2016年6月30日木曜日

秋の道南・奥尻の旅 (4) 「謎の高架橋」

朝里川温泉から北上して、とりあえず国道 5 号に向かいます。ん、またしても前方に何やら橋が見えてきましたが……
どことなく、小ぶりの餘部鉄橋のようにも見えますが……。もちろん今度はループ橋ではありません。
そのまま直進すると、朝里の市街地が近づいてきました。
札樽道・朝里 IC の手前で信号に引っかかったので、ふと左側を見てみると……
NEXCO 東日本のロゴのついた建物があり、手前に PR 用のポスターが貼ってありました。
「第 32 号 オタルナイ通信」とあります。いやー皆さん「オタルナイ」が大好きですね(笑)。それはさておき、さっき見かけた高架橋?の正体について記してありました。どうやら「北海道横断自動車道 余市~小樽間」の工事だったようですね。

現在のところ、札樽道(さっそん──)の終点は小樽 IC ですが、将来的な延伸の可能性を全く考慮していない設計のため、小樽から余市まで高速道路を延伸するのは難しい状態でした。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
どうするのかなーと思っていたのですが、どうやら朝里 IC の東側に(仮称)小樽 JCT を新設して、そこから南側に迂回する新ルートを作っているようです。そのおかげで、朝里川温泉にほど近いところに橋を架けていたのですね。

ちょいと給油を

謎が解けてすっきりしたところで、国道 5 号との交差点にやってきました。左折して小樽の中心街に向かいます。
……と見せかけて、ちょいとガソリンスタンドに寄り道を。
ガソリンの残量は 40% ほどあったのですが、小樽から瀬棚までは 200 km ほどありますし、しかも瀬棚からはフェリーで奥尻に向かうことになります。このまま行くと、どうせどこかでガソリンの給油が必要になるわけです。いや、決して島のガソリンは高そうだからできれば避けたい……なんて計算では無くてですね……。
朝里で給油した大きな理由のひとつがこちらです。うちの車の悪い癖なんですが、給油口のドアがちょくちょく開きづらくなるんですよね(つっかかるというか、バネが弱くなるというか)。セルフで給油口のドアを開けるのに一苦労したことがあったので、その辺の手間も避けるためになるべくセルフは使わないようにしているのです(雇用創出の願いもあるんですけどね)。
ありがたいことに、スタッフ給油の時間内でした。お世話になります~

(今度こそ)小樽へ!

給油をささっと済ませて(スタッフさんありがとうございます)、小樽築港駅方面に向かいます。

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2016年6月29日水曜日

秋の道南・奥尻の旅 (3) 「回って回って」

「朝の朝里ダム」「朝里ダム」と続いたので、3 回目の今日は題名を「ダム」にしようか……と思ったのですが、さすがに思いとどまってみました。

さて、朝里ダムのダム湖「オタルナイ湖」畔に 5 分ほど滞在した後、今度こそ小樽に向かって出発しました。ちょうど朝里ダムの横を通ったあたりですが、前方にスキー場が見えています。ホテルの窓からも見えていた「朝里川温泉スキー場」ですね。

「時代」

再びループ橋を渡ります。今度はずーっと左カーブが続きます。路面は多少補修されていますが、この調子だとまた次の春にでも補修が入りそうですね。
橋を渡り終えました。引き続き左カーブが続きます。前方に駐車場の案内が出ていますね。ずーっとカーブが続いているので、中島みゆきの名曲を口ずさみたくなってきました。
交通遮断機を通過します。冬場はここから手前(定山渓方面)が通行止めになることもあるんでしょうね。道路の右側が駐車場になっていましたが、チェーン脱着場と U ターン場を兼ねているようです(よくある組み合わせ)。

「夢想花」

更に左カーブが続き……ループ橋の下までやってきました。一周しただけですが、結構な高度を降りてきたことに驚かされます。あと、このループ橋は本当に(ほぼ)360 度回っているんだなぁ、ということを実感します。もはや中島みゆきだけでは飽きたらず、気分は円広志です。

