(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚賀(あつが)
大狩部駅から苫小牧方面に向かうと、次の駅が「厚賀駅」です。厚賀駅は厚別川にかかる厚賀橋の北側で、日高町(旧・門別町)に所在します。
駅の名前ですので、まずは「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。
厚 賀(あつが)
所在地 (日高国)沙流郡門別町
開 駅 大正13年9月6日(日高拓殖鉄道)
起 源 駅が「厚別」と「賀張(がばり)」との境に設けられたので、この両方の頭字をとって名づけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.90 より引用)
えっ……。いやいやこれはすいません。てっきりアイヌ語に由来する地名だと思い込んでいたのですが、なんと合成地名だったようです。山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。
大正13年に日高線の駅が厚別と賀張の間の処にできて,公平なように,この二地名から一字ずつを採って厚賀駅と命名された。駅前に市街ができてそこが厚賀という地名となり,元来の厚別の処が厚賀町と呼ばれる市街となった。今は分かっていることだが,古くなったら,厚賀というアイヌ語があったと思われるようになるかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.359 より引用)
山田秀三さんの大予言、見事に成就したようです(汗)。「厚賀」とは言うものの、厚賀駅は厚別寄りにあるので、賀張については日を改めてお届けします。厚別川(あつべつがわ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
今更ではありますが、新冠町と日高町(旧・門別町)の境界を流れる川の名前です。厚賀の集落の位置なども考えて、なんとなく門別側で取り上げることにしました。戊午日誌「東部安都辺都誌」には次のように記されています。
アツは楡の事にして、此川すじに多きを以て号。本(名)はアツウシヘツと云しとかや。今詰て是を称号す。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.87 より引用)
ふむふむ。やはり at(オヒョウ)関連の地名のようですね。オヒョウ(楡)の樹皮から取り出した繊維で紡いだ織物はとても肌触りが良いので、高級品として珍重されたのでした。そんなわけで、樹皮の採れるオヒョウの群生地は地名にも良く登場するのです。時折ものすごいナックルボールを投げ入れてくることでもお馴染みの、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」も見ておきましょうか。
厚別川(あっべつがわ)
厚賀で海に入る川、アイヌ語アッ・ぺッで、おひようだもの川の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.80-81 より引用)
ふーむ。至極もっともなことが記されています。残念……(なんでだ)。まぁ、ルビが「あっべつ」だったのがポイントでしょうかね。山田秀三さんの「北海道の地名」には、なかなか興味深い内容が記されていました。
厚別 あつべつ
厚別川は新冠郡新冠町と沙流郡門別町の境の川である。「あつべつ」のような地名が道内の処々にあるが,言葉が簡単なためか,どこに行っても語義がはっきりしない。その一例としてこの川の解を昔からの順に並べて見た。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.358 より引用)
ふむ、これは楽しみですね。秦檍麻呂地名考は「アツペは鼠弩の名なり。亦アプペツといふ。アプは鉤なり。この川の屈曲鉤に似たるままに名付たりといへり」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.358 より引用)
なるほど。ak-pe(仕掛け罠)と考えたのですね。あるいは ap-pet で「釣り針・川」と考えたようです。次の上原熊次郎地名考は「アツベツとは群れる川と訳す。此川尻は別て鴎の群れて居る故地名になすといふ。未詳」とした。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.358-359 より引用)
これは at-pet で「群在する・川」と考えたようですね。松浦氏東蝦夷日誌は「アツは群る義。又楡多き故とも云。またモモガと云獣ある故とも云」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.359 より引用)
動詞の at は「群在する」という意味ですね。名詞の at は「オヒョウ(ニレ)の樹皮」ですが、そう言われてみれば「モモンガ」という意味もあったのでした。永田地名解は「アプ・ペッ。釣川。魚を捕る川の義なり。厚別(アツベツ)と云ふは誤なり」とした。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.359 より引用)
永田地名解は p.227 に「アㇷ゚ ペッ」の記載があるのですが、「釣川」に「ツリバリ」とルビが振られています。……あ、「ツリバリ川」と読ませたいんですかね。……とまぁ、こんな感じで意外や意外、諸説ありまくりだったのでした。実に面白いのが、秦檍麻呂の記した ak-pe 以外は、全て「アッ・ペッ」なんですよね。
動詞としての at(群在する)なのであれば、何が群在していたのかが不明ですし(上原熊次郎説では「カモメ」でしたが)、名詞としての at(オヒョウの皮)なのであれば、at-us-pet の -us が略されてしまったことになります。また、「オヒョウの皮」なのか「モモンガ」なのかは補足がない限り確定できないですし、ap で「鈎」である可能性もあります。
……こうやって考えてみると、実はこのあたりにはオヒョウが多いわけでもなかったのかもしれません(汗)。少なくとも、昔のインフォーマントはそう語っていたように思いづらいんですよね。ただ、オヒョウ皮で紡いだ織物は高級品だったので、その情報を秘匿しておきたかったのかもしれませんし……。うぅむ。
赤無(あかむ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
厚賀駅前から道道 208 号線「比宇厚賀停車場線」(そういや「美宇」じゃ無いんですね)を東北東に向かうと、途中で厚別川に架かる「赤無橋」という橋を渡ります。ふつーに見落としてしまいそうになったのですが、門別町(現・日高町)豊田のかつての名前が「赤無」だったのでした。では、まずは世界の永田地名解を見てみましょうか。
Akan アカン ?これはアカンやつや……(お約束)。
気を取り直して、戊午日誌「東部安都辺都誌」を見てみましょう。
また木立原しばしを過て
アカン
左りの方小川。此水源かや原の平山の嶺に大岩石奇して怪しき窟等有もの並び立たり。此名義は恐くは其より出たるかと思はる。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.94 より引用)
ふーむ。「アカン」ということは「阿寒」と同じ音なので参考にならないかと思ったのですが、残念ながら「阿寒」自体が「よーわからんね」というオチだったのでした。東蝦夷日誌には次のようにあります。
アカン(小川、サル土人二軒、ニイカプ土人三軒)此所より見るに、上なる山に大岩の聳(そびえ)立て、竅穴(きょうけつ)透邃(とうすい)たる物、色赤く兩肩を立しさま、恰(あたか)も車の兩輪の如し、依て此名起るか。アカンは車の輪の如く聳立し物のことなり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.157 より引用)
そういえば、この解って「阿寒」でも見たような記憶が……。akam は魚の「ゴッコ」を意味する単語でもあるのですが、実は正式?には akam-kor-pe と言うのだそうで、逐語解では「吸盤・持つ・もの」なんだとか。確かに、海の底に棲むゴッコ(ホテイウオ)の腹部には吸盤があるそうです。akam は他にも「団子」だったり「珠」だったり、解釈が一定しないような感があったのですが、要するに「丸いもの」と考えて良さそうな感じがしてきました。
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