2016年4月17日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (334) 「三石・ピシュンベボウ川・社万部山」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

三石(みついし)

nit-us-i?
串・ある・ところ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
JR 日高本線に「日高三石」という駅があります。現在は「新ひだか町」ですが、このあたりは元々は「三石町」という町でした。ということで「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  日高三石(ひだかみついし)
所在地 (日高国)三石郡三石町
開 駅 昭和 8 年 12 月 15 日
起 源 アイヌ語の「イマニツ゚シ」、すなわち「イマニッ・ウシ」(魚焼くくしのある所)を略したもので、川辺に「イマニツ」と呼ぶ大岩が立っていたため名づけたものといわれ、同名の駅が山陽本線にあるので、「日高」をつけた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.93 より引用)
ふーむ。{i-ma-nit}-us が「ミツイシ」になった……という説ですね。

さて、三石はこのあたりでの大地名の一つです(浦河・静内に次ぐ大地名でしょうか)。ということで記録も沢山見つかるのですが……。秦檍丸の「東蝦夷地名考」には次のようにありました。

ミツイシ
 古名ミト゚シ。是は水をいるゝ器の名也。樺皮を以て是を製す。水笥の訛語なるへし。蝦夷平生用る所、圖のことし。
(秦檍丸・撰「東蝦夷地名考」より引用)
続いて、上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には次のようにありました。

ミツイシ
 夷語ニツ゚シなり。則、椛皮の桶と譚す。扨、蝦夷人椛の皮にて拵へたる桶をニツ゚シといふ。此ミツイシ川の内にニツ゚シに似たる岩山のある故、地名になすといふ。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」より引用)
東蝦夷日誌には次のようにありました。

本名ミトシとて樺桶の事也。従是十町東の川の名を以て惣名とす。此處地名はシュプトにて、此洋の口に蘆荻有を以て號し也と。又和人今三石の字を冠らしめ、此沖に三ツの大暗礁有故とも言り。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.181 より引用)
戊午日誌「東部美登之誌」にも似たようなことが書かれています。

ミトシとは樺にて作りし桶の事也。今それを本字を当て三石と呼べり。其会所もまた地名は本名シユフトなるを、いつよりしてか此川の名を当、三石会所と号来る。其訳を委しく聞に、むかし此川よりして、川の左右の山に住る土人等樺桶にて提汲て往来せしよりして、ミトシ川の名とするとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.515 より引用)
また、「按東扈従」には次のようにあります。

並て
   ミツイシ
三ツ石の名は此会所前に三つの暗礁有るよりして起ると。本名はヲハフとと云よし。
(松浦武四郎・著 松浦孫太・解読「按西(北海岸)按東扈従」松浦武四郎記念館 p.175 より引用)
ということで、ここまででおさらいすると {i-ma-nit}-us-i魚焼串・ある・ところ)説、nitus手桶)説、「三つの石」説があるようですね。まだ続きもありますので見てみましょう。永田地名解には次のようにあります。

三石郡 元名「エマニッウシ」ト呼ブ大岩アリテ中ニ兀立セリ魚焼串ノ義ナリ三石場所ヲ置キタ戸處ノ元名ハ「シュムウセイ」(Shum use-i)ト云フ地ニシテ吥坭水出ル處ノ義(直譯脂油出ル處ノ義)松前氏ノ時場所ヲ「シュッウセイ」ニ置キ「エマニウウシ」ヲ略シテ三石ト名ケタルヨシ一説ニ三石場所ニ三ツノ擲石ト云フ大岩アリ因テ三石ト名クト此擲石ノコトハ蝦夷紀行ニ詳ナリ舊地名解ニ三石ハ「ニトシ」ニテ桶ノ義ナリト云フハ非ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.19 より引用)
ということで、三石を {i-ma-nit}-us-i と結びつける説の元祖は永田地名解だったようです。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のようにありました。

