新発田駅の開業は 1912 年(大正元年)と言いますから、この時もう 102 歳だったことになりますね。言われてみるとホームも石積みの重厚な造りですが、それでいて出口には近代的な自動改札機が並んでいます。この違和感はなかなか面白いですね(笑)。
堀部と言えば
ところで、気になったのがこの幟です。堀部安兵衛というと、偶にタモリ倶楽部とかに出ている……(違います)。えーと、誰でしたっけ? あ、赤穂浪士の人でしたか。何故に新発田の人が赤穂藩に……と思ったのですが、えー、色々あったようです(あっさり片付けたな)。
旧駅舎は斯くして残された
それはそうと、新発田駅についてなのですが、Wikipedia を見ていてこんな記述を見付けました。市では近年橋上駅舎への改築も含め、駅舎の改修・改良について議論を進めてきた。
その結果、橋上駅舎への改築が一旦決まったものの、2010年11月の新発田市長選挙では橋上化計画の中止を掲げた二階堂馨が当選。JR東日本新潟支社に対し計画の撤回を報告するとともに駅構内のバリアフリー化を検討するよう要請した。
(Wikipedia 日本語版「新発田駅」より引用)
ほへー。このなんともクラシックな佇まいの裏側には、こんな物語があったのですね。もしかしたら工事費の節減あたりが主眼だったのかもしれませんが、昔ながらの駅の構造が残されたのは(個人的には)嬉しい限りです。「両新線」説もあったのだとか
新発田からは白新線に入ります。新潟から新発田なのにどうして「白新」なんだろう……という疑問が頭をもたげるのですが、実は当初の計画での起点は新潟ではなく、お隣の「白山駅」が起点として計画されていたからなのだそうです。謎のオブジェが見守る「豊栄」
西新発田、佐々木、黒山の人だかり……じゃなくて各駅を通過すると、次の停車駅の豊栄(とよさか)です。ん、なんですかねこれは……。
どう見ても民家の軒先にしか見えないのですが……。
というわけで豊栄駅です。かつての豊栄市の中心地ですが、今は新潟市の一部になってしまいました。
駅舎はこのあたりで良くみかけるタイプのものですね。ガラスが多く使われていますが、豪雪地帯だけあってか密閉性が高そうな感じです。新発田駅もこんな感じの駅舎になる予定だったのかも知れませんね。
阿賀野川を渡る
早通(はやどおり)、新崎(にいざき)の両駅を通過すると、列車は大きな川を渡ります。新潟と言えば萬代橋がかかる信濃川の印象が強いですが、川の規模だけで言えば阿賀野川のほうが明らかに大きいんですよね。なお、阿賀野川の東側の新崎からは複線区間となります。終着駅「新潟」
割と小ぢんまりした感じの「大形駅」を通過して、新潟操車場に隣接した東新潟駅を通過すると、「いなほ 8 号」は右に向きを変えて上沼垂(かみぬったり)信号場で信越本線と合流します。上沼垂(信)を過ぎると「いなほ 8 号」は再び左に向きを変えて新潟駅に向かいます。車窓の右側に上越新幹線の高架が見えてきました。
「いなほ 8 号」は、定刻から 1 分ほど遅れた 12:58 に、終点の新潟に到着しました。秋田から新潟までの 273.0 km を 3 時間 42 分で駆け抜けたことになります。
新十津川から新潟まで、1,016.0 km を移動してきました。残りはあと 552.9 km です。ここまでの所要時間は 17 時間 36 分でした。運転おつかれs(ry
5434D 新十津川 19:22 → 石狩当別 20:53
642M 石狩当別 21:13 → 札幌 21:53
202 札幌 22:00 → 青森5:395:45(急行「はまなす」)
2042M 青森5:435:50 → 秋田8:228:33(特急「つがる 2 号」)
2008M 秋田 9:16 → 新潟12:5712:58(特急「いなほ 8 号」)
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