集落の名前は、アイヌ語とは関係の無さそうなものが多そうです。
ちなみにこの「神丘」というところは、河岸段丘というか、すごくわかりやすい台地状の地形なので、「丘」と呼ぶのもとても理に適っていますね。ちなみに、国鉄瀬棚線は丘の南側の川沿いを通っていました(「神丘」という駅がありましたが)。
国道 230 号は、まっすぐ丘を駆け下りて、川沿いの平地に向かいます。神丘のあたりも倶知安と同じく約 555 m 毎に格子状の道が広がっているのですが、この基準って何なんでしょうかね……? まだ答えには辿りつけていませんが、気にしておこうと思います。
国鉄瀬棚線の転換バス
路線バスとすれ違いました。路線バスがあるんだ凄いなー……と一瞬思ったのですが、そう言えばここは国鉄瀬棚線が走っていたんでしたよね。国鉄の転換バスが失われたところも少なくありませんが、少なくともこのあたりでは転換バスは健在のようです。利別目名川に架かる「目名橋」を渡ります。橋の名前をつい確認してしまうのは、もはや癖のようになってしまっていますね(汗)。
久遠郡せたな町
目名橋を渡ると、「せたな町」に入ります。ここは「せたな町東丹羽」というところなのですが、「旧北檜山町」と表示されています。瀬棚郡瀬棚町・瀬棚郡北檜山町・久遠郡大成町の三つの町が合併して「久遠郡せたな町」になったのですが、伝統ある「久遠郡」を残すためか、瀬棚郡から瀬棚町と北檜山町が抜けることになってしまいました。幸いなことに、瀬棚郡は今金町が残っているのですが、なんかちょっと変な感じがしますね。
ジャガジャガジャガジャガ……??
前述のとおり、国道 230 号には国鉄瀬棚線の転換バスが今も健在です。立派な待合室のあるバス停もありました。トンガリ屋根がメルヘンチックな感じもしますが、屋根に積もった雪を下ろす作業を避けるための知恵、ですよね。それはそうと、せたな町で見かけたこの看板、一体何なんでしょう……?
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4 件のコメント:
>約 555 m 毎に格子状の道が広がっているのですが、この基準って何なんでしょうかね……?
思い付きですが、尺貫法の町が109mなので5町=545m+道幅・・・とか(^^;
<セルダン> さん:
お久しぶりでございます。その可能性も十分にありそうな気もします。約 555 m の格子を更に 5 等分しているようであれば備後……じゃなくてビンゴ!なのですが。
あとあるとすれば屯田兵村のモデルになったと言われるタウンシップ制との絡みが考えられるかな、と思ったのですが、ヤード・ポンド法ではキリの良い数字にならないような感じもしています。
興味があったのでもうちょっと調べてみました。
どうやら開拓時代にあった殖民区画が元のようです。
http://www.onitoge.org/ninew/hakubutsukan/1tenkukaku.htm
基線を決めて大区画の中に300間(546m)四方の中区画を設け,その中をさらに150間×100間の小画6個に分け,この5町歩(ha)が1戸の割り当てとなる。
<セルダン> さん:
おおお、www.onitoge.org に答がありましたか。なるほど、明治期の植民区画がベースだったのですね。そしてやはり 300 間が正解だったようで。地理院地図で約 555 m に見えたのは、何らかの誤差だったということなのでしょう。
おかげさまで一つ賢くなれました。ありがとうございます。
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