朝里川を渡る

朝里川を渡ります。ようやく直線になりました(笑)。
道路は緩く右にカーブして、川を渡ります。
川の名前は……今度も朝里川です。朝里川は直接海に注ぐ川なので「二級河川」扱いなんですね。

小樽朝里クラッセホテルに戻ってきました

オタルナイ湖畔の「ダム記念館」を出発してから、ほんの 2~3 分で 4 回ほど朝里川を渡りながら、小樽朝里クラッセホテルの前まで戻ってきました。右側の 7 階建(だと思う)の建物が「ホテル棟」です。
直進して、まずは朝里の市街地に向かいます。

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2016年6月28日火曜日

秋の道南・奥尻の旅 (2) 「朝里ダム」

宿(小樽朝里クラッセホテル)からすぐ 1 km ほどのところにあるループ橋を渡って、朝里ダムにやってきました。
そのまま道道 1 号線を南に進みます。

ダム記念館

右側(ダム湖のあるほう)に駐車場があったので、U ターンも兼ねて入ってみることにしました。
「ダム記念館」という建物があったのですが、入り口にはシャッターが下がっていました。まぁ、火曜日の朝の 8 時過ぎなので、仕方がないと言えばそれまでですが。
そして、殆ど車の姿を見かけないのを良いことに、テキトーな場所に駐車してしまいましたが……(汗)。「ダム記念館」の向こうにはダム湖(オタルナイ湖)が見えて、更にその向こうには朝里ダムのダム堤が見えます。
「オタルナイ湖」というネーミングは、「小樽」という地名のもとになったと言われる「オタルナイ川」を意識したものだと思うのですが、実際の「オタルナイ川」は札幌の手稲のあたりを流れていました(「小樽」も移転地名です)。ですので、朝里川に「オタルナイ」という名前を持ち込むのには、ちょっと引っかかるものもあるんですが……。ま、地名屋の戯れ言ということでスルーしてくださればと。

禁止行為から読み解く園地の使い方

「ダム記念館」の南側には遊歩道が整備されていて、遊歩道と駐車場の間は緑豊かな広場になっていました。
見た感じ、色々と遊べそうな雰囲気にも思えますが、「園地内では次の行為を禁止します」という掲示が出ていました。曰く「樹木や草花を傷つけること」「張り紙や広告を表示すること」「缶やゴミを屑篭(くずかご)以外に捨てること」「水辺を汚すこと」と言ったごくごく一般的な禁止事項のほかにも、「決められた場所以外で火を使うこと(ピクニックゾーンで可)」「指定した場所以外に車両を乗り入れること」「鳥獣類を捕獲、殺傷すること」「駐車場内での暴走行為」「キャンプすること」「魚を釣ること」「ボート・ラジコンボート等を浮かべること」などが禁止されていました。
また、少し斜め上の内容として「行商、募金、興業など」の禁止も謳われていましたが、これ、もしかしたら「興業」は「興行」の間違いだったりするのでしょうか。

かなり禁止事項が多いようにも思えてきましたが、これを見た感じでは「ピクニックゾーン」では火を使うことが許されているようなので、ジンパ(ジンギスカンパーティ)はできそうな感じですね(笑)。

今度こそ小樽へ

割と早めに宿を出たとは言え、この後フェリーに乗らないといけないので、長居は禁物です。ということで、ささっと車に戻ることにしました。
再び朝里ダムに向かって走り始めました。今度こそは小樽の市街地に向かいます。

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2016年6月27日月曜日

秋の道南・奥尻の旅 (1) 「朝の朝里ダムへ」

えー、まるで予告編の如く「フェリー探訪」と「ホテル探訪」が続きましたが、ようやく今日から本題がスタートです。
え、予告編のほうが人気が高いんじゃないかって? ……触れてはいけないところに触れてしまいましたねっ?

