(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
シュンベツ川
(典拠あり、類型あり)
静内川の中流部に「双川ダム」というダムがあるのですが、その少し下流で北から南に合流している支流の名前です。戊午日誌「東部志毘茶利志」に記載がありました。
扨此処より西川を志るし置に、其川すじ東川より少し小さきが故に、支流に准じて一字を下り。其西川を
シユンヘツ
といへり。シユンは西と云儀、へツとは川の事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.599-600 より引用)
はい、割とそのまんまのようです。sum-pet で「西・川」と考えて良さそうですね。山田秀三さんの「北海道の地名」も見ておきましょうか。
ペテウコピ
メナシペッ
シュムペッ(シュンベツ川)
静内川は農屋部落の少し上がペテウコピ(二股)で,右(東)股がメナシ・ペッ(menash-pet 東・川),左(北)股がシュム・ペッ(shum-pet 西・川)であった。東日高では,大川中流の二股ではメナシとシュムで両川の名とするのが例である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.354 より引用)
ということでして、menas-pet (東川)と呼ばれていた川が「静内川」となり、支流の sum-pet (西川)はそのまま「シュンベツ川」になった、ということのようです。ちなみに、相対的な位置関係を表す語彙は menas と sum 以外にも koyka と koypok というものもあるのですが、山田さんの調べによると次のような使い分け? があったようです。
東日高では,川の二股があると,その両川にコイカ(koika 東),コイポク(koi-pok 西)をつけて呼ぶことも多い。大川筋では,中流の大きい二股にはメナシ,シュム(東,西)をつけ,源流筋ではコイカ,コイポクで呼ぶことがまあまあ多かった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.355 より引用)
ふむふむ。言われてみれば確かにその通りです。静内川はまさにこの典型なんですね。詳しくは私の著作集「アイヌ語地名の研究」1巻を参照して戴きたい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.355 より引用)
(汗)
オクルンベツ沢川
(典拠あり、類型あり)
静内川との合流点からシュンベツ川を 3~4 km ほど遡ったところで(シュンベツ川に)合流している支流の名前です。東西蝦夷山川地理取調図に「ヲクルンナイ」と記載されている川のこと……だと思います。ちょいと弱気なのは理由がありまして、このあたりを記した「戊午日誌」の記述を見てみると、「ペテウコピ」から「ヲクルンナイ」の間に結構な数の川や沢の存在が記録されているのですね。
ヲフシケナイ(左りの方小川)
ニシユイ(左りの方小川)
マカエウシナイ(同じく左りの沢)
サラハヲマナイ(同じく左りの沢)
セトシナイ(左りの方小川)
ウシシヨツナイ(左りの方小川)
ヲクルンナイ(左の方相応の川)
現在の地形図を見たところでは、ペテウコピ(シュンベツ川と静内川の合流点)とオクルンベツ沢川の間には川らしきものは記されていないのですが、等高線を見た感じでは確かに川っぽいものの存在がいくつか見て取れます。
左側(西側)の川しか記載が無いのが少々おかしいようにも思えますが、東西蝦夷山川地理取調図には右側(東側)の支流も記されているので、やはり左側に 6 つ支流があったと認識していたのでしょうか。このあたりは相当厳しいルートだったようで、時間をかけた割にそれほど進んでいないので、結果として川の記録がとても細かくなってしまったのかも知れません。
さて、本題に戻りましょう。「オクルンナイ」の意味ですが……
扨またしばし上せて
ヲクルンナイ
左の方相応の川也。此名義は川口両岸に樹木多くして有るが故に、其川の奥暗らきよりして号しとかや。魚類いとう・鯇此川口まで来る。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.601 より引用)
頭注には次のようにあります。o そこが
kur 暗く
un ある
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.601 より引用)
ただ、この場合の o は素直に「河口」と捉えて良いのでは無いでしょうか。o-kur-un-nay で「河口・影・ある・沢」で良いのでは、と思います。この川は「相応の川」だったので、nay から pet に昇格? した可能性もありそうですね。オサナイ沢川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
同じくシュンベツ川の支流で、オクルンベツ沢川の東隣を流れています。戊午日誌「東部志毘茶利志」に記載があったので、早速見てみましょう。またしばし過て
ウサナイ
左りの方小川、此川にも鯇と鱒有るよし也。其名義は山の傍なるが故に同じ沢と云儀のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.601-602 より引用)
どうにも良くわからない解が書いてあるのですが、それ以前に大きな問題がありました。例によって「戊午日誌」に記されている川をリストアップしてみますね。ヲクルンナイ(左の方相応の川)
ホンヲクルンナイ(小川)※ ヲクルンナイの支流
ホン子ト(左りの方小川)
イタホラキ(右の方小川)
モイタホラキ(右の方小川)
ヘンケヲクルンベツ(左りの方相応の川)
ウサナイ(左りの方小川)
はい。「あれっ?」とお気づきになった方もいらっしゃるかもしれませんが、「左りの方相応の川」である筈の「ヘンケヲクルンベツ」の存在を確認することができないのです。「ヘンケヲクルンベツ」は「ウサナイ」の直前に記されているのですが、
また少し上りて
へンケヲクルンベツ
左りの方相応の川也。是ヲクルンベツと左りの方に並びて有るよりして。上のヲクルンヘツと云儀なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.602 より引用)
えーと、「是ヲクルンベツと左りの方に並びて有る」とあるのですが、この「ヲクルンベツ」は「ヲクルンナイ」のことでいいんですかね(汗)。まぁ、なんだかんだ言って「ベツ」と「ナイ」の使い分けも結構いい加減なんだなぁ……などと妙なところに感心しつつ、本題に戻りましょう。戊午日誌には、「ヘンケヲクルンベツ」は「ヲクルンベツと並びて有る」「相応の川」とあります。この条件に当てはまる川は……と言うと、どう考えても「オサナイ沢川」以外無いような気がするのですね。つまり、戊午日誌に言う「ウサナイ」は、「オサナイ沢川」の「次の川」だと考えられるのです。
上流部の支流の名前とも照らしあわせて考えると、「ウサナイ」は現在の「オサナイ沢川」の 500 m ほど上流で注ぐ急流を指しているように思えます。地形図で見た感じだと、かなりの急流が左右からまとまって落ちてくるような感じに思えます(厳密には川が二つあるように見えます)。u-san-nay で「互いに・前に出る・沢」と解釈できそうなのですが、いかがでしょうか。
o-so-un-nay と考えられなくも無いのですが、これだと「河口・滝・ある・沢」となるので「鯇と鱒有るよし」とは思いづらいんですよね。
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