(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
有勢内川(うせない──)
(??? = 典拠なし、類型未確認)
東静内と静内の間を流れている川の名前です。国土地理院の地図には記載が無い……というか、誤って「ロクマップ川」と記載されているのですが、どうやらこれは間違いで、「有勢内川」が正しいようです。全長 5 km あるか無いかの短い川なのですが、流長と現在の知名度からは考えられないほど古くからの記録が豊富な川でもあります。まずは上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」から。
ウセナイ
夷語ウセナイとは、只の沢といふ事。扨、ウセとは、只亦は顕れると申事。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.54 より引用)
なんじゃこりゃ……と思ったのですが、use-nay で「普通の・沢」という意味になるのだとか。確かに茅野さんの辞書には use で「普通(の)」とあります。さて、「扨」は「さて」と読むのですが、続いて「ウセとは、只亦は顕れると申事」とあります。「只」=「普通」と考えて良さそうなのですが、「顕れる」というのがよくわかりません。u-se であれば「互いに・背負う」となりますが……。
続いて「東蝦夷日誌」を見てみましょう。
ウセナイ(小澤、平地にて馬や、晝休所、番や、板藏)シツナイ〔静内〕繼立を此處にてす。名義、顯(あらわ)る義。此處岬なる故に號(なづけし)なり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.176 より引用)
「東蝦夷日誌」は「顕れる」説のようですね。「岬」と言うのは、有勢内川河口から少し南東のあたりの岩礁を指しているのでしょうか。「晝」は「昼」の旧字体ですね。あとは大体見たとおりの感じです(手を抜いたな)。一方で、永田地名解はこれらの旧説を全否定しています。
Usei nai ウセイ ナイ 湯川 「ウセナイ」ニテ田澤ナリト云フハ非ナリusey-nay で「湯・川」だと言うのですが、この新説に対しては更科源蔵さんが真っ二つに切り捨てていました。
宇瀬内(うせない)
静内海岸の地名。意味不明。永田氏地名解では「湯川。「ウセナイ」ニテ田沢ナリト云フハ非ナリ」とあるが、ウセウまたはウセイはわかした湯のことで、わかし湯の川などという地名はうなずけない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.83 より引用)
ですよね。「温泉の川」であれば yu-un-nay であったり nu-us-pet であったり、他にも色々と言い方がありますからね。湯を沸かして川に流すというのは全く意味不明ですし……。あと、今回の記事では「有勢内」としていますが、更科源蔵さんや山田秀三さんは「宇瀬内」としています。これは「野作東部日記」の表記を踏襲しているのだと思われますが、いつの間に「有勢内」になってしまったのでしょうね。
……結局、由来は良く分からないのですが、やはり永田説は妥当性に欠けるような気がしますし、「普通の川」というのも地名としての蓋然性に乏しいような気がします。近くの岬が u-se-i などと呼ばれていて、そこから u-se-nay で「互いに・背負う・沢」と呼ばれるようになった……とか、そんな感じでしょうか……?(かなり弱気)
ロクマップ川
(典拠あり、類型あり)
有勢内川の 600 m ほど西を流れる川の名前です。現在「日高中部環境センター」があるあたりですね。明治期の地形図には「ローカテツ」とあるのが現在のロクマップ川でしょうか。ただ、東西蝦夷山川地理取調図を見ると「ルモコマフ」とあります。「ルモコマフ」と「ロクマップ」は何となく納得が行くのですが、「ローカテツ」はどうにも理由がわかりません。どちらかと言えば「ロースカツ」に似てますよね(それはどうでもいい)。
「ルモコマフ」については、永田地名解に記載がありました。
Rū makomap, = Rū mak oma p ルー マコマㇷ゚ 路後ノ澤 小澤アリ「ルモコマプ」ト云フハ訛ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.251 より引用)
ふーむ。これは随分と妥当な解であるように思えます。ru-mak-oma-p で「路・山手・そこに入る・もの」でしょうか。実際の地形にも即しているように思えます。現在は特に道らしきものは無いみたいですが、海が荒れている場合に山手を迂回することもあったのかも知れませんね。真歌(まうた)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
静内の市街地は静内川の北西側に広がっていますが、市街地から見て川の向こう側に「真歌公園」という公園があります。ここは、かのシャクシャインの銅像が建立されているところで、「シベチャリ川流域チャシ跡群」もあるようですね。おそらくシャクシャインの軍勢もこのチャシに立てこもったのでは無いでしょうか。「東蝦夷日誌」に記載がありました。
ポロマウタ(小川)、マウタ(小澤、人家跡有)名義、玫瑰(はまなす)多きが故なりと。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.176 より引用)
maw が「ハマナス(の果実)」という意味ですから、maw-ta であれば「ハマナスの果実・採る」という意味になりますね。東西蝦夷山川地理取調図には「マウタサフ」とあります。また永田地名解にも次のようにありました。
Mau ta samp マウ タ サㇺㇷ゚ 玫瑰ヲ採ルタメ下リ行ク處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.251 より引用)
maw-ta-san-p と解したものでしょうか。また更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のようにあります。真歌(まうた)
静内町の字名。元来小川の名でマウ・タ・サㇺ・プ(はまなすを採る傍の川)の後を略して当て字にしたもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.83 より引用)
こちらは maw-ta-sam-p と解したようですね。永田地名解と同じに見えますが、san(山から浜に出る)と sam(傍)の部分が違いますね。偉大なる先達の説にこっそり反抗してみますと、案外 maw-ta-sapa で「ハマナスの果実・採る・岬」だったりはしないでしょうか。sapa は「頭」という意味もあるのですが、静内川と海に突き出した頭のように見えなくも無いかな、と思うのですよね。
まぁ、「真歌」という地名は「東蝦夷日誌」の時代から「マウタ」だったようなので、maw-ta で「ハマナスの果実・採る」なんだよ、と考えておけばいいのかも知れません(逃げたな)。
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