Day 2 は瀬棚へ、そして奥尻へ

久しぶりにルートマップを用意してみました。Day 2 のルートはこちらです。


小樽(朝里)から瀬棚に向かって移動して、瀬棚フェリーターミナルを 14:05 に出発する「アヴローラおくしり」で奥尻島に向かいます。瀬棚 FT には時間厳守で到着しないといけないので……
カーナビにもしっかりと目的地を設定します。朝里から瀬棚まで、距離にして約 200 km 弱ですから、4 時間ほどあれば大丈夫でしょうか。出航 1 時間前の到着を狙うにしても、朝 9 時に出発すれば十分間に合います。

というわけで、出発です!
思いっきり 1 時間ほど早発しているような気もしますが、まぁ、これくらいは余裕を見ておいても罰は当たらないでしょう。

いきなり逆方向へ

朝里からは一旦小樽の中心部に出て、毛無峠に向か……う筈ですが、
朝里 IC 方面に向かうのではなく、南に向かいます。このままずーっと進んでいくと朝里峠で、その先は札幌の奥座敷・定山渓です。
朝里川に掛かる橋を渡ります。右手の高いところに別の橋が見えてきました。奥にはダムも見えますね。

朝里ダム

コンクリート製の、どちらかと言えばクラシックなデザインのダムが見えてきました。朝里ダムですね。……クラシックに思えたのですが、竣工は 1993 年なんだとか。
道路(実はこの道、栄えある道道 1 号線だったりします!)はダムの手前で大きく右にカーブしています。
道路は更に右にカーブし続けます。道路情報案内板によると、気温 17 度、路温は 15 度とのこと。9 月末の北海道ですが、結構過ごしやすい気温ですね。
更に右カーブは続き、またしても橋に差し掛かりました。もうお気づきかと思いますが、これが 6 枚目の写真で見えていた「右手の高いところの別の橋」です。ダムのすぐ手前にループ橋をつくることで、緩やかなカーブと勾配とダムの堤上まで行けるようになっています。
明らかに逆方向なんですが、ホテルから 1 km ちょいのところにこんなスポットがあるんですから、見に行かない手は無いですよね……!

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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2016年6月26日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (351) 「浦里川・泊津・チョリパライ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

浦里川(うらり──)

o-rariw??
そこで・水底につっぱって舟を動かす
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
新冠の市街地のすぐ東隣を流れる川の名前です。「うらり──」とルビを振りましたが、もし間違いだったらすいません。もちろん南アメリカ産の猛毒とは一切関係ない筈です。

東西蝦夷山川地理取調図には「ヲラリ」という地名(おそらく川名)が記録されている一方で、東蝦夷日誌には少し違った形で記されています。

(四丁四十間)ヲラリ(小川、漁場)本名ウラエペツ也。柵を架魚を取義。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.167 より引用)
どうやら uraye(-us)-pet で「その梁(・ある)・川」と考えたようですね。一方、永田地名解には次のようにありました。

Orari  オラリ  沙淖(スナヌカル)處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.244 より引用)
うーん、ちょっと良くわからないですが、もしかしたら oraota の転訛だったりするのでしょうか。ota-ri で「砂・高い」と解釈できたりするんでしょうかね……?

この地名はかなり古くから知られていたようで、秦檍麻呂の「東蝦夷地名考」にも記載がありました。

一 ヲラリ
 夷人、舟をめくらし、逆漕するをヲラリと云。地名となりたる事不詳。
(秦檍麻呂「東蝦夷地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.25 より引用)
ふむふむ。知里さんの「小辞典」を見ていると rariw という語彙があって、「水棹」あるいは「水底につっぱって舟をやる」という意味があるそうです。o-rariw で「そこで・水底につっぱって舟を動かす」と考えたのでしょうか。

個人的には、東蝦夷日誌の解が「割とありそうな解」に思えるのですが、他の記録を見た感じでは殆どが「ヲラリ」や「ウラリ」などで、「ウラエベツ」説を取るものが殆ど見当たらないようです。また、話をややこしくしているのが浦河の「元浦川」の存在で、こちらについても永田地名解は「ウララ ペッ」で「霧川」であるとしながらも「一説『ヲラリペツ』ニテ沙深キ川ノ義」としているため、混同しないように注意が必要です。

