(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ホロピナイ沢
(?1 = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)(?2 = 典拠未確認、類型多数)
新冠川の中流、やや上流部よりのところで合流する東支流の名前です。割と良くある名前なので、わざわざ取り上げるまでのことも無いような気もしますが……。ただ、東西蝦夷山川地理取調図を見てみると、現在の「ホロピナイ沢」と思われるところに「ハシナウシナイ」と記されていました。戊午日誌「東部毘保久誌」には次のように記されています。
またしばしを過て
ハシナウシナイ
同じく右のかた小川也。其名義不解。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.180 より引用)
まぁ、わざわざ引用するほどの内容でも無いのですが(汗)、原本の上欄に補足が記されていたそうです。〔上欄〕鹿取に行し時木幣を一本ヅヽ立しに多く残り有と云儀也』
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.181 より引用)※ 原本ママ
あーなるほど。hasinaw-us-nay で「枝幣・多くある・沢」と考えられそうです。
ただ、永田地名解には次のようにありました。
Korepa ush nai コレパ ウㇱュ ナイ 蕗頭ノ沢 松浦地圖「ハシナウシナイ」ニ作ルコレパ……違う、これは……(汗)。いや、真剣に「これは何だろう」と思ったのですが、どうやら kor-pa-us-nay で「フキ・頭・多くある・沢」と考えたのでしょうか。kor-pa というのがちょっと耳慣れない感じもしますが……。
あと、少し気になったのが「松浦地図『ハシナウシナイ』に作る」という書き方で、「──とあるのは誤り」とは書いていないところです。永田地名解は割と唯我独尊な書き方が多いのですが、ここではなぜかトーンが柔らかいですね。
明治以降の測量成果は永田地名解をベースにしていることが多いのですが、「北海道測量舎五万分一地形図 日高国」には早くも「ポロピナイ」と記されていることが確認できます。poro-pi-nay で「大きな・石・沢」と言った感じでしょうか。「小石」と呼ぶにはちと大きめの石が多いような、そんな川なのかもしれません。
ピンネ沢
(典拠あり、類型あり)
ホロピナイ沢との合流点から更に新冠川を遡ると「岩清水ダム」があるのですが、ピンネ沢はそのすぐ手前に合流している東支流です。pinne というと「男の──」という意味ですが……。まずは戊午日誌「東部毘保久誌」を見てみましょう。またしばし過て
ヒンニウシ
同じく右のかた小川也。其川すじ平地有て、秦皮(たもぎ)多く有るより号也。ヒンニは秦皮のこと也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.181 より引用)
お、全然違ったようですね(汗)。もともとは pinni(-us-i) で「ヤチダモ(・多くある・ところ)」だったみたいです。知里さんの「植物編」に、ちょっと興味を惹く内容があったので、引用しておきましょう。
その他に,この木は世界で二番目に作られ,森の中でわ一番背が高いので,ピンニすなわち男の木と呼ばれたとする説もある(コタン生物記)。「ヤチダモを pinni(男性の木)と云っているが,これわ真直に喬木に成長するからである」とも説かれている(宮部金吾「アイヌ植物名に就いて」)。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.47 より引用)
ふむふむ。やはり同じようなことを考える人がいるんですね(笑)。ただ、まだ続きがありまして……。しかしながら,ピンニわそのままでわ男の木の意味にわならない。男の木ならピンネニ pinne-ni でなければならぬ。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.47 より引用)
まぁ、知里さんの考えももっともな感じがします。「男の木」説も物語としては面白いのですが、知里さん自身は pir-ni で「傷・木」か、あるいは per-ni で「割れ・木」ではないかと考えていたようですね。知里さんの「分類アイヌ語辞典」は結局未完のままになってしまいましたが、先に完成していた「植物編」「動物編」「人間編」だけでもとても有用な内容が多いので本当に助かっています。
オケルンペ沢
(典拠あり、類型あり)
岩清水ダムから 600 m ほど遡ったところでダム湖に合流している西支流の名前です。割と昔からほぼそのままの名前で記録されている地名のようです。ということで、まずは戊午日誌「東部毘保久誌」から。
またしばし過て
ヲケンルンベ
左りの方小川也。其名義不解也。小川滝に成て落るよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.181 より引用)
由来についてはいつもの「よーわからん」ですが、頭注には次のようにありました。ヲク 峠の
ウエン 悪い
ル 道
ウン ある
ペ 所
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.181 より引用)
一方で、永田地名解には次のようにありました。Oken runpe オケン ルンペ 好路ノ處 土人ノ説ニ從フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.247 より引用)
こちらも「よーわからんけど、土地のアイヌがこー言ったから」ですね(笑)。「オケンルンペ」という音を素直に読み解いていくと、やはり ok-wen-ru-un-pe になるのかなぁ、と思います。意味は「うなじ・悪い・路・ある・もの」ですが、この場合の「うなじ」は山の稜線と見るべきでしょう。
根室や紋別の「落石」(ok-chis)の ok と同じですね。今回の ok-wen-ru は ok-chis と呼ぶほどの鞍部が無く、峠道としてはあまり良くなかったからなのか、あるいは単純に「厳しい道」だったのかもしれません。
(2017/2/18 加筆)知里さんの「アイヌ語入門」では、次のように記されていました。
これはおそらく,
o-kenru-un-pe 「そこに・家・ある・所」
という意味の地名だったのではなかろうか。
(知里真志保「アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために」北海道出版企画センター p.22 より引用)
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