2016年9月17日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (374) 「荷負・長知内・タウシナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

荷負(におい)

ni-o-i
流木・多くある・ところ
(典拠あり、類型あり)
平取町中部、額平川が沙流川に合流するあたりの地名です。かつての「荷負村」の中心地で、北は「長知内村」、東は「貫気別村」、そして南は「二風谷村」と接していました(現在はいずれも平取町域)。

今回は、まず永田地名解を見てみましょう。

Nioi, = Ni-o-i,  ニオイ  樹木多キ處 ○荷負村
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.234 より引用)
はい。永田方正の時代に現行の解が出ていたようですね。現在の「荷負」の集落は沙流川と額平川の間の高台(住居を構えるにはかなりの好地だと思います)にあるのですが、東西蝦夷山川地理取調図を見てみると、現在の荷負のあたりに「ヘテウコヒ」の文字が記されていました。

お馴染みの「ヘテウコヒ」ですが、pet-e-u-ko-hopi-i で「川が・そこで・互いに・捨て去る・ところ」という意味で、沙流川を河口から遡ると、ここで沙流川本流と額平川の二手に「別れる」ことからその名がついたと考えられます。

それでは「荷負」という地名はどこから降って湧いたのか……という話ですが、もともとはもう少し額平川を遡ったところの地名だったようです。地形図を見てみると、額平川の支流に「荷負川」があって、荷負川の対岸の高台に現在も集落があります。本来の「荷負」はこのあたりの地名だったようですね。

山田秀三さんの「北海道の地名」が良くまとまっているので、ちゃちゃっと引用しておきます。

 額平川を入って少し上った処の地名。永田地名解は「ニ・オ・イ。樹木多き処」と書いたが,知里博士は,立木の多いのはニ・ウシ(樹木・群生する)で,ニ・オは「地面から離れた木,木片がごちゃごちゃある」と解すべきだとされていた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.365 より引用)
ふむふむ、なるほど。今回は知里さんの説にしたがって ni-o-i は「流木・多くある・ところ」としておこうかと思います。というのも、昔の人はどうやら、額平川の上流部から帰ってくるときに、その場で舟をこしらえて川下りしていたようにも見受けられるのですね。

さすがに毎回丸木舟を彫っていたとも思えないので、もしかしたらその場で手頃な木を調達して、それに跨って川下りしていたこともあったんじゃないかと。その辺の理由で使用済みの木がプカプカ浮いていて、それが地名の由来になった……のだったりしたら、面白いですよね。

謎の「ホビボエ」

額平川が沙流川と合流するあたりの高台が、東西蝦夷山川地理取調図では「ヘテウコヒ」と記されていることは前述のとおりですが、明治から大正にかけての地図では「ホビボエ」と記されていました。

あまり類を見ない地名なので「???」となったのですが、もしかしたら hopi-p-o-e で「捨て去る・ところ・ある・頭」なのかな、と思えてきました。この場合の「頭」は岬状の地形と考えるのですが、現在の荷負のあたりは沙流川と額平川の間に突き出した岬のような地形と捉えることができるかと思いますので。

長知内(おさちない)

o-sat-nay
河口・乾いた・沢
(典拠あり、類型あり)
平取町荷負から国道 237 号線を北東に向かうと、沙流川にかかる「長知内橋」を渡ってまもなく長知内の集落にたどり着きます。かつての「長知内村」で、北は「幌去村」、南は「荷負村」と接していました(現在はいずれも平取町域)。

地名は集落の西側を流れる「オサツナイ沢川」に由来すると考えられます。ということで戊午日誌「東部沙留誌」を見てみましょう。

またしばし過て
     ヲサツナイ
西岸相応の川也。鮭も鱒も鯇も有るよし也。其名義は川すじおり(おり)干るによつて号しとかや。サツヲナイの転したりと云り。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.52 より引用)
続いて永田地名解も見ておきましょう。

O sat nai  オ サッ ナイ  涸川 川尻ノ涸レタル川ナリ○長知内村
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.232 より引用)
はい。そのまんまストレートに o-sat-nay で「河口・乾いた・沢」と考えて良さそうな感じですね。

タウシナイ川

tay-us-nay
林・ある・沢
(典拠あり、類型あり)
長知内の集落から見て対岸部を流れている沙流川の支流の名前です(長知内は沙流川の北側に位置しているので、タウシナイ川は南側を流れていることになります)。

戊午日誌「東部沙留誌」には次のようにありました。

また少し上りし処
     タユシナイ
同じく東岸に当る。椴原有るよりして号る也。此辺東岸山麓に成り、西岸平地多し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.55 より引用)
ふむふむ。どうやらトドマツの多いところだったようですね。「タウシナイ」は tay-us-nay で「林・ある・沢」だったと考えて良さそうな感じです。

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