あと、静内の浦和には「有良川」があるのですが、これも音が似てますよね。いずれの川も海に直接注いでいるのも気になります。

今日のところは決め手が見つからないので、永田地名解の「砂ぬかる所」かもしれないかな、としておきましょう。個人的には、静内の「有良川」と同様に、o-rar で「河口・潜る」という可能性もあるんじゃないかなーと思っていたりもしますが……。

泊津(はくつ)

{hat-kutchi}
コクワ
(典拠あり、類型あり)
新冠川の南側、新冠駅から見ると東北東に位置する集落の名前です。現在は「西泊津」「東泊津」という地名のようですが、元々はどちらも「泊津村」に含まれていました(他に「朝日」「大富」なども)。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されています。

泊津 はくつ
 新冠川下流の地名,川名。明治29年5万分図ではハックツ(ポロハックッとも)とポンハックッの小流が並んでいて新冠川の東岸に注ぎ,泊津村と書いてある。永田地名解は hatkut「葡萄こくわ(?)」と書いた。ハッ(山葡萄),クチ(こくわ)と並べたものだったろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.356 より引用)
知里さんの「植物編」を見ると、確かに kutchi で「サルナシ(の果実)」、即ち「コクワ」であると記されています。ということで hat の出処が不明なのですが、素直に「山ぶどう」ではないかと考えたようですね。

一方で、更科源蔵さんは次のように記しています。

 泊津(はくつ)
 新冠町の字名。アイヌ語のハクッチ(しらくちづる即ちコクワのこと)からでたもので、ここ出身の人を胡桑野という姓を名乗っているので、もともとはハクッチ・ウㇱ(コクワの沢山あるところ)といった地名かと思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.81 より引用)
更科さんは hakutchi で「コクワ」としています。苗字の件は傍証としても興味深いですね。「ハクッチ」の「ハ」の出処が良くわからないという話がありましたが、語源としては hat-kutchi が正しいのかもしれません。

「コクワ」が「山ぶどう」っぽいと考えて、「山ぶどうコクワ」と呼んだ……とか。日本語でも「カニカマボコ」とかありますよね(汗)。

ということで、「泊津」は {hat-kutchi} で「コクワ」である、としておきましょうか。

チョリパライ川

sar-pa-ray(-pet)???
葭原・かみ(上)・死んだように流れの遅い(・川)
(?? = 典拠なし、類型あり)
泊津から見て新冠川の対岸側を流れている川の名前です。モンゴルの大統領っぽい名前ですが、もちろん関係は無い……はずです。

東西蝦夷山川地理取調図には「ソリハライ」という名前の川が記されています。そして、ここからが傑作なのですが、明治期の地図には「去童」と記されています。どうやら「去童」で「さるわらんべ」と読ませたそうなのですが……(汗)。昔の人の想像力に乾杯!ですよね。

さて、気になる「去童」の意味ですが、永田地名解には次のようにありました。

Sori pa rai  ソリ パ ライ  草履ヲ見付シ處 ○去童村
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.249 より引用)
えーと、これは……。sori がもしかして「草履」だったりするのでしょうか(汗)。湧別町の「計呂地」の地名解も相当傑作でしたが、負けず劣らずシュールな感じがします。

幸いなことに、今回はフォローがありまして、

Sō para-i  ソー パ ライ  瀑廣キ處 「ソリパライ」ノ原名
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.249 より引用)
永田方正も実際のところは so-para-i で「滝・広い・ところ」ではないかと考えていたようです(本来は「ソー・パラ・イ」と区切るべきなのですが、原文そのままにしています)。

一方で、更科源蔵さんは「去童」の意味として次のように記していました。

 去童(さるわらんべ)
 新冠町の旧字名。アイヌ語のサㇽ・ワ・ル・ウン・ぺ(湿地のわきに道のある川)と思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.81 より引用)
ものは考えようと言いますか、確かに「さるわらんべ」のアイヌ語地名解としてはありそうな感じがします。ただ、「ソリハライ」という古い記録のことを考えると、ちょっと違うんじゃないかな、と思ってしまいます。

