位置関係にちょいと注意が必要なのですが、灯台は岬の北端から 6~700 m ほど南の内陸部にあります。稲穂岬自体が割と平坦な地形なので、高台に灯台を建築するには南に寄せるしか無かった、ということのようですね。
稲穂
「賽の河原公園」を後にして、再び道道 39 号「奥尻島線」で奥尻町稲穂に向かいます。稲穂……と言っても水田がある感じもしないので、もしかしたらこれもアイヌ語由来かもしれません。「賽の河原公園」からものの 1~2 分で奥尻町稲穂の集落にやってきました。奥尻島の北西海岸を南西に向かっているので、右側に海が見える筈なのですが、実際にはご覧のとおり、堤防があるので海を見ることはできません。
センターラインが無くなって
稲穂、そして西隣の「海栗前」(これで「のなまえ」と読みます。地名の由来については後ほど)を過ぎると、道道 39 号線は険しい海沿いのルートを諦めて、内陸部へと入ってゆきます。道路規制用ゲートの先は、センターラインがありません……。このあたりの道は、どことなく礼文島の元地-桃岩のあたりを彷彿とさせますね。桃岩のあたりは大型の観光バスが走っているので離合が大変だったのですが、今回は幸いな事に対向車はほぼ皆無でした(ややオフシーズンですし、天気も良くないですし)。
そして舗装まで無くなって
道道 39 号は更に内陸部へと入ってゆきます。そして目の前には何と「この先砂利道につき通行注意」の看板が!「えっ!?」と思っているうちに、本当に砂利道になってしまいました(汗)。
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