(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ペンケメウシュナイ沢
(典拠あり、類型あり)
平取町北東部の額平川に注ぐ北支流の名前です。明治期の地形図には「ペンケメウシュナイ」の左に「パンケメウシュナイ」が描かれていましたが、地理院地図には「ペンケメウシュナイ沢」しか描かれていません。また、東西蝦夷山川地理取調図には「メウシナイ」という川が、上流で二手に分かれているように描かれています。幸いなことに、戊午日誌「東部沙留誌」に記載がありました。
しばし過て
メウシナイ
左りの方小川、メウシは冷き事也。此処いつにても日陰にして有りと。よって此処え来るにいつも鬚髪も皆凍るよし也、依て号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.36 より引用)
ふーむ。今まであまり見た記憶が無いのですが、me で「寒気」という意味があるのだとか。ということで、me-us-nay で「寒気・ある・沢」と考えられそうです。penke-me-us-nay であれば「川上の・寒気・ある・沢」となりそうですね。パンケチエブ沢
(典拠あり、類型あり)
寿都似山の東側を北に向かって流れて額平川に注ぐ支流の名前です。東隣に「ペンケチェプ沢」も流れています。「チェプ」という音からは chep で「魚」かな、と思ったのですが……。今回も戊午日誌「東部沙留誌」を見てみます。
また少し上りて
ハンケチユツフ
ヘンケチユツフ
右の方小川のよし也。是昔判官様舟を此処にて作り玉ひし跡なりと、よって号。チユツフは舟の事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.36-37 より引用)
なんか「へぇぇ」という感じの解が出てきました。panke-chip で「川上の・舟」という意味なのだとか。おそらく元々は panke-chip-e-kar-us-i で「川上の・舟・そこで・作る・いつもする・ところ」あたりの名前で、-e-kar-us-i が省略されてしまった、と言ったあたりなのでしょうね。パンケユックルベシュベ沢
(典拠あり、類型あり)
額平川に北から南流して合流する支流の名前です。東隣には「ペンケユックルペシュペ沢」もあります。パンケユックルベシュベ沢は途中の「上二股橋」のところで「パンケユッルペシュペ沢(幸太郎沢)」と合流しているのですが、何と言うか……ややこしいですよね。「ベ」だったり「ペ」だったり、あるいは「ク」があったり無かったり。
現在はこのように表記が揺らぎまくっていますが、元は「パンケ」と「ペンケ」の後ろは同一だったものと考えられます。panke-yuk-ru-pes-pe で「川下の・シカ・路・沿って下がる・もの」なのでしょう。
今回も戊午日誌「東部沙留誌」に記載がありました。
上るや
ユクルベシベ
左りの方小川。是には鹿がニイカツフ(サルのイワナイ)の方え越行道有る故に号るとかや。本川是より右のかたなりと。ニセイケシ処々有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.37 より引用)※ カッコ内の註は解読者による。
実際「ユックルベシュベ」という音からは、yuk-ru-pes-pe と解釈するのが最も自然なのですが、原文にあるように「新冠に越える路」というのは何かの間違いである可能性が高そうです。
註にあるように(糠平山の向こう側を流れている)岩内川に越えていると考えることもできますが、あるいは日高町を流れる千呂露川の支流である「ペンケユクトラシナイ川」から山を越えてやってきて、パンケユックルベシュベ沢を下っていった……と考えると地名解釈上も整合性がとれます(pes は「それに沿って下がる」ですが、turasi は「それに沿って上がる」です)。
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