ただ、良いヒントにもなったような気がします。現在の「チョリパライ川」は sar-pa-ray(-pet) で「葭原・かみ(上)・死んだように流れの遅い(・川)」と考えられないでしょうか。実際の地形と照らしあわせてみると、ray を「死んだように流れの遅い」とするよりは、川自体が伏流している(地下に潜っている)ことを指しているとも考えられるかもしれません。

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2016年6月25日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (350) 「新冠・高江」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

新冠(にいかっぷ)

ni-kap
木・皮
(典拠あり、類型あり)
新ひだか町の北西に位置する町の名前です。このあたりでは珍しい「平成の大合併」に与しなかった自治体のひとつですが、どうやら静内町・三石町との合併話が進んでいたにもかかわらず、新冠町から断りを入れて破談になったとのこと。

静内と新冠の間の境界はそれほど高くない山によって区切られているのですが、昔からこの山が「メナシュンクル(東のアイヌ)」と「シュムンクル(西のアイヌ)」の境界だったのだとか。「シャクシャインの戦い」で名高いシャクシャインは「東のアイヌ」の有力人物で、もともとはアイヌ同士の紛争に松前藩が介入したのが「シャクシャインの戦い」のきっかけになったとも言われていますね。

さて、現在は新冠町の新冠川で新冠駅もありますが、川の名前はもともと「ピポク」だったのだとか。ということで、戊午日誌「東部毘保久誌」を見てみましょう。

ヒホクとは今のニイカップの川の本名なり。其訳は転太石多く重りたりと云よりしての名と聞り。惣て此川岩石のみ也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.139 より引用)
「惣て」で「すべて」と読むのですが、なるほど、pi-pok で「石・しも」なのですね。

然る処寛政の前、松前某此処え来り、ヒホクは其呼方よろしからずとて、此川すじは諸木の皮剥によき故、其を以て名とさすとて、ニイカツフと改められしと。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.139 より引用)
改名の時期については諸説あるようですが、ここでは「寛政の前」とありますね。ちなみに「シャクシャインの戦い」があったの「寛文年間(1661~1672)のことで、寛政年間はそこから 120 年ほど後の 1789~1801 年です。

閑話休題(それはさておき)。「ピポク」は「音がよろしくない」として「ニイカップ」に改められた、とあります。その「ニイカップ」の意味するところですが……

ニイカップは夷言ニカフの延たる也。其ニカフと云は、ニとは木の事、カプとは皮と申事にして、楡榀また秦皮(たも)等諸木の皮を云り。此川すじ木の皮剥が多く有るよりして号しものなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.139 より引用)
ni-kap で「木・皮」とのことでした。「楡」は「ニレ」で「榀」は「シナノキ」のことですね。どちらも樹皮をうるかして採った繊維で織物を紡ぐのに使われています。「秦皮」は「ヤチダモ」のことだと思います。

ところで、松浦武四郎さんは既に「ピポク」が「ニイカップ」に改められた後で「戊午日誌」を綴っているのですが、題名が「東部毘保久誌」のままなのは何故だろう……という疑問も出てくるわけですが、

然る処此処え今の名を用ゆべきなれども、其ニイカツフは今会所元の事、当春は土人川をさして未だヒホクと云まゝ、此名を冠らし置ものなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.139 より引用)
あはは(笑)。行政主導の改名がなかなか受け入れられないのは今に始まったことではないのですね!

高江(たかえ)

{tap-ka-o}-sar???
{丸山}・葭原
和名?
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
さて、現在は新冠町の新冠川で新冠駅もありますが、コピペはこの辺にして「北海道駅名の起源」を見てみましょうか。

  新 冠(にいかっぷ)
所在地 (日高国) 新冠郡新冠町
開 駅 大正15年12月10日(日高拓殖鉄道)
起 源 もと「高江(たかえ)」といったが、昭和23年8月1日「新冠」と改めた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.91 より引用)
ということで、なんと現在の「新冠駅」は、元々は「高江」という駅名だったのだそうです。現在の「高江」は新冠川の北西側一帯を指す地名で、また、新冠川の支流の名前でもあります。

「タカエ」という音はあまりアイヌ語っぽくない感じがしますが、東西蝦夷山川地理取調図を見てみると、現在の「高江川」と思しき川のところに「タカイサラ」と記されています。結構古くからある地名だと考えられそうです。

「タカイサラ」についても、戊午日誌「東部毘保久誌」に記載がありました。

また西岸に十丁計も上りて
     タカイサラ村
西岸平山の茅原有る也。下の村々此処野の下に茅茨(荻)原有るよりして号。サラはシヤリ也。本名タカイシヤリなるとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.141 より引用)
ふむふむ。「サラ」については sar である、と考えたようですね。ただ、一方で次のような見立てもありました。

なお「高江」とは、近くの小丘に水のたまるところがあって、杯の台の「たかいさら」に似ているので名づけたといわれている。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.91 より引用)
これは更科源蔵さんの見解のようなのですが、これだと sar ではなく和語由来ということになってしまいます。「タカイサラ」については、「アイヌ語千歳方言辞典」にも次のように記されていました。

タカイサラ takaysara 【名】トゥキ tuki「杯」の台。天目台;<日本語。
(中川裕「アイヌ語千歳方言辞典」草風館 p.243 より引用)
あららら。これを見ると思いっきり日本語からの借用語彙のようですね。

なんだか良くわからなくなってきたので、久しぶりに我らが「角川──」(略──)を見てみましょう。

 たかえさら タカヱサラ <新冠町>
〔近世〕江戸期から見える地名。束蝦夷地ニイカツプ場所のうち。タカイサラともいう。日高地方中部,新冠(にいかっぷ)川下流右岸。地名は,アイヌ語のタㇷ゚コㇷ゚サラ(孤山の茅の意)が転訛したタカイサラに由来する(北海道蝦夷語地名解)。郷帳類には見えない。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.820 より引用)
あれ、永田地名解にそんなこと書いてあったかな……と思ったのですが、

Tapkop sara  タㇷ゚ コㇷ゚ サラ  孤山ノ茅 此地名處々ニコレアリ今訛リテ「タカイサラ」ト稱ス浦河郡元浦川筋ニ「タプコサラ」アリ松浦地圖「タカサラ」ニ誤ル
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.250 より引用)
ありました。そして、これだと「タカイサラ」との関連性が見えないのですが、次のエントリに……

Takai sara  タカイ サラ  高イ皿 孤山ノ上平ニシテ皿ノ如シ名クト云フハ非ナリ「タプコサラ」ノ訛傳ナリ今高江村ト公稱セリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.250 より引用)
わざわざご丁寧にイタリックで表示してありました。

では、これまでの説をまとめてみましょうか。

・タカイサラ:「サラ」は sar
・タカイサラ:日本語「タカイサラ」由来説
・タプコサラ:丸山の sar

諸説バラバラ……のように見えて、実はどの説も細い糸でつながっているようなのが面白いですね。「サラ」を sar とした場合は「タカイ」の意味が不明で、さりとて「タカイ」が「タㇷ゚コ(ㇷ゚)」の転訛であるというのもちょっと無理矢理感が漂います。

実際の地形を見てみると、tapkop-sar に相当する丸山を特定することはできないにしても、あるいは……と思わせる山があるようにも見えます。知里さんの見立てでは tapkoptap-ka-o-p(肩・の上・にある・もの)かもしれない……とのことで、であれば tap-ka-o-sar となってもおかしくないかもしれません。

ということで、もしかしたら元々は {tap-ka-o}-sar(「{丸山}・葭原」)だったのが、「杯に似ている」ということで「タカイサラ」と呼ぶようになった……と想像してみたのですが、どうでしょう……?

