上流部に沼があった、というのであれば、この解で間違いないと思えるのですが。
戊午日誌では「トナイ」、永田地名解では「トーナイ」と記録されていますが、東蝦夷日誌には「トナエ」という風に記されていました。これらの記録をヒントに解を考えてみると、あるいは tu-nay-e あたりはどうかな、と思えてきました。
tu-{nay-e} だと「二つの・{その沢}」となるのですが、トウナイ川を遡ると、途中で二手に分かれているのですが、どちらの谷もほぼ同じ方向に並んでいるのですね。これを指して地名にした可能性があるかな、と考えてみました。
あるいはもっと単純に、{tun-nay} で「{谷川}」である可能性もあるかもしれません。tun-nay の語源は utur-nay で「間・川」ではないか、との知里さんの見立てもありますが、確かにトウナイ川はそこそこの高さの峰の間を流れています。
残念ながら、どちらの説も傍証がありませんので、今日のところは参考レベルの解とさせてください。
モルベシベ川
(典拠あり、類型あり)
長知内の東、タウシナイ川の隣を流れている沙流川の支流の名前です。道内各所にありそうな名前なので、改めて取り上げるまでも無いような気もするのですが、かと言ってスキップするのもなんか変な気がしたので……。戊午日誌「東部沙留誌」に記載がありました。
しばし過て
モルベシベ
東岸小川有。此辺ホロサル村の畑多し。小さき山越道と云、是ニヨイ越の道の川すじ也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.56 より引用)
はい。やはりそのまんまだったようですね。mo-ru-pes-pe で「小さな・路・沿って下る・もの」、すなわち「小さな峠道」だったようです。地形図を見てみるとちょっと面白いことに気がつきます。モルベシベ川は峠からまっすぐ北に流れているのですが、峠の先(貫気別側)もほぼまっすぐ谷が続いています。まるで中央構造線のミニチュア版のような感じですね。
ピラチナイ川
(典拠あり、類型あり)
モルベシベ川の河口から更に沙流川を遡ると「幌毛志橋」があり、そこから更に 600 m ほど遡ったところで南から「ピラチナイ川」が合流しています。早速ですが、今回も戊午日誌「東部沙留誌」を見てみましょう。
少し上り
ヒラチンナイ
東岸相応の川也。其名義平の傍に川口有りと云義のよし也。此処畑多し。余は此処えニヨイより山越致し出たり。川すじ水清冷、雑木原也。川口に大岩有り。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.58 より引用)
「平の傍に川口有りと云義」とありますが、この「平」は pira、すなわち「崖」のことですね。確かにピラチナイ川の下流部は台地の端(崖状になっている)の下を流れていますが、「ヒラチンナイ」の意味が今ひとつ良くわかりません。永田地名解には、次のように記されていました。
Pira chimi nai ピラ チミ ナイ 崖ヲ分ケテ落ル川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.231 より引用)
なるほど。chimi という語は「左右にかき分ける」という意味なのですが、「崖をかき分ける」というのは今ひとつしっくり来ない感があります。ということで、pira-chis-nay で「崖・中くぼみ・沢」あたりではないかと考えてみたのですが、いかがでしょうか? ピラチナイ川は台地状の地形を 30 メートルほど掘ったところを流れています。これを指して「崖の中くぼみの沢」と呼んだのではないかと思ったのですが、いかがでしょう……?
2021/5 追記
永田地名解の pira-chimi-nay で「崖・左右にかき分ける・沢」という解釈も十分に蓋然性があるように思えてきました。
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