(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
リライベツ川
(?? = 典拠なし、類型あり)
新冠町明和のあたりで新冠川に合流する東支流の名前です。この川はちょっと妙なことになっていまして、東西蝦夷山川地理取調図や戊午日誌には「トマツチヤイヘ」「トマツチヤイベ」と記されています。ところが、戊午日誌を読んでいくと、すぐ上流にも「トマツチヤイヘツ」があり、こちらが現在の「トマチャイン川」(?)だと思われるのです。ということで、「リライベツ川」は、元々「トマツチヤイベ」だったものが名前が変わったか、あるいは何らかの理由で混同されて、誤った名前で記録されてしまったものだと考えられます。一体どっちなんでしょうねぇ……。
とりあえず、戊午日誌「東部毘保久誌」を見ておきましょうか。
またしばしを過て
トマツチヤイベ
右の方小川也。其名義は水源に沼有るといへる事のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.160 より引用)
現在の地形図で見た限りでは、水源部に沼があるようには見えません。ただ、水源部がとても緩やかな丘になっているので、あるいは泥炭地が広がっていたということなのでしょうか。永田地名解には次のようにあります。Toman taipe トマン タイペ 吥坭(ヤチ)沼 ヤチノ深水ク溜ル沼
なるほど、「トマツ」が tomam であると考えたのですね。tomam-tay-pe で「湿地・林・もの」と解釈したようです。
「トマツチヤイベ」の現在の名前は「リライベツ川」なのですが、素直に考えると ri-ray-pet で「高い・死んだように流れの遅い・川」なのかなぁ、と思います。実際の地形を見ると、むしろ段丘を深く刻んでいる「低いところを流れている川」なのですが、戊午日誌の「水源に沼有る」という記載には ri-ray-pet がマッチしているような気がするので……。
セブ川
(典拠あり、類型あり)
新冠町若園にある「御影橋」の少し下流のところで新冠川に合流している東支流の名前です。セブ川自体の上流部は 4 つか 5 つくらいの支流に分かれているので、それなりに流域の広い川です。永田地名解には次のように記されています。
Sep セㇷ゚ 廣處(ヒロキトコロ)
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.246 より引用)
はい。かなりそのまんまの解が出てきました。そうなんですよねぇ。そう考えるしか無いような気がします。戊午日誌「東部毘保久誌」には次のようにありました。
またしばし上りて
セ フ
右の方相応の川也。其名義はしれず。此両岸はしばしの平地。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.173-174 より引用)
「其名義はしれず」としながらも、「此両岸はしばしの平地」という素晴らしいヒントが記してありました。なるほど、このあたりの支流にしては、セブ川の両岸は比較的開けているようにも見えます。それを評して sep で「広い」とした、ということでしょうか。余談ですが、川でありながら、pet や nay のつかない形で伝わっているのは、大河川を除くと割と珍しいようにも思えます。
トマチャイン川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
セブ川との合流点から更に新冠川を遡ると、およそ 1.6 km ほど上流で「トマチャイン川」が合流しています。前述の「トマツチヤイベ」とそっくり……というか、同名だけども別の川として認識されていたようです。戊午日誌「東部毘保久誌」には次のように記されています。
また少し上りて
トマツチヤイヘツ
右のかた小川。其名義不解。下に同名有るは川上に沼有故号と云伝ふ。故に号るは、是もさやうとは思はる也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.175 より引用)
「川下にも同じ名前の川があって、『川上に沼があるから』だと聞いている。ここも同じじゃないか」と書いていますが、アイヌ語地名の規則性を考えると、確かにありそうな感じではありますね。戊午日誌の頭注には「トマム タイ」で「湿地 木原」と記されています。これも「リライベツ川」の項で記したのと同様に tomam-tay(-pet) で「湿地・林(・川)」と考えたようです。
「トマチャイン川」という音からは、釧路の「十町瀬」との類似性も考えたくなりますが、確かこのあたりではエゾエンゴサクの根っこのことを toma とは呼ばないような気もするので、これは無いかもしれませんね。
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