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2016年6月24日金曜日

Bojan のホテル探訪~「小樽朝里クラッセホテル」編(おしまい)

「小樽朝里クラッセホテル」編も今日で最終回となりました。最終日の今日は朝食などの話題です。

実は目の前がスキー場でした

さて突然ですが、朝になりました!(えらい突然やね) 到着がかなり夜遅くだったのでお伝えすることができなかったのですが、実は「小樽朝里クラッセホテル」は小樽市朝里の郊外にあります。道路を挟んで向かい側には朝里川温泉スキー場もあるんですよね。

朝食は「プラザ棟」で

では、プラザ棟 2F にあるメインダイニング「フーシー」で朝ごはんを頂くことにしましょう。
小樽朝里クラッセホテルは、北から「ホテル棟」「プラザ棟」「コンドミニアム棟」の 3 つの建物にわかれています。ということで、まずはホテル棟の 1F に下りてから、プラザ棟 2F のレストランに向かいます。
メインダイニング「フーシー」には右に行けば良いのですね。
1F のロビーが吹き抜けになっているのですが、このようなゆったりしたスペースの使い方は良いですよね。
朝食はバイキング形式……ということで、盛り付ける人間のセンスが悪いと見た目が残念な感じになってしまいます(汗)。スクランブルエッグ、あるいはオムレツがあれば尚良かったのですが……。
ただ、ソフトカツゲンが飲み放題だったのはポイント高いです(!)。

売店のみならずプールやエステまで

プラザ棟 1F(だったと思う)には売店があります。昨今はホテルの売店も縮小傾向のところが多いですが、こちらの売店はかなり品揃えが充実していたのが印象的でした。売店の充実ぶりもホテルの良し悪しを決める重要ポイントのひとつですよね。
「プラザ棟」から「ホテル棟」への渡り廊下を歩いて……
ホテル棟 1F のエレベーターホールまで戻ってきました。実はホテル棟の 1F は「スポーツクラブ」になっているようで、プールがあるのだとか。またホテル棟の東側には体育館もあったり、カラオケルームやエステもあったりと、実はかなりいろんな設備があるんですよね……。

Rating

「小樽朝里クラッセホテル」は、旅の途中の中継地として立ち寄るのももちろん悪く無いですが、滞在型のリゾートホテルとして利用すると更に良さそうな感じがします。幸か不幸か、トマムや留寿都、ニセコと言った有名リゾートと比べると知名度がそこまで高くないので、かなりリーズナブルなお値段で泊まれるのもありがたいです。

各種施設が充実している上に部屋もなかなかゆったりしていて悪くないホテルでした。唯一ケチをつけるとしたなら、もう少し浴室がゆったりしていれば良かったのですが、おそらく本来は大浴場を使用するのがセオリーなのだろうな、と思ったりもします(大浴場は回避したい派なもので……)。

ということで Rating です。ホテル全体に漂うゆったりした感じと隠れ家的な雰囲気の良さを考慮して「★★★★・」(四つ星)でどうでしょうか。日程によってはかなりお得なプライスで宿泊できるかもしれません!

それでは(今度こそ)、「秋の道南・奥尻の旅 2013」をお楽しみください。

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2016年6月23日木曜日

Bojan のホテル探訪~「小樽朝里クラッセホテル」編(つづき)

「小樽朝里クラッセホテル」の二日目は、恒例の水回り編です。
トイレとバスは共用なのですが、中に入ってみると……
ごく一般的な、本当にごくごく一般的なユニットバスとトイレのセットです。クリーム色ともう一色を合わせてワンポイントにしているのですが、こちらの部屋の場合はクリーム色とブラックを合わせているようですね。

ビジネスホテル風の浴槽

浴槽もビジネスホテルライクなものです。まぁ、率直に言って「ゆったりしている」とは言いがたい感じでしょうか。
浴槽の端には、シャンプー・リンス・ボディソープのボトルが並んでいました。ホテルによっては壁に備え付けの装置のボタンを押して使うタイプのものや、一回分を袋に小分けにしてある場合がありますが、この手のボトルタイプのものは必要な分を必要な分だけ出せるので(個人的には)割と嬉しいです。衛生面を考えると袋に小分けしてあるのが一番良いのかもしれませんけどね……。
混合水栓はサーモスタットタイプのものです。これは加点ポイントですね(笑)。

本家ウォシュレット

トイレは本家 TOTO のウォシュレットです。
トイレの水タンクの上にアメニティグッズとドライヤーが置かれていました。一般的に必要になりそうなものは一通り揃っている感じですね。

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