 三石(みついし)
 日高線の三石町。日高線の傍にある現在蓬萊岩と呼んでいる岩を、アイヌはイマニッ・ウシ(焼串のあるところ)といって、文化神が鯨をさして焼いた串が岩になったという伝説がある。この地名が略されなまって三石になったという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.84 より引用)
あーなるほど。日高本線の日高三石駅と蓬栄駅の間、JR の線路と三石川の間の狭い場所に「蓬萊山」という岩山があるのですね。更科さんの見立てでは、この「蓬萊山」が {i-ma-nit}-us-i ではないかとのことですが、確かに特徴的な形をしているので、その可能性はありそうな感じもします。

ただ、間に鉄道と道路が通っているのが気になります。岩山の形から考えて、全て上から切り取ったとも思えませんが……。鉄道が開通する前はどんな形だったのでしょう。

ということで、「三石」は nit-us-i で「串・ある・ところ」と考えるのが自然であるように思えるのですが、永田方正以前の記録に一切出てこないのが最大の謎です(厳密には「イマニの伝説」は「東蝦夷日誌」などに出てくるのですが、「三石」という地名との接点が描かれていない)。いやホント不思議なんですよね。

ピシュンベボウ川

{pis-un}-pipa-us(-i)
浜にある・カラス貝・多くある(・ところ)
(典拠あり、類型あり)
三石川の河口近くで合流する西支流の名前です。なんか凄く破壊力が高そうな川名なので取り上げることにしました(どんな基準だ)。

戊午日誌「東部美登之誌」には、次のようにありました。

此辺川ひろき故に川原を上り行に、五丁計にして
     ヒイシユンヒハウ
左りの方山の間に小川有。其名義は、本名はヒイシユンヒハウシにして、浜辺に蚌貝の多き川と云よし也。其源はコエホクシヤマンベノホリと云より来る。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.517 より引用)
さり気なく次の地名のネタバレが含まれていますが、閑話休題(それはさておき)。「蚌」は「どぶがい」と読むのだそうです。「蚌貝」だと「ホウカイ」あるいは「ボウカイ」でしょうか。

永田地名解にも次のように記されていました。

Pish-un-pipau  ピシュ ウン ピパウ  濱邊ノ貝
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.264 より引用)
ということで、「ピシュンベボウ」は {pis-un}-pipa-us(-i) で「浜にある・カラス貝・多くある(・ところ)」と考えて良さそうです。pis-unkim-un の対義語で、「浜の方にある」というニュアンスで捉えられるかと思います。

そして、このあたりでは pipa-us が「ベボウ」に化けることが確認できました。浦河や新冠では「ケバウ」も pipa-us の転訛であるとされていますが、この調子だと確かにあり得るのかも知れないなぁと思えてきました。

社万部山(しゃまんべ──)

{samam-pe}-nupuri
{横になっている・もの}・山
(典拠あり、類型あり)
ピシュンベボウ川と辺訪川(べぼう──)の間、蓬萊山から見ると三石川の向かい側にある、標高 202.6 m の山の名前です(さりげなく次回分のネタバレを含む)。このあたりは平べったい山というか、船をひっくり返したような形の山が多く、蓬萊山の南東には「軍艦山」という山もあったりします。

では、前振りもそこそこにして、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょうか。

 社万部山(しやまんべやま)
 蓬萊山の北西の小山。横になっている山の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.85 より引用)
あー、わりとそのまんまでした。{samam-pe}-nupuri で「{横になっている・もの}・山」と考えて良さそうです。

社万部山も平べったい形をした山なのですが、山としての最高地点は三角点の位置とは異なり、中央部に 228 m の地点があり、北西部には 229 m の地点があります。先ほど引用した戊午日誌にも「其源はコエホクシヤマンベノホリと云より来る」とあるので、社万部山の西側は {koy-pok}-{samam-pe}-nupuri と呼ばれていたと考えられそうです。

ちなみに samam-pe で「横になっている・もの」という意味ですが、転じて魚の「カレイ」を指すのだとか。確かに横になってますからね(